第6話<4>

 学園祭二日目。

 本日も僕は朝から実行委員の仕事が入っていた。


 入場ゲートでの受付である。


 校門には美術部謹製の入場門アーチが設置されていて、それをくぐったところに受付がある。と言っても、明慧は招待券チケットなどによる入場制限はないので、誰でも自由に入れる。僕がやっているのは希望者にパンフレットを配布するだけの簡単なお仕事だ。


 


 さて、二日目開幕から三十分がたったころ、朝からの入場者も一段落したこともあって、僕は固まった体をほぐすため席を立った。固いパイプ椅子に座っているからだろうか、まだ授業よりも短い時間のはずなのに腰が痛くなってきた。少し後ろに下がって腰を伸ばしていると、校門をくぐって見知った顔が入ってくるのが見えた。


 長い黒髪の少女だ。切りそろえられた前髪の下にある相貌はどことなく和風で、硬質な感じに整っていることもあって、まるで日本人形のようにも見える。


「本当にきたのか……」


 我が異母妹、切谷依々子だった。


 まぁ、本当にも何も、くるとはひと言も言っていなかったので、予想通り、或いは、悪い予感が当たったと言うべきか。


「にしても危ないな」


 切谷さんはスマートフォンを見ながら歩いていた。にも拘らず、正確に受付にやってきて、パンフレットを受け取った。コウモリのように超音波でも出しているのだろうか。


 思わず感心して、切谷さんが通り過ぎるのを見送ってしまった。


 彼女は受付を過ぎたところで立ち止まると、端末を耳に当てた。電話をかけたのか、かかってきたのか。


 それと同じタイミングで僕のスマートフォンが着信を告げた。ポケットから端末を取り出して見てみれば、案の定、相手は切谷さんだった。


「もしもし?」


 少し考えた末、電話に出ることにした。


『真? 私』


 相変わらずのつまらなさそうな声。


『今、真の学校にきてるんだけど』

「らしいね。すぐ近くにいるよ」


 僕がそう答えると、切谷さんは弾かれたように周りを見回し――僕を見つけた。まるで睨みつけるみたいにして、目に見えてむっとしている。


 互いに通話を切り、歩み寄る。


「……いるんだったら言って」

「もう少し周りに気を配ったほうがいいね。事故に遭ってからでは遅い」


 しかし、切谷さんは僕の言葉には何も答えず、そっぽを向いてしまう。恥ずかしいのと腹の立つのとがごちゃ混ぜになっているようだ。


 僕はこれでこの話は終わりにすることにした。


「せっかくきてくれたところ悪いんだけど、実は実行委員の仕事の真っ最中でね」

「真、そんなことやってんだ」


 彼女は僕の二の腕についている腕章を見て、「面倒くさそう……」と率直すぎる感想を口にしてくれた。


「……別にいい。ひとりでぶらぶら回ってるから。それに真に会いにきたわけじゃないし」

「そ、そう?」


 だったらなんで僕に電話をかけてきたんだろうと思ったが、それは言わないでおいた。言うといよいよ怒り出してしまいそうだ。


 切谷さんはくるりと踵を返し、校内に向かって歩いていく。


「時間ができたら連絡するよ」


 いちおう彼女の背中にそう声をかけておいた。




 一時間ほどで受付の仕事は交代となり、僕は一旦運営の業務から解放された。この本番までの準備におおいに携わったことや初日だった昨日働いたことで、今日はもう後夜祭や全体の片づけまで仕事は入っていない。もちろん、クラスの手伝いはあるが、しばらくは自由だ。


 だが、僕は未だ入場門付近に立っていた。

 ここで人と待ち合わせしているのだ。


「遅いな……」


 受付の仕事の終わりに合わせて待ち合わせ時間を設定していたのだが、その約束の時間を過ぎても待ち人――雨ノ瀬は現れない。いいかげんこちらから連絡してみようかと思い、スマートフォンを手にしたところでちょうど着信があった。


 雨ノ瀬だった。


「……」


 雨ノ瀬である。


 一度目を閉じて、みっつ数えてから改めてディスプレイを見てみたが――雨ノ瀬だった


「雨ノ瀬か……」


 僕は思わず天を仰いだ。

 そうしてから意を決して電話に出る。


 


「うわーん、藤間、ここどこーっ!?」


 


「……」


 やっぱり雨ノ瀬だった。




                  §§§




 幸いにして、十五分ほどで雨ノ瀬をつれて学校に戻ってくることができた。


「やー、ひどい目に遭った」

「うん。毎度のことながら、それは僕の台詞だからな」


 僕は訂正しつつ、受付でもらってきたパンフレットを雨ノ瀬に手渡す。尤も、今回は時間の無駄こそあれ、疲労はなかった。


 雨ノ瀬は方向音痴のくせして、自分のいる場所を説明させたら意外と的確に、且つ、表現力豊かに描写できるという謎の特技があることが前回わかった。そのときの失敗で得た教訓と副産物を活かして、今回は僕が迎えにいくことにしたのである。


 本日の雨ノ瀬は、ジーンズに裾の長いロングTシャツのような上着をゆったりと着ていた。何となくストリートで踊り出しそうなスタイルに見えないこともない。長い髪をふたつにまとめて首の後ろあたりで結んでいるのは相変わらずだ。


 今日は昨日よりも気温が高いようで、今朝見てきた天気予報によると九月中ごろの暑さなのだそうだ。僕もブレザーは教室に置いてきていた。


 さて、これからどうするか――と僕は考える。


「ん? 藤間、どうしたの?」

「いや、この出オチみたいな女をどこにつれていこうか考えてた」

「ひっど。その言い方ひどくない!?」


 実際、僕は雨ノ瀬をどこに案内するか考えていなかった。考えたけど決まらなかった、というのが正しいか。


「雨ノ瀬、何か見たいものはあるか?」

「うーん……」


 と、パンフレットをめくりながら今度は雨ノ瀬が考え込む番だった。……ま、当然そうなるだろうな。特にこれと言った特徴のない学園祭だし。


「藤間のオススメは?」


 と、雨ノ瀬は逆に僕に聞いてくる。学内者の意見を参考にするというのは至極まっとうな流れだが、そんなものがあれば僕も悩んだりしないのである。


「受付が最恐のお化け屋敷」

「何それっ。どんな強面入り口に置いてんの!? 見たいっ」

「僕から言い出しといてなんだけど、やめとけ。ろくなことにならない」


 主に僕が。


「とりあえず学校見物を兼ねて、ふらふら見て回るか」

「そだね」


 意見がまとまったところで僕たちは足を踏み出した。


 確かに学園祭に関してはこれと言って見るべきものはない。ただ、学校自体はそこそこ珍しい部類に入るのではないかと思う。


「藤間の教室は?」


 まずは校舎内を歩き、屋内の出しものを見て回る。


「ない」

「ない!?」


 雨ノ瀬が盛大に驚く。こういう感嘆の発音が大きいのはいつものことだ。


 明慧学院大学附属高校は単位制を導入している関係で、生徒が教室を巡るスタイルとなっている。週に一度のホームルームを行う小教室は決められているが、クラスの掲示物が貼られているような普通の教室とは趣が異なるのだ。


「だから、こういう教室もあるわけだ」


 学校見物をメインにすることにした僕は、最初に踏み入った校舎を抜け、別の講義棟へと向かった。そこは学園祭には利用していないので、自販機目当ての生徒がちらほらしている程度だった。


 僕は手近なドアを開けた。


「おお、大学みたい」


 大教室だった。後ろ半分が階段状になった構造は普通の高校にはないものだろう。


 中では休んでいるのだかサボっているのだかわからない生徒たちが、すっかりやる気を失くした調子で駄弁っていた。僕としては実行委員という立場ではあっても、彼ら彼女らを注意するつもりはない。今は腕章をつけていない以前に、こういうイベントは人それぞれだからだ。乗り気の生徒もいればそうでないのもいる。楽しめない生徒をむりやり参加させる気はなかった。


「じゃあ、藤間のクラスはどこで何やってんの?」

「うちは喫茶店。実行委員に割り振られた教室でやっている。後でつれてくよ」


 その割り振りをしたのが僕なのだが。


「戻ろうか」


 雨ノ瀬が感動してくれたことで満足した僕は、ドアを閉め踵を返した。


 


 次に入ったのは特別教室がある学務棟だった。


 特別教室を活動場所にしている文化部が多いので、自然ここは文化部の出しものばかりとなる。クラスや運動部での参加の場合、店の類や何かしらの催しものが多いのに対し、文化部はどちらかと言えば活動内容に沿った展示や発表が多い。美術部や書道部は作品の展示、機械工作やコンピュータ系のクラブなら成果物の披露。科学部や家庭科部などはちょっとした体験教室を開いている。


 それらを覗き見ながら、僕と雨ノ瀬は廊下を歩く。


「んー? あたしたち、なんか注目されてない?」


 言葉にはできないちょっとした違和感に気づくみたいにして、不意に雨ノ瀬はそんなことを言いながら首を傾げた。


「藤間、またカッコつけ過ぎて悪目立ちした?」

「……」


 忘れたい過去を知っているやつがいることの、なんとやりにくいことか。


 とは言え、確かにさっきからすれちがう生徒がちらちらとこちらを見ながら通り過ぎていくな。


「雨ノ瀬がかわいいからじゃない?」


 ひとつの可能性。


「ごめん。藤間の気持ちは嬉しいけど、あたし、彼女持ちの男の子はちょっと……」

「うん。そういう意味じゃないから」


 こちらにそのつもりもないのにお断りされてしまった。


「まぁ、雨ノ瀬が気にするようなことじゃないよ」

「そうなの?」

「ああ」


 たぶん僕が槙坂先輩とは別の女の子をつれて歩いているのが理由だろう。こちらの可能性のほうが高そうだ。


「そう言えば、例の年上の彼女は?」


 そんな僕の心情を鋭く読んだわけではないのだろうが、雨ノ瀬が聞いてくる。


「安心しろ。健在だよ」

「いや、まず生きてるか死んでるかを確認しないといけないほど年上じゃないでしょうが。うちのひいおばあちゃんじゃないんだから」


 そっちの扱いもどうかと思うが。


「あたしとこうしてて大丈夫?」

「心配するな。後で時間を取ってあるよ」


 さて、実習だの特別教室だの言っても、中身がちがうだけで廊下から見える外観は一緒である。窓やドアがそれぞれ一定の間隔でコピィ&ペーストのように繰り返されているだけ。しかし、普段はそうでも学園祭開催中の今はちがう。壁や窓には飾りつけがされ、催しものの案内やついでとばかりに部員募集のポスターが貼られている。実に賑やかだ。


 その中にあってひときわ個性的な部屋がある。

 礼法室と名づけられた和室だ。


 授業でも使うことがあるし、放課後は筝曲部や茶華道部、日本舞踊部などの活動場所となっている。普段ならここには障子窓が嵌められているのだが、この学園祭中はすべて取っ払われ、廊下から中を見ることができた。


 どうやら今は茶華道部による茶道体験教室の時間のようだ。歳も様々な一般参加者が並んで正座し、茶道具の説明を聞いたりお茶の点て方をおしえてもらっている。


「あ、見て見て、藤間、すっごいきれいな子」


 と、雨ノ瀬がゴンゴン肘打ちでコンボ数を上げながら言うので参加者の面々をよく見れば、中にひとりやけに様になっている女の子がいた。


 誰あろう切谷依々子だった。


 もとより和風の面立ちで所作もきれいなので、こういうことをやらせるとよく似合う。今日はスキニーなボトムスに黒いチュニックブラウスというスタイルなのだが、こうなるとなぜか和服っぽく見えてくるから不思議だ。まぁ、それも黒なので喪服になってしまうが。


 それは兎も角として、彼女の茶を点てる手つきが明らかに経験者のそれだった。おしえる側のはずの部員がため息交じりに見ている。


 ふと、切谷さんは視線を感じたのか、ちらとこちらを見――そして、そこにいるのが僕だとわかるとかすかに目を丸くして驚き、それからむっとした様子で僕を睨んだ。しかし、それもわずかな時間のことで、すぐに手もとに視線を落とす。心なしか顔が少し赤かった。


 程なく、切谷さんはきりのいいところで席を立ち、廊下に出てきた。


「いるんだったら言ってって言ったわ」


 そして、改めて僕を睨めつける。


「声をかけていい状況じゃなかっただろ」


 あんなときに声をかけたりしたら、お互い恥ずかしいと思うのだがな。小学生のころ、運動会で徒競走のスタートラインに立った僕に向かって、大声で名前を呼んだ母のことは未だにトラウマだ。早くその場を離れたくて一心不乱に走ったものである。


「それにしてもずいぶんと慣れた手つきだったね」

「茶道、華道、お箏。このあたりはひと通りできるから」

「さすが老舗料亭の娘」

「古いだけよ」


 切谷さんはぶっきらぼうに言い返しながらも、まんざらでもなさそうだった。


 じゃあ、なんで体験教室なんかに参加したんだって話になるのだが、案外テキトーなところのある彼女のことだから部員に誘われるまま入ったのだろうな。部員も部員で切谷さんの和風の見た目で誘ったにちがいない。


「ねぇねぇ、藤間。誰さん?」


 と、再び肘打ちの連打を決めてくる雨ノ瀬。


「……その人の妹」


 しかし、それに答えたのは僕ではなく、当の切谷さんだった。

 ちょっと驚いて、僕は彼女を見た。


「……何?」

「いや、別に」


 前は自分から妹なんて言わなかったのにな、と思っただけである。口にするつもりはないが。


「妹なんていたの!?」


 雨ノ瀬がびっくりするのもむりはない。僕の口から妹の話なんて、中学のころでも一度も出たことがなかったのだから。むしろ兄弟姉妹の話になってひとりっ子だと答えた記憶がある。


「いたんだ。今年になって初めて会ったけどね」

「何それ!?」

「そのへんややこしいから、また改めて説明するよ」


 一昨日完成したばかりの妹とかではないのは確かで、それよりはましな関係だろうと思う。


「真、また新しい彼女?」

「僕は彼女を何人も作った覚えはないよ」


 と、答える僕の横で、雨ノ瀬が「真?」と首を傾げている。


「前にいなかった? 駅の改札で、別れ話こじらせて揉めてるのを見たんだけど」


 何のことかと思えば、夏休みに入ったばかりのころの話か。こえだ他二名と遊びにいく約束をしたら、現れたのが加々宮さんひとりだったあの日のことだ。そう言えば、あの場に切谷さんが通りかかったのだったな。


「ああ、あったね。そんなことも……って、雨ノ瀬、なに距離を取ろうとしてるんだ」

「あ、いや、やっぱ藤間ってモテるなぁって感心しちゃって……」


 感心したら距離をあけるのかよ。


「念のために言っておくと、誤解だからな? まぁ、それは兎も角として、こっちは僕の中学時代のクラスメイトだ。僕たちもふらふら見て回ってるところなんだけど……切谷さん、どうする? 一緒に回る?」


 僕の視界の端で、今度は「切谷さん?」とまたも首を傾げる雨ノ瀬。


「いい。ひとりのほうが気楽でいから」


 しかし、切谷さんにはすげなく断られてしまった。最初にタイミングを逃したことで意固地になっているのだろうか。


「それにあの人ほったらかしでちがう女の子ふたりもつれてると、なに言われるかわからないわよ」

「……それもそうか」


 認めたくないが、雨ノ瀬ひとりをつれてるだけでも、どうにも雲行きが怪しいからな。


「ま、ふたり一緒につれて歩くか、次々と変えるかのちがいだけって気もするけど」

「……」


 行くも地獄、戻るも地獄みたいな状況だな。

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