第6話<3>

 午後三時をもって僕のクラスの手伝いは終わった。


 こえだと伏見先輩、それに槙坂先輩がきたあたりがピークだったらしく、あれ以降は徐々に客足が遠のいていった。教室の中を覗きはしても入ってこない、という光景も何度か見られた。僕のシフトがもうひとつ前か後ろだったら楽ができたのにな。ちょっとのちがいで雲泥の差だ。


 僕は今、実行委員の腕章をつけ、再び校内の巡回をしていた。


 どこを見ても人、人、人。出しものの案内や店の呼び込みをする明慧の生徒と、それを見て回る一般の参加者という構図が多いのだが、当然見る側にも明慧生は混じっている。生徒数の多い学校なんだなと改めて思った。全校生徒数は何人だっただろうか。後で確認してみよう。


 壁や窓に目をやれば、そこかしこに飾り付けや宣伝ポスターが貼られている。昨日の日中までは告知がちらほら見られる程度のいたって普通の校内風景だったのに、一夜にして見事に学園祭モードに転じてしまった。みんな昨日の放課後や今朝にがんばったのだろうな。


 校内放送からは音楽やイベントの案内が流れているのだが、場所によってはそれとは別に野外ステージのパフォーマンスや司会進行役の声が聞こえてきて、雑多な音の洪水となっていた。まぁ、学園祭らしい言えば学園祭らしい光景ではある。


 と、そこで正面から歩いてくる女子生徒の集団の中に見知った顔を見つけた。加々宮きらりだ。


 加々宮さんも僕の姿を認め――ひとりグループを抜けて走ってきた。僕の前で両足で着地するようにして止まる。


「お疲れ様です、真先輩」


 そして、ぴっと敬礼。


「やあ、加々宮さん」

「もう眼鏡はやめたんですか?」


 いったいどこで知ったのだろうな。


「あぁ、あれ? ちょっと事情があってね」


 誰かさんがネタでかけることすら許してくれないから、とは言いにくい。


 他方、我がクラスメイトどもはというと、僕が眼鏡を外して教室に戻るとがっかりしていた。むしろ失望されたと言っていい。しかし、「お前は使えないやつだ」まで言うのはどうかと思う。


「それは残念です。……で、今は何をしてるんですか?」

「見たらわかるだろう。校内の巡回中だよ」


 だいたい同じ実行委員なんだから。僕のスケジュールまで把握しろとは言わないが、今の僕の姿を見て何をしているかくらいわかってほしいものだ。


 ところが、だ。


「ごめんなさい。見てわからないから聞きました」


 そうして加々宮さんはちらと僕の横を見た後、再び視線をこちらに戻す。むっとした顔をしていた。


「どうしてその人まで一緒なんですか?」

「……」


 僕の隣にはなぜか槙坂涼がいるのである。


「……ちょっと事情があってね」

「いったいどんな事情なんだか」


 呆れたようにため息を吐く加々宮さん。


 いや、まぁ、知人同伴なんて片手間で仕事しているみたいで褒められた姿勢ではないのは理解しているのだが、何やら怒っているふうで離れてくれないのだから仕方がない。


「勝手についてきてるだけだから気にしないでくれると助かる」

「気にしますよ」


 と、彼女は口を尖らせる。


「それじゃ単なる学祭デートじゃないですか」

「そうとも言うわね」


 槙坂先輩は挑発的な響きをもって口を開いた。……いちおー言っておくと、僕にそのつもりはない。


 しかし、加々宮さんはそれを真に受けたのか、僕をキッと睨む。


「真面目に仕事してください 真面目に」


 仕事の邪魔をしている槙坂先輩ではなく、僕を怒るのか。こちらは被害者だと思うのだが。


「大丈夫よ。わたしはそろそろ行くから」


 加々宮さんの不満も僕の苦悩もどこ吹く風で、槙坂先輩はあっけらかんとして言う。


「それにデートの時間は明日ちゃんと取ってあるもの」


 それを聞いた加々宮さんははっとして、それから何か言おうとし――やめた。うつむき、拳を固め、悔しそうに唇を噛む。


 そんな彼女の様子が少し心配になって僕は声をかけようとしたが、しかし、先を越されてしまった。


「きらりーん、行くよー」


 加々宮さんのグループが追いついてきたのだ。


「ちゃんと仕事してくださいね、先輩」


 顔を上げた彼女は、気持ちを切り替えたのか、眉をひそめてちょっと怒ったような表情を作ると、「めっ」といった感じで釘を刺した。そうして後ろからやってきたグループに合流すると、一緒に歩いていってしまう。


 何ごともなかったかのように友達同士きゃいきゃいとおしゃべりしながら去っていく彼女の後ろ姿を少しだけ見送ってから、僕も足を踏み出した。当然、槙坂先輩もついてくる。そろそろ行くんじゃなかったのだろうか。


「さて、槙坂先輩のせいで怒られてしまったわけだが?」


 申し開きがあればぜひ聞かせてもらいたいものである。


「あら、わたしのせい?」

「ほかに何があると?」

「そもそもわたしがこうしているのは、唯子を連れ回していて藤間くんのクラスに寄る時間がなくなったからなのよ?」

「自業自得だな」


 というか、せっかくきた客をつれていかないでもらいたい。立派な営業妨害だ。


「そうかしら?」

「そうだろ」


 喰いちがう意見。


 なぜに僕がその責任まで負わされなければならないのか。自分が勝手にやったことだろうに。


「さらに言えば、あなたが眼鏡をかけてきたことが原因でもあるわね。学校ではかけないでって言ったはずよ」

「そこは確かに謝るほかないが、伏見先輩と一緒に回っていて時間がなくなったこととは無関係だ」


「そうかしら?」

「そうだろ」


 またしても意見が喰いちがう。


 そのまま互いに無言で少し歩き――隣の校舎に移ろうと渡り廊下に差しかかったところで槙坂先輩が口を開いた。


「ま、あなたにはそう見えるでしょうね」


 諦めたようにそう言って、苦笑のような嘆息した。


「さぁ、もう本当に行くわ。じゃないと、それこそ藤間くんがちゃんと仕事をしていないように見えてしまうもの」

「ああ」

「明日はもっとちゃんとつき合ってもらいますからね」


 そう言うと槙坂先輩はくるりと踵を返し、僕から離れていった。


 明日、か。


 時計の針は午後四時を回り、今日も残すところ一時間弱。尤も、渡り廊下の窓から中庭を見れば、誰ひとりとして終わりのことなど考えていないような盛り上がりっぷりだが――どうやら学園祭初日はこのまま無事に幕を閉じそうだ。


 明日も何ごともなくすめばいいが。

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