第5話<上>
後期の授業が本格的にはじまった。
結果から言うと、槙坂涼と同じ授業はひとつしかなかった。もとより三年の彼女は、後期に入ってしまえば取るべき授業の数は絶対的に少ない。相談して決めたわけでもないのに、ひとつでもあったのが奇跡だろう。前期に比べれば彼女の背中を眺めながら授業を受けることが一気に少なくなり、少しさびしくはあるが――これでいい。
さて、後期にはいきなり大きなイベントがある。
学園祭だ。
かねてから決めていた通り、僕は実行委員に立候補した。もちろん、委員長などという重責は担いたくないので、こき使われる下っ端である。
最初は週二回だった会合も、次第に当日が近づくにつれ頻度が上がってきた。今では毎日のように会議室に足を運んでいる。
今、僕は模擬店の配置で頭を悩ませていた。
作業用の長机の上には、校内の平面図。その横には各クラス、部活の模擬店の内容と希望の場所が書かれた紙の束。それも紙束は校舎の内外で、山がふたつだ。
この紙に書かれた出展内容、使用する機材、希望の場所を見て、可能な限り公平、公正に配置を決めていくのが、目下のところの僕の仕事だ。
なお、僕は公平でもなければ公正でもないので、我がクラスの喫茶店は、人通りの多いいちばんいい場所に真っ先に決めておいた。後は公平公正に不満を分配する作業だ。
とは言え、
「……」
煮詰まった(誤用)。
あちらを立てればこちらが立たず。どうもうまくいかない。
手を止めて顔を上げれば、会議室内のそこかしこで、僕同様書類と格闘している姿や、二、三人で顔を突き合わせて話し合っている姿があった。どれもこれも表情は険しい。各作業の期日が迫っているからだろう。かく言う僕もそれほど余裕があるわけではない。次の作業も待っている。
(こえだがいないな……)
前期で球技大会の実行委員をやったことで思うところがあったのか、この学園祭実行委員にはこえだも参加していた。のだが、その姿が見えない。きっと外に出ているのだろう。
「美術部の進捗状況を見てきます」
人のことは兎も角、一度気分転換をしたかった。
僕はそう皆に告げると席を立った。誰かの「頼んだー」という声を聞きながら会議室を出る。
美術部には当日校門を飾るアーチの製作を依頼していた。尤も、これは毎年のことなので、美術部としても勝手がわかっているはずだ。作業が遅れているようなことはまずないだろう。
時間ももう午後六時過ぎ。廊下にはほとんど人影がなかった。下手すると目当ての美術部すら帰っている可能性がある。まぁ、単なる気分転換なので、無駄足になってもかまいはしないのだが。
ひとまず気楽なひとり旅といこう。
と、思っていたとき、後方から小走りに駆けてくる軽い足音が聞こえてきた。誰だろうと思って振り返ったときには、すでにその人物はそこにいた。
「真先ぱーい。どーん」
そのままの勢いでジャンプして体当たり。もちろん、僕とて女の子の体当たりで吹き飛ばされるほどヤワではないので耐える。
加々宮きらりだった。
「危ないだろ」
「真先輩、どこに行くんですか?」
僕の苦情は無視して彼女は聞いてくる。
「美術部にね。アーチの進捗状況を見にいくんだよ」
「あ、じゃあ、わたしも行きます」
あっさりそう言うと、僕の隣に並んだ。仕方なく一緒に歩き出す。
こえだのみならず、加々宮さんもどういうわけか学園祭実行委員のひとりだった。確か今彼女が手がけているのは、体育館の舞台のプログラム作成だったはず。要するに、演劇部や吹奏楽部、軽音楽部など、舞台を使用する演目のタイムスケジュールを組んでいるのだ。僕の作業と似ている。こっちが場所を考えているのに対し、彼女は時間を考えているのだ。
「こえだは? 一緒じゃなかったっけ?」
「サエちゃんならもう別の作業に移りましたよ」
ということは、彼女とはまた別の件で外回りか。大丈夫だろうか。いや、まぁ、ふたりそろっていたところで安心感が出てくるわけではないが。
「真先輩は捗ってますか?」
と、加々宮さん。
「正直、捗ってないね。捗ってないから、こうして散歩してるわけだ」
「散歩!? 美術部を見にいくんじゃなったんですか?」
「口実さ。外の空気を吸いたかったんだ」
外と言っても会議室の外だが。
「もちろん、ちゃんと美術部は覗きにいくけどね。……そっちは? 進んでるの?」
「ついさっき終わりました。最終案を各クラブにねじ込んできたばかりです」
「ねじ込むって……」
その表現にそこはかとなく不穏なものを感じる。
「えー、だってぜんぶの希望を聞いてたらキリがないじゃないですかー」
「そりゃそうだけどね。納得してくれたのか?」
「わたしがお願いすれば?」
なるほど。加々宮さんは交渉役だったのか。会議室にいなかったわけだ。実際、適役ではあるな。彼女にお願いされて断れる男子は少ないだろう。男子は。
「でも、女子が多いところはダメですね。すっごい文句言ってきます。……滅びろ、女子!」
いきなり天井目がけて叫ぶ加々宮さん。
その括りで滅ぶと自分も巻き込まれると思うのだがな。あと、直後に人類全体が絶滅する。
「文句を言われながらも、きちんとねじ込んだわけだ」
「そこは不満の公平な分配です。真先輩が言ったんですよ?」
そうだったな。僕は彼女にそうアドバイスしたのだった。結局のところ百パーセントすべての希望を叶えられるわけではないので、みんなに少しずつ我慢してもらうしかない。「向こうもこの部分で不便をしているので、こっちもこの部分は勘弁してほしい」と妥協案を提示するのだ。
そうやって最終案までこぎつけたから、こえだは別の作業に移ったのだろう。
と、そのときスラックスのポケットに突っ込んでいたスマートフォンが、振動で着信を告げてきた。ディスプレィを見ると槙坂涼の名前があった。
「……」
音声通話だ。出るべきかどうか迷う。……出なくても言い訳は立つが。
「あ、どうぞ。おかまいなく」
唯一気を遣うべき相手である加々宮さんからお許しが出てしまった。仕方なく電話に応じる。
「もしもし?」
『藤間くん? わたしです。槙坂です』
槙坂先輩の電話口での第一声は、普段よりも少しだけ丁寧だ。こちらは誰からかかってきたかなんて、電話に出る前からわかっているというのに。これが浮田だと「あ、オレオレ」である。まるで詐欺だ。こえだだと「あ、真? あたしあたし。ほら、あれあれ。あの話どーなった?」になって、あたしあたし詐欺にあれあれ詐欺が加わる。たぶん、こえだの話術では金を振り込ませるまでに半日はかかるだろうが。
『まだ学校?』
「ああ」
『わたしも少し用事があって、まだ残ってるの。一緒に帰れる?』
「いや、たぶん今日はギリギリまで学校にいると思う」
『そう……』
落胆したような槙坂先輩の声。
『わかったわ。じゃあ、また明日』
そうして電話は切れた。
端末をポケットに戻す。と、そこで加々宮さんがなぜか不思議そうな顔でこちらを見ているのに気がついた。
「どうかした?」
問うてみる。
「あの、まさかと思いますが、今の槙坂さんじゃないですよね?」
「いや、そうだけど?」
鋭いな。そうとわかる要素はなかったはずなのに。
僕が答えると、彼女は呆気にとられたようにぽかんと口を開けた。僕の住むタワーマンションを見上げていたときのアホ面に似ている。
「……なんですか、今の淡泊な会話は」
そして、ようやく声を絞り出したかと思うと、これだった。強烈に非難めいた、冷めた声だ。
「おかしいかな?」
「つき合ってるんですよね?」
「らしいね」
僕と槙坂先輩のことは、加々宮さんはすでに知っている。それどころか学校中に公知されつつある。もしかしたら当の僕より周りのほうが、僕たちのことを正確に把握しているかもしれない。僕の他人事のようなもの言いはそのあたりが理由、或いは、いつものことだ。今の心理状態は関係ないはず。
「そもそも、普段からベタベタしてないと思うけどね」
「確かにそうですけど……」
消極的な納得。でも、加々宮さんは口をむにむにと動かして、何か言いたそうだった。
「電話くらいそれっぽい会話してもいいんじゃないですか?」
やがて堪りかねたように彼女は、口の中で転がしていた言葉を吐き出す。
「仕方ない。今は君がいるからね」
「いなかったらしてました?」
「いいや」
まさか、である。
「もぅ。しっかりしてくださいよ」
「君が心配するようなことではないと思うけど?」
「……」
加々宮さんは黙り込んだ。
だが、口だけはまたむにむに動かしている。まだ何か言いたいことがあるのだろう。その様子を見て、この子は鋭いなと僕は思った。
程なくして美術部の活動場所である美術室に着いたが、案の定すでに全員帰った後だった。アーチの製作は順調だと思っていいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます