第2話<3>

 アホ面がふたつ並んでいた。


 こえだと加々宮さんだ。


 ふたりはそろって間の抜けた顔をして、僕の住むタワーマンションを見上げている。


「サエちゃん、知ってた……?」

「話だけは……」


 どうやら高校生のひとり暮らしとは思えないほど豪華なこのマンションに唖然としているらしい。まぁ、僕だって過剰だとは思うが、我が親愛なる親父殿がこんなものを用意してしまったのだからしようがない。金がありすぎて、世間の感覚とずれているのだろう。


 僕はエントランスのロックを解除する。


「ほら、ふたりとも、そんなところに立ってないで。入るわよ」


 そう促すのは槙坂先輩だった。


 そうして僕と彼女は、開いたドアをくぐり、エントランスへ。


「涼さん、普通に入っていったね……」

「うん……」


 後ろからふたりのそんな声が聞こえてくる。そして、なぜか槙坂先輩には、すまし顔の中にもどこか勝ち誇ったような様子が窺えた。


「真先輩って、もしかしてお金持ちなんですか?」


 ボタンを押してエレベータを呼ぶ僕に追いついてきて、加々宮さんが興奮気味に聞いてくる。


「らしいね」


 尤も、世間的にはあまり歓迎されない立場だけど。


「むむ、これはまた真先輩を落とす理由が増えたような……」

「槙坂先輩、このまま彼女とつき合ってしまっていいだろうか? けっこう僕の好みなんだが」

「ダメに決まってるでしょう」


 呆れ口調の槙坂先輩。


「まったく。本当にあなたは変わった子が好きなんだから。わたしもその手のことを言えばいいのかしらね」


 そして、彼女は何を思ったのか、髪をかき上げつつ、


 


「……お金もない男がわたしとつき合おうなんて、十年は早いわね」


 


「「「 …… 」」」


 図らずも僕とこえだと加々宮さんの三人は、そろって足を止めてしまった。


 そうとは知らず槙坂先輩は降りてきたエレベータに乗り込み――中に入って振り返ったところで、固まっている僕たちに気づいた。


「え? な、何……?」

「いや、あまりにも似合いすぎて……」


 ドン引きレベルである。


 やがて僕たちの間を決定的に隔絶するようにエレベータのドアが閉まりはじめ――それが閉まり切る直前、槙坂先輩が慌てて『開』ボタンを連打したのだった。


 


 エレベータで僕の住む二十八階へ。


 中でこえだと加々宮さんができるだけ槙坂先輩から距離をとろうと、壁に貼りついているのがシュールだった。


 エレベータを降りて廊下を進む。


「あ、やべ。緊張してきました」


 数歩もいかないうちに加々宮さんの歩き方がぎこちなくなる。


 このマンションは外観だけでなくほかにもいろいろお高いので、ホテルのような趣がある。確かに慣れていないと緊張するかもしれない。こえだが押し黙ってしまったのも、その一種だろうか。


 一方、もうここに何度かきて、すっかり慣れてしまった槙坂涼のようなのもいる。尤も、この人の場合は、慣れたというよりも似合っているのだが。


「どうぞ」


 鍵を開け、ドアを開けて、三人を招き入れる。


 玄関には僕が家を出る前に用意しておいた来客用スリッパが三足並んでいる。僕はそれをまたいで、自分のスリッパに足を突っ込む。因みに、常備している来客用は二足しかなかったので、昨日一足買いにいってきた。


「おじゃまします」


 三人は口々に言って、玄関を上がった。


「おー」

「わあ」


 初めてきたふたりが、リビングを見て感嘆の声を上げた。


「とりあえず一服しようか。暑かったしな。テキトーに座ってくれ」


 駅からここまで徒歩圏内とは言え、さっぱり暑さのやわらぐ気配のない九月の昼過ぎを歩いてきたのだ。さすがにいきなり勉強という気にはならない。


「じゃー、さっそくこれの出番ですね」


 そう言って加々宮さんがバッグから出してきたのは、そこそこ大きなコンビニの袋だった。どうやら中身は様々なスナック菓子のようだ。集合場所に現れたときはずいぶんと大きなバッグを持っているものだと思ったが、こんなものを入れていたらしい。


「うん。それは休憩のときにしようか」


 だが、却下。


 なお、持ちものがそこそこ多いのは、ほかのふたりも同じだ。加々宮さんと同じように何かが飛び出してくるのか、はたまた勉強する気満々なのか。


「とりあえずコーヒーでも入れるわね」

「それは僕がやる。客は黙ってもてなされてくれ」


 決して我が物顔で人の家のキッチンを使ってくれるな。


「真、コンビニスイーツ買ってきたんだけど、冷蔵庫に入れてていい?」


 やっぱり出てきたか。たぶんふたり一緒に途中で寄ってきたのだろう。


 女の子というのは、どうしてこうもコンビニのお菓子が好きなんだろうな。しかも、決まって大量購入。スーパーで買えばもっと安くすませられるだろうに。


「いいけど、うっかり自分が入るなよ」

「入らないもん!」


 いくらこえだが小動物とは言え、さすがに冷蔵庫には入らないか。




                  §§§




 そんなわけでひと休みしてから勉強がはじまった。


 バカみたいに広いリビングの空きスペースに座卓を広げ、四人で囲む。自然、一年生組と上級生組に分かれて座った。


「うん。だいたいわかってるんじゃないか」


 手はじめに数学の問題をいくつか解かせたところ、こえだは見事正解した。


「よかったな。バカキャラが定着しなくて」

「え、あたしそんな危機的状況だったの!?」


 少なくともこれで勉強ができなかったら、僕の中ではバカかわいいやつという認識にはなっていただろう。


「基本はできてるから、ひねった問題の出ない前期テストは楽勝だろ」


 と、安心させるために言ってやったのだが、こえだは手元に返ってきたノートを睨み、「むー」とうなっている。


「どうした?」

「いや、この場合、合ってると言った真の判断が本当に正しいかはわからないわけで……」


 むむむ、とわざとらしく難しい顔を作る。


「後期クィーン問題かよ」

「何それ?」


 聞き慣れない単語だったのだろう、聞き返してくるこえだ。さすがにこれを知らないことでバカキャラにしてしまうのはかわいそうだろう。


「推理小説は読むか?」

「たまには」

「要するに、探偵が『犯人はお前だ』と結論を出したところで、それが正しいという客観的保証がないという話だな」


 探偵役が知らない情報がまだあるかもしれないし、会っていない事件関係者がいるかもしれない。それらがないと客観的に判断できず、あくまで探偵が主観的な情報に基づいて下した結論が必ずしも正しいとはかぎらない、ということだ。


 逆に、推理小説はあくまでも小説という形態の娯楽であるとした上で、「犯人は登場人物の中にいる」「犯人以外は嘘をつかない」「作中で手掛かりがすべて明かされ、読者も犯人に辿りつける」といったルールを定めたのが『ノックスの十戒』や『ヴァン・ダインの二十則』なのだろう。


 後期クィーン問題はほかにもあるのだが今は割愛。


 つまり、これを今の状況に置き換えると、合っていると言った僕の言葉が正しいと判断する客観的証拠がない、という話になる。


「というわけで――」


 僕は一度は返したこえだのノートを取り上げ、


「はい」


 と、隣にいる槙坂先輩に渡した。


「……大丈夫よ、サエちゃん。ちゃんと合ってるわ」


 彼女はそれにさっと目を通すと、そう言って笑みを見せたのだった。こえだもほっと胸を撫で下ろす。槙坂涼に太鼓判を押してもらえれば、こえだも安心だろう。というか、むしろ僕なんかいなくても、彼女の保証さえあれば十分なのではないかとすら思う。


 因みに、槙坂先輩の担当は加々宮さんだ。この勉強会が決まったときに言っていた通りになっている。


「こんなふうに真に何かおしえてもらうのって、履修届以来かも」

「確かにな」


 あれからまだ半年もたっていないのか。


「そんなことがあったの?」

「まぁね。こいつが履修届を前にして、ない頭でうんうんうなってから、少しばかりおしえてやったんだ」

「言い方ひどくないっ!?」


 さすがにこれはこえだも心外だったらしい。


「そんなこと言うんだったら、涼さんにあのこと言いつけるもん」

「む。なんだよ」


 言われて困るようなことは……いくつかありそうだが、そういうのはこえだは知らないはずだ。


 こえだは、僕からは見えないよう口許を隠し、槙坂先輩に囁く。


「真ってばガイダンスの日に、新入生の中にかわいい女の子がいないかと思って、わざわざ早く学校にきてたんですよ」

「あ、バカ、お前――」


 しかし、こえだは止まらない。


「しかも、ちゃんと収穫があったって。隠れて何やってるんだかですよね」


 確かに前に、こえだに冗談めかせてそんな話をしたことがあるのだが、残念ながらこいつにはそれの意味するところが伝わらなかったのだ。よりにもよって槙坂先輩にそれを言うか。


「藤間くん、それって……」

「よけいなことを話してないで、勉強しろ勉強」


 僕は、案の定何かに気づいたらしい槙坂先輩の言葉を遮る。はす向かいでは加々宮さんがいいことを聞いたとばかりに、意地の悪そうな笑みを見せていた。

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