第2話<2>

 勉強会は土曜日に行うことになった。


 各々自宅で昼食をとった後、昼過ぎに集まり夕方まで勉強の予定だ。さほど時間をとるつもりはない。目的は一年生ふたりの授業の理解度を確認することにあるのだから。これでまったくわかっていないことが発覚したら、そのときはそのときだ。何か手を考えよう。


 集合場所は我が家の最寄駅の改札口。


 僕の家でやるのだから、当然そうなる。ここからは大型ショッピングセンター、サクラ・ヤーズにも直通しているが、今日のところは関係ないだろう。めでたくテストを乗り越えたら、秋休みにみんなで遊びに繰り出してもいいかもしれない。


 僕はここに、待ち合わせの三十分前には立っていた。


 少々早すぎる気もするが、誰かひとりくらいは早くくるだろうし、そこから一緒に待っていればそう苦にもなるまい。


 そう思っていると、ここに立って十分もしないうちに、電車から吐き出された乗客たちとともにホームから槙坂涼が上がってきた。ソフトデニムのクロップドパンツ姿だった。細身の七分丈。足のシルエットがとてもきれいだ。


 彼女は僕の姿を認めると、微笑みを浮かべる。僕も軽く手を上げて応えた。


「こんにちは、藤間くん」


 改札を出てきた彼女の第一声。


「ずいぶんと早いな」

「あなたのことだから、もうきてると思ったのよ」

「なるほど」


 読まれているのも癪だな。


「見ての通り、あのふたりがまだなんだ」


 こえだと加々宮さん。


 たぶんふたりは一緒にくるだろう。それも待ち合わせ時間に最も近い電車で。即ちそれは、五分前と二分後の電車があれば、二分後の電車を選ぶということだ。


 僕は隣で自動改札の向こうを眺める槙坂先輩に問いかける。


「で、何か話があるのか?」

「あら、察しがよくて助かるわ」


 僕が早くきているだろうから、早くきた――。もちろん、僕を待たせないようにとも解釈できるが、何となくそこに誰よりも早く会って話がしたかったという意図があるように感じたのだ。そして、どうやらそれは当たりだったらしい。


「……あなた、何を考えているの?」


 彼女はこれまでの稚気を含んだ口調とは打って変わって真面目に、問いかけらしきものを口にする。


「質問なら具体的に頼むよ。アバウトすぎる」

「加々宮さんのことよ」


 固有名詞が出たものの、質問が具体的になったわけではない。が、言わんとしているところはわかる。


「あの子があなたに何をしたか忘れたの?」

「何かするのは僕にじゃないだろう? 対象は槙坂先輩だ。僕は単なるリトマス試験紙に過ぎないよ」


 加々宮さんは僕にアピールとアプローチを繰り返してくるが、それは自分が女の子として槙坂涼より上だと証明したいがためだ。その最もわかりやすい指標として選ばれたのが僕。僕を槙坂先輩から自分に振り向かせることで証明終了にしようとしているのである。


「単なる、ねぇ。だといいけど」

「……」


 あの加々宮さんが? あの容姿なら男なんてよりどりみどりだろうに。それをよりによって僕に本気になるだろうか? 尤も、すぐそばには槙坂涼という例がいるので、そういう意味では世の中なにが起こるかわからないのも確かだ。


「僕としては、面倒を見る後輩がひとり増えたくらいの感じさ」

「それで名前で呼ばせてるのね。真先輩は」

「僕が一貫して呼び方に拘らないのは知ってるだろう」


 むしろ『先輩』とつくだけましなほうだ。こえだや切谷さんなんか、年下なのに呼び捨てだ。


「じゃあ、わたしも好きに呼んでいいのね?」

「もちろんさ。ただし――ヴォルテール曰く『私は君の意見には反対だが、君がそう発言する権利については私は命をかけても守る』。僕も好きに呼ばせてもらう。これまで通りにね」


 互いの意志と権利は尊重したいものだ。


「つまり、今まで通りベッドの中では名前で呼んでくれるってことね」

「……それ、あのふたりの前で言うなよ」


 こえだにはまだまだ純心のままで、僕の癒やしになってもらいたい。加々宮さんは人の男を奪おうと画策するような子だが、あれでけっこう免疫がない。そのくせ知識はある上に女としての勘が鋭いので、よけいな想像をしてすぐに頭がショートするのだ。


「あなたは本当、面白ければ危険なものでも懐に招き入れるのね」


 そこまで命知らずではないつもりなんだがな。


「まぁ、いいわ。後輩のひとりとして面倒を見ているだけというなら、わたしがとやかく言うことではないわね」

「さて、じゃあ、ここで言いそびれていたことを言っておこうか。実は夏休み明け、八月最後の日曜日だったかな? こえだと加々宮さんと三人でプールに行ってきたんだ」


 がっし!


 次の瞬間、僕は胸ぐらを掴まれていた。もちろん、槙坂先輩にだ。


 マンガ的に表現するなら、こめかみに青筋を模した怒りマークが浮かんでいる状態だ。口の端が吊り上っていた。


 コンコースを行き交う人が皆、こちらに目をやりながら通っていく。「なんだ、ケンカか?」「男刺されろ」「男死ね」。……世の中同性を嫌う男が多すぎだろ。


「あなた、何を考えてるの?」


 質問は具体的にしてほしいものだ。


「ほら、夏休みにこえだをプールに連れていき損ねただろ。あれの埋め合わせだよ」

「そこまではわかるわ。でも、なぜそこにわたしがいないのかしら?」


 この人はあのふたりを公開処刑にするつもりだろうか。無慈悲な格差が如実に表れるだろうに。


「話せば長くなる」

「手短にお願いするわ。いつまでもこの状態でいたくないのなら」


 そうだな。こんなところで胸ぐらを掴まれたままでは注目を浴びて仕方がない。


「実は槙坂先輩の水着姿をほかの男どもに見られたくなかったんだ」

「あら、そうだったの? 仕方ないわね。今度ふたりきりのときにあなたにだけ見せてあげるわ」

「すまない。嘘だ」

「わたしは本気よ、真」


 おいやめろ。この流れで僕を名前で呼んでくれるな。


 僕たちは顔を近づけたまま、ふふふ、と笑い合う。そうしてからようやく槙坂先輩は手を離してくれた。


「まぁ、藤間くんがプールという場所でわたしを避ける理由はだいたい想像がつくわ。さっきの言葉も半分くらいは本当でしょうし」


 彼女は乱れた僕の服を直しながら言う。


「その上で、あのふたりのお守りとしてついていったんでしょうね」

「概ねそんなところだ。……ああ、きたな」


 自動改札の向こうを見れば、こえだと加々宮さんの姿があった。予想通りふたり一緒にきたようだ。ふたりともこちらに気づくと、小走りになった。


「後輩の面倒もいいけど、ちゃんと先輩の相手もしなさい」

「……了解」


 僕とて蔑ろにするつもりはない。


 やってきたふたりは、こえだがキュロットスカートで、加々宮さんがキャミソールワンピースと、それぞれ夏らしいスタイル。改めて見れば、女性陣は三者三様のファッションとなったのだった。


「待った?」

「いや、さほど。そっちがはやくきてくれたおかげだな」


 時計を確認すれば、まだ集合時間の十分前だった。ふたり一緒にくるという予想は当たったが、時間に関しては外れてしまったようだ。喜ばしいことだ。


 そして、


「じゃー、さっそく」

「れっつ、ごー」


「待て」「待ちなさい」


 僕と槙坂先輩は、いきなりサクラ・ヤーズに向かって歩き出した後輩ふたりの襟を、同時に掴んだのだった。

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