挿話4 槙坂さん、夏の憂鬱

 それは午前最後の授業が終わって、さぁこれからお昼というときのこと。


「え?」


 わたしは思わず問い返す。


「だーかーらー、槙坂さんがこの前、校門前でよその学校の女の子と藤間君を巡って修羅場ってたって。噂だよ?」


「……」


 何のことだろうと思ったけど、すぐについこの間のことだと思い至った。よその学校の女の子というのは、藤間くんの妹、切谷依々子さんのことだろう。でも――、


(しゅ、修羅場……?)


 もちろん、あれは修羅場とかそんなものではない。だけど、確かに知らない子からすれば、そう見えてしまうのかもしれない。直前に「デートに行きましょうか」と宣言していたのも地味に響いている。


「あれはそういうのじゃないの」

「だと思ったー」


 誤解はすぐに解けた――と思ったのも束の間。


「だって、あの藤間って子、そこまでモテるタイプとは思えないもんね」

「そーそー。ていうか、あの子と槙坂さんじゃぜんぜん釣り合わなくない?」


 さっきまで一緒に授業を受けていた三、四人の女の子たちが、次々に同意していく。そこに加わっていないのは唯子――伏見唯子だけだった。わたしは唯子と顔を見合わせる。


 最近、わたしと藤間くんの関係に気を遣ってくれる子が増えている。でも、その一方で、『槙坂涼』の熱烈で根強いファンがいて、その中には「槙坂さんの相手は芸能人とか俳優とか、そういうのじゃないと認めない」くらいの勢いの子もいる。どうやら彼女たちはその口だったらしい。


「あの子ってさ、いつも席で本読んでるよね」

「うんうん。根暗っぽいよね。存在感ないっていうか? 私、つい最近までぜんぜん知らなかったもん」

「……」


 彼女たちは『見えてない』のだと思った。


 わたしは知っている。

 藤間くんは、本当は女の子なら誰もがほっておかないような、カッコいい男の子だということを。でも、入学してからしばらくは顔を隠すようにして本を読み、存在感を希薄にしてきた。そうしてサイレントで読書好きの一生徒としての地位を確立させたのだ。


 そんな彼の本当の姿を、わたしだけが知っている。


 だけど、知らない彼女たちは首を傾げる。


「わっかんないなぁ。あんな子のどこがいいのか」

「どこって……」


 そんなのはいっぱいある。


 たとえば――と口を開こうとしたその矢先。


「文系男子にしたってちょっと地味すぎー。やっぱりあの子じゃ槙坂さんとは釣り合わないと思うんだよね」

「そうそう。もっとイイ男いっくらでもいるって。美男美女の超大型カップル誕生!みたいな」


 口々に好き勝手なことを言い連ねる彼女たち。


「そ、そう?」


 そんな勢いに圧倒されて、わたしは曖昧な返事をする。それを賛同ととったのか、彼女たちは一気に盛り上がった。


 逆にわたしは冷めていく。

『槙坂涼』に過度の幻想を抱くこの子たちに、何を説いてもきっと無駄だろう。それに本当の藤間くんは、わたしだけが知っていればいいという気もしてきた。


「じゃあ、わたしは行くわね」


 テキスト類を抱えて立ち上がると――微笑みひとつ。わたしは彼女たちを置いて教室の出入り口へと向かった。


「あ、槙坂さん一緒にお昼……」


 背中に声を投げかけられたが、聞こえない振りをする。中には心配して呼び止める唯子の声もあった。だけど、彼女には悪いけど、今はすぐにでもこの場を離れたかった。




                  §§§




 講義棟2は外廊下タイプのマンションをコの字に折り曲げたような構造になっている。


 ふたつの横棒部分をつなぐのは縦の棒だけではなく、ほかにも中ほどに渡り廊下がついていた。ただし、屋根はなく、どちらかというと向かい合った外廊下をつなぐ橋のようなものだ。おかげで最上階である三階の渡り廊下だと、見上げればもれなく空が見える。


 さらに言うと、橋は斜めに渡されている。二階と三階で、それぞれ反対向きの斜め。つまり上空から見れば、X字になっているのだ。


 今、わたしはその渡り廊下にいた。それも三階の。


 季節は初夏。

 空は抜けるような青。


 はっきりいって、ちょっと暑かった。


 でも、誰もいない。昼休みがはじまったばかりのこんな時間のこんな場所に、生徒などいるはずもない。


 わたしはその鉄柵に両腕を置き、ぼんやりとしていた。


 深々とため息を吐く。


 原因は、もちろん、先のやり取り。

『槙坂涼』に幻想を抱き、理想を押しつけるのはいい。わたしもできるだけそれに応えるのが、自分の役割だと思って今まで生きてきた。


 でも、わたしを持ち上げるあまり、藤間くんを否定するのはちがうのではないだろうか。


 どうしてわかってくれないのだろう。

 彼は本当はとても素敵な男の子なのだと、声を大にして言いたかった。


 ため息再度。


 と、そのとき、スマートフォンが着信を告げた。チャットアプリ。それも藤間くんからだった。




『今どこにいる?』




「……」


 なぜこのタイミングなのだろう。意図をはかりかねる。とは言え、わたしもちょうど会いたいと思っていたところだし、隠しも誤魔化しもせず今の居場所をおしえる。


 それから五分とたたずに足音が聞こえてきた。直感的に藤間くんだと思った。だけど、それはなぜか階下、二階のほうで響いている。下を見てみれば、彼の姿があった。間違いなく藤間くん。足音だけで彼だとわかったことが少し嬉しかった。


「藤間くん、こっちよ」


 Xの字を描く構造のおかげで、鉄柵から大きく身を乗り出さなくても、彼の姿がよく見えた。


 彼は呼んだわたしではなく、目の上を掌で覆うようにして太陽を見――、


「気をつけたほうがいい。ここ、男子の間じゃ有名な『観賞』スポットだから」

「!?」


 わたしはすぐに意味を理解し、スカートを手で押さえながら後ろに下がった。


 そうだった。二年の後期からこの棟での授業がなかったのですっかり忘れていたけど、ここは女子の間では要警戒で知られるデンジャーゾーンだった。


「あ、あなたねぇ」


 スカートの裾に細心の注意を払いながら鉄柵に近寄り、下を見れば――そこにはもう藤間くんの姿はなかった。そんなわたしの行動を嘲笑うかのように、彼は三階に上がってきた。特に急ぐわけでもなく、渡り廊下の延長線上にある階段を上ってくる。


 わたしは恨みのこもった半眼を藤間くんに向けた。


「三階にいるって書いたはずだけど?」

「だったかな」


 だけど、彼はどこ吹く風で次句を継ぐ。


「何をやってるんだ、こんなところで」

「……」


 わたしは彼の問いかけに逡巡した。果たして、先の出来事や今のわたしの憂鬱は、彼に話すべきことだろうか。悩んだ末、質問に質問で返した。


「あなたこそどうしたの?」

「伏見先輩に頼まれたんだ。会いにいってやってくれって」


 藤間くんのほうは特に隠すようなことでもなかったらしく、あっさりとそう白状した。


 なるほど。彼はあの場にいたわけじゃないから、気になって追ってきたということはあるわけがない。お昼に誘ってくるとか、ましてや会いたいなんて言い出すはずもない。だったらなぜこんなにタイミングよく、と不思議に思っていたのだけど、ただ単に唯子に頼まれただけのようだ。


 ちょっと、聞いてみたくなった。


「もしわたしが唯子に会いにいってあげてって言ったら? 藤間くん、どうする?」

「どんなシチュエーションだよ」

「そうね。何か悩んでるみたいだから相談にのってあげて、とか」

「それなら、まぁ、いくかな」


 少し考えつつ、藤間くんはそう答える。


「じゃあ、わたしが今すぐ会いにきてって言ってきたら?」

「『用件なら文書で頼む』」

「そう返信してくるわけね。ええ、あなたらしいわ」


 わたしはもう一度深いため息を吐いた。


 まぁ、唯子に頼まれたにしても、わざわざ様子を見にきてくれたことにはちがいない。そこは素直に嬉しいと思う。先の藤間くんらしからぬいたずらも、わたしを元気づけようとしてやったことだと思えば、怒る気もなくなるというもの。……尤も、最初から本気で怒る気もなくて、むしろそんな悪さをする子にはこちらもそれなりの対応で、どきどきさせてやらねばなるまいとも思う。


「それで――何かあったのか?」


 こちらの複雑な心情など知る由もなく、藤間くんは改めて問うてくる。


 だけど、やはり何があったかも何をしているのかも答えられるはずはなく、わたしはまたも質問で話をはぐらかすのだった。


「あなた、もっと女の子にモテたいと思わないの?」


 もっといろいろアピールすれば、きっと女の子に騒がれることだろう。それこそ『槙坂涼』に釣り合う男の子だと、誰もが認めるにちがいない。


「なんだ、それ」

「いいから」


 わたしが答えをせがむと、彼は肩をすくめてから渋々答えた。


「別に。そういうのは中学のときにすんだよ」

「……」


 それは中学のときはモテたということだろうか? それとも、モテたいと思う気持ちを卒業したということ?


 その言葉が意味するところを考えていると、


「今は――量より質」


 藤間くんは渡り廊下の鉄柵に背中をあずけながら、空を見上げてつぶやいた。


「どういう意味?」




「今はひとりで二十人分くらい稼いでるのがいるから、それで十分ってこと」




 わたしはびっくりして藤間くんの横顔を、穴があくほど見つめる。


 彼もそれに気がついたようで、落ち着かない様子で体の向きを変えた。鉄柵に組んだ腕と顎を乗せて、やる気のなさそうなポーズで視線を遠くへと向ける。


「暑い……」


 そして、まるで誤魔化すようにつぶやいた。


 そりゃあ熱いでしょうね。普段じゃ絶対に言わないようなことを口にすれば。


 本当に天の邪鬼で、そのくせ時々妙に素直で、まるで懐かないけど最後には嫌々触らせてくれる猫みたいな子だ。


 わたしは彼のきれいな顔を見ながら思う。やはり世の女の子たちは、藤間くんが本当は『槙坂涼』とつき合うに相応しい、カッコいい男の子なのだと知るべきだ。


 だけど、それ以上にかわいい男の子だということは、わたしだけが知っていればいいと思う。

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