第7話<上>

『せ、生徒の皆さんにお知らせします。まもなく第一体育館で、地元車椅子バスケットボールクラブによるパフォーマンスが行われます。お時間のある方は、ぜひ見学をお願いします』


 初夏の陽気の下、校内放送が響き渡る。


(噛んだな……)


 声からしてこえだだろうな。後でからかってやろう。


 あいつは結局、本当に球技大会の実行委員に立候補したのだった。ご苦労なことだが、僕や美沙希先輩の後に続いてくれたことは嬉しく思う。


 本日は全校あげての球技大会。


 原則、すべての生徒が何らかの球技に参加している。二週間ほど前からは体育の授業も自主練習に当てられて、熱心な生徒たちはそれだけでは足りず、放課後にも個人、もしくは、チームで練習をしていた。その成果をぶつけ合う日が今日なのだ。


 僕は頭に叩き込んだタイムスケジュールを思い出す。たった今試合を終えたばかりで次までまだ時間はありそうだし、第一体育館に行ってみようか。本当なら我がクラスの控え教室に行って勝利の報告をしなければいけないのだが、まぁ、そんなのは後でもいいだろう。


「藤間くん」


 そして、呼び止められたのは、体育館のほうへと体を向けた直後のことだった。


 近寄ってきたのは例の如く、槙坂涼。

 この明慧大附属の生徒のひとりである彼女も、当然球技大会に参加していて、今は半袖の体操服にジャージのボトムという格好だった。ちがう学年、ちがうクラスでは、こういう体育系の行事でもないかぎりお目にかかれない姿だ。ついでに美沙希先輩がいつぞや言っていた、隠れナントカを理解してしまった。


「藤間くんも今から体育館に?」

「ああ、そのつもり」


 僕にとってこのイベントは少々特別だ。やはり見ておかないと。


「わたしもよ。一緒に行きましょ?」

「クラスメイトがいるんじゃないのか?」


 今、試合が終わったばかりの僕なら兎も角、槙坂涼の周りにはたいてい彼女を慕う女子生徒がいる。今日みたいな学校行事の日にひとりでいられるとは思えないのだが。


「ええ、さっきまで一緒にいたわよ。でも、藤間くんを見つけたから別れてこっちにきたの」

「あなたはもっと友人とそこにある人間関係を大事にするべきだ」


 僕はきっぱりと説く。


 明らかに優先順位がおかしい。お互いの平穏な高校生活のために、もう少し考え方を改めたほうがいいのではないだろうか。


 槙坂先輩が視線で示したほうを見れば、さっきまで彼女と一緒にいたのであろう女子生徒のグループがいた。彼女らは槙坂先輩が顔を向けたことで、手を振ってきた。槙坂先輩も微笑み返す。中には面白がって僕にまで手を振ってくるのがいたが、気づかない振りをしておいた。


「言っておくけど、ちゃんと自分の交友関係は大事にしてるわよ? でも、最近は周りのほうがわたしと藤間くんの関係を気にしてくれてるみたい」

「は?」

「今だって藤間くんを見つけたのはわたしじゃなくて、一緒にいた友達のほうよ。近ごろ多いのよね、こういうこと。だったら期待には応えるべきだと思わない?」

「……」


 槙坂先輩は人として至極まっとうなことを説くようにして微笑むが――迷惑な話だ。いったい世間での僕の立ち位置はどうなっているのだろうな。すでに既成事実として成立してしまっているのか、それとも我らが槙坂涼に冷たい態度を取り続けているひどい男なのか。いずれにしてもあまり確かめたくない疑問ではある。


 こうして僕は槙坂先輩と連れ立って第一体育館へと向かうことになった。




                  §§§




 体育館ではすでに車椅子バスケのパフォーマンスがはじまっていた。


 僕と槙坂先輩は壁際に立ってそれを見学する。ギャラリィの前のほうは座ってくれているとは言え、ここからではそれほどよく見渡せるわけではない。尤も、僕はパフォーマンスそのものよりもこのイベントの雰囲気を見にきたので、あまり気にはしていなかった。


 進行役はクラブの一員であり、この学校の生徒でもある伏見唯子先輩。車椅子バスケがどのようなものかの説明にはじまり――トラベリングはどう判定するのか、競技に使われる車椅子の車輪はなぜ斜めについているのかといった素朴な疑問への回答。さらにはドリブル、パス、シュート、速攻などの実演が次々と行われた。その最中、選手同士の接触で車椅子ごと倒れたときには見ている生徒から悲鳴が上がったが、当人たちは当たり前のようにひょいと起き上がっていた。健常者にとってはどきっとするシーンだ。


 見学する生徒はやはり一年生が多いようで、伏見先輩はその中の何人かをつかまえ、車椅子に乗ってもらったりもしていた。さすがに三年目となると慣れた進行っぷりである。


 この競技に使われる車椅子には背もたれもなければ、ブレーキもない。慣れていないものにとっては扱いがとても難しい。いざ前に進めてみれば、停止するには回るハンドリムを力で止めるしかない。体験した生徒はそれがうまくできず、結局、クラブ員の人たちに止めてもらっていた。


「今年も一段と見学者が多いな」


 僕はパフォーマンスを見にきた生徒のほう目をやり、感想をこぼした。


「藤間くんとしては感慨深いものがあるんじゃない?」

「……どうしてそう思う?」


 隣にいる槙坂涼の発した言葉があまりにも不意打ちで、僕は反応が遅れてしまった。思わず槙坂先輩を見ると、彼女もこちらを見ていて――意味ありげに微笑んだ後、語り出した。


「今ではすっかり恒例行事となったこのイベントだけど、はじまったのは一昨年。わたしがまだ一年生のときね」


 槙坂先輩の視線が体育館の中央に戻される。


「当時の実行委員の中に美沙希がいて、彼女から唯子に打診があったそうよ。球技大会の一環として、クラブで何かパフォーマンスをやってくれないかって」

「らしいね」


 僕は彼女の横顔を見つめたまま、警戒気味に答えた。




「その企画、あなたが美沙希に持ちかけたのよね?」




 さらりと、彼女は核心へと踏み込んでくる。


「まるで僕が黒幕みたいな言い方だな」


 僕もコートへと目を向ける。


 このまま槙坂先輩を見ていると、いきなり彼女がこちらを見そうだから。そうなれば僕はきっと、咄嗟に目を逸らすことだろう。


「きっとあなたはどこかで偶然、唯子を見かけたのでしょうね。例えば、週末には市の体育館を借りて練習しているらしいから、そのときとか」

「……」


 いや、仮にそうだとしても伏見先輩が明慧大附属の生徒であることまでは知りようがないはずで、それがわからなければ美沙希先輩を通してこんな企画を持ちかけることもできない。


(むしろ偶然は、美沙希先輩が入学したこの明慧を見にきたときに起こったと言える)


 僕がよく利用する公共図書館には体育館が併設されていて、そこで何度か見かけていた車椅子バスケに打ち込む少女が、制服を着てそこにいたのだから。


「唯子のスター性を見出したあなたは常々思っていたはずよ。唯子のように周りにいい影響を与える人間は輪の中心にいるべきだと」

「だから僕がそうなるように画策した、と?」

「想像だけど」


 彼女は、そうだとは断言しない。突きつけない。代わりに「どうせ藤間くんのことだから『槙坂涼』なんかより影響力は大きい、なんて思ってるのでしょうね」と、くすくす笑い出す。


 でも、残念ながら間違っている。


 僕が明慧に遊びにきたときに見た彼女に、スター性は皆無だった。コートの中で大きな声を張り上げて活き活きしていた彼女も、学校では周りに気を遣われて、とても窮屈そうだった。


 それは違うんじゃないかと、僕は思った。

 彼女の本来の姿も。彼女の立つべき場所も。彼女の扱い方も。何もかもが。


 だからこそ、僕はきっかけを作りたかった。その何もかもを変えてしまうきっかけをだ。


「……もしそれが本当だったら?」

「あまり褒められた話じゃないわね。誰かをむりやり舞台の上に引っ張り上げて、強引に主役に据えてしまうような行為は」


 槙坂先輩はそう断じた。


「でも、今回のはいいんじゃないかしら。一昨年のこのイベントをきっかけに唯子の学校生活はいい方向に変わったし、周りも彼女と接しやすくなった」

「……」


 それでも僕は、彼女の想像を認める言葉を吐かない。


「それに――わたしも藤間くんに同感よ。唯子を見てると気持ちが明るくなるわ。あの子はそういう得がたい性質の持ち主なんでしょうね」


 槙坂先輩は、自分の想像が当たっていようが外れていようが、僕が認めようが認めまいがかまわないようだ。僕が否定も肯定もしないときの意味をよく知っているのかもしれない。


 コートでは試合形式のゲームがはじまっていた。このイベントの締めだ。


「ところで、藤間くんは何に参加してるの?」


 槙坂先輩は話題を変えてきた。


「僕は卓球をね。目立たず地味にやらせてもらってる。ついさっきも勝ってきたところさ。実に順調だよ」

「卓球……」


 微妙な反応だった。


 まぁ、当然だろう。この球技大会の花形とは言いがたい。やはり人気は、団体競技ならサッカー、バスケットボール、ソフトボール。個人種目ならテニスあたりだろう。応援にも熱が入る。


「知ってるか? 『天使の演習』の店長って中学生のころ卓球部だったそうだ。後陣でとにかく相手の球を拾って拾って拾いまくってミスを待つのが得意だったんだとか」

「初耳。でも、そう言えば最近、藤間くんとマスターってよく卓球の話をしてたわね」


 ついでに時々ひとりで店に行ってはアイスコーヒー一杯で居座って、閉店後におしえてもらったりもしていた。


「あなた、意外と真面目というか、学校行事に本気になるタイプだったのね」


 その話をすると、槙坂先輩はそう言って笑うのだった。


「行事は楽しむのが僕の信条でね。……そっちは?」

「わたし? わたしはテニスよ」


 答えながらすくい上げるようにラケットを振る真似をしてみせる。


「ふうん」


 槙坂先輩はテニスか。彼女に相応しい花形種目だな――と考えていると、槙坂先輩が面白がるように人の悪い笑みを見せた。


「残念ね。こんな素っ気ない格好で。わたしのテニスウェア姿、見たかったんじゃない?」

「安心してくれ。そんなこと考えもしなかったから」


 まぁ、似合うだろうけど。


「あら、男の子ってああいうひらひらした短いスカートが好きなんじゃないの?」

「頼むからそういうところを無遠慮に突いてくるのはやめてくれ」


 やっとのことで吐き出した言葉が否定ではないのが、我ながら情けないな。味方してくれる男は多いと思いたいところだ。


「そっちこそ、そんなに見せたかったのか?」

「見せ……!? ち、ちがうわ。自分から見せるなんて。おかしな女みたいに言わないでっ」

「は?」


 なぜかすごい剣幕で怒られてしまった。


「……あ、いや、僕が悪かった。言いすぎたかもしれない」


 と謝りつつも、僕としては言いすぎた自覚はなかった。女の子ならユニフォームに対する憧れみたいなものがあってもおかしくはなさそうだし、槙坂先輩もテニスウェアを着てみたかったりするのだろうかと思っただけなのだが。どこかに禁句があったのかもしれない。地雷とはどこにあるかわからないからこそ地雷ということか。


 僕と槙坂涼の間で微妙な空気が流れる。


 もとより五分程度しか時間をとっていなかったようで、コートではゲームが佳境に入っていた。


 選手のひとりが片手でドリブルをしながら、もう片手で車椅子を巧みに操り、一対一でディフェンダを抜き去った。そのままシュートまで持っていく。ギャラリィからは拍手と歓声が上がった。


 不意に槙坂先輩が、タイミングを計るように小さく咳払いをし、口を開いた。


「藤間くん、さっき勝ったって言ったわよね?」

「ああ、まぁね」


 何かスポーツをやっている生徒は、その種目を避ける決まりになっている。最初は現役部員が素人相手に圧勝、決勝付近は部員同士、経験者同士の対決、なんてことになっては面白くないからだ。なので、素人でありながらそこそこ練習した僕は、今のところ順調に駒を進めているのである。


「わたしもよ。まだ負けずに残ってるわ。だから――ねぇ、勝負しましょうか」

「勝負?」


 テニスと卓球テーブルテニスでか? まさか。


「どちらがより多く勝ち進められるか。わたしが勝ったら、何か藤間くんの秘密をひとつおしえて」

「秘密、ね。僕に好きな女の子の名前でも言えと?」

「そんなの面白くないわ。わたしの名前が出るに決まってるもの」

「……」


 ああ、それもそうか。


「あ、でも、まだちゃんと口にしてもらってないから、それを言わせるのも面白そうね」


 その口許に浮かぶのは悪魔の笑み。

 僕はその迷惑な企みを遮るようにして話を進める。冗談じゃない。


「逆に僕が勝てば、槙坂先輩の秘密をおしえてもらえるのか?」

「それでもいいし、別のことでもいいわよ。あなたが考えて」


 つまり平たく言えば、何でも言うことを聞く、ということか。


「それは面白そうだな。せっかくだからその勝負、受けて立とうか」


 とは言え、彼女に対して要求することなんて、今は特に何も思い浮かばないのだが。経験上こういうときは何もせず貸しを作っておくのが無難だ。ついでに言うと、たぶんそれは考える必要がない。なにせ先ほどの試合は辛勝だったのだ。次かその次くらいで敗退するだろう。槙坂先輩がそれ以上に勝ち進めば、この勝負は彼女の勝ちだ。僕が勝ったときのことなんて、考えるだけむだというものだ。


 ならば、こんな勝負に乗るのはなぜだろうな。予定調和の戯れか。


 体育館にホイッスルが響き渡る。ミニゲームが終わったらしい。館内が割れんばかりの拍手で満たされた。どっちが勝ったかなどどうでもよかった。車椅子でもスポーツができる、人を魅了するプレイができる、そのことに心を打たれ、皆、拍手をしているのだ。このイベントはきっと見たものの心に何かを残すことだろう。


 さて、じゃあ僕は、槙坂涼に明かしてもいい秘密でも考えておくとしよう。

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