挿話2 こえだDays<下>

 藤間真は凡庸、平凡を自称する。もしくは、ただ本が好きなだけの一介の高校生、とも。


 確かに新入生の間で噂になるようなこともなければ、実物を前に女の子がきゃーきゃー騒ぐこともない。……噂になるような有名人なら、ちゃんと別にいるのだ。


 小枝はそんな凡庸な先輩を、正直、ちょっと気になっていた。


 むしろ凡庸大歓迎。

 自分だって突出した才能も能力も、容姿もないのだ。高い倍率の前では敗北は必至だ。


「凡庸っていうか、汎用性高すぎんだろー」


 だが、小枝は現在の状況に対し、ぼやくようにつぶやく。




 藤間と親しくなって程なく紹介されたのが、古河美沙希だった。


 彼女にまつわる話は、新入生である小枝の耳にも偶然入ってきて、知る人ぞ知る有名人であるらしかった。藤間とは同じ中学校の出身で、そのときからの先輩後輩。彼のことを舎弟と呼んでいて、ずいぶん気に入っているようだった。


「美沙希先輩、こいつそこで拾ったんですけど、飼っていいですかね?」


 そんな紹介(?)のされ方をして、小枝は思わず藤間を蹴りたくなったが、しかし、猫に似たそれよりもはるかに危険な動物の前につれてこられたような気分で、はっきり言ってそれどころではなかった。


「おう、真から聞いてる。アタシ、古河美沙希。よろしくな」


 だが、彼女は「そんな犬猫みたいな言い方があるかッ」と藤間を殴り飛ばしつつ、悪ガキのように笑うのだった。以来、小枝のこともかわいがってくれている。




 そして、極めつけが槙坂涼だった。




 知る人ぞ知るの古河美沙希に対し、こちらは知らない生徒はいないと言われるほどの超有名人。


 端的に言うなら、長い黒髪がよく似合う大人っぽい美人だ。整いすぎるほど整った美貌はともすれば冷たく硬質になりがちだが、彼女の場合はやわらかい雰囲気をもまとっていて――そのせいか男女問わず憧れの的となっている。


 そんな彼女と藤間を通して知り合った。今では「サエちゃん」である。きっと一年生で名前で呼ばれているのなんて自分くらいだろう。それが小枝の密かな自慢だった。


 だが、そのハイスペック完璧超人が、どういうわけか凡庸を自称する藤間に熱烈なアプローチをかけているのだ。いったい何が起こっているのやら。


 兎も角、藤間は自称凡庸にあるまじきつき合いの広さだった。


 世の中わからないものだと、小枝は首をひねる。




「何のことだよ?」

「さーねー」


 しらばっくれる小枝。


 あまりにも奇妙な事態のせいか、槙坂涼の出現に小枝はそれほどショックを受けなかった。所詮は憧れ以上恋愛未満だったということだろうか。その上、一年生ではなかなかお近づきになれない学園のアイドルと親しくなれたのだ。得した気分はある。


「でもさー、涼さん>真、なんだから、あたし的にはプラス?」

「よくわからないけど、確実に失礼なこと言ってるだろ」


 今日も今日とて同じ授業を受けた後、中庭の小道を一緒に歩きながら、隣の藤間がそう返してくる。


「え、何か異論ある? 特に、涼さん>真ってところ」

「いや、ないな」


 藤間はあっさり認めた。


「僕とあの人じゃ比べるべくもないよ」

「……」


 小枝は、こんな彼の態度を見ていると、最近では「韜晦してるなー」と思うようになっていた。確かに前々からそうは思っていたが、今では確信している。何か隠している、と。少なくともあの槙坂涼が熱を上げるくらいの何かが、藤間にはあるにちがいない。


 因みに、韜晦という単語は、藤間の口から発せられたときに初めて聞いた言葉で、意味を問うと「自分で調べろ」とあっさり一蹴されたのだった。


「あー、もう、むかつくー」


 とりあえず蹴ってみる小枝。


「痛っ。……お前ね、何があったか知らないけど、僕に八つ当たりするのやめろよな」


 でも、藤間はやっぱりいつも通りで、隠された何かが見えてくることはなかった。


「ていうかさ、真ってなんであの日、あそこにいたの?」


 小枝は気を取り直し、前から疑問に思っていたことを聞いてみる。


「あの日?」

「ガイダンスの日」


「ああ」と藤間は納得する。小枝の中では話がつながっているのだが、テレパシストでもなんでもない彼にわかるはずもない。


「あんなに早くくる必要ないよね?」


 明慧学院大学附属高校では二期制を採用していて、前期と後期の最初にはガイダンスが行われる。初年次である新入生に対してはかなりの時間をとっているが、二年目、三年目となる上級生はさらっと流す程度。あの日、二年生のガイダンスは午後からで、藤間が午前中から学校にいる必要はないはずなのだ。


「そりゃあ何か面白いことがないか探してたに決まってるだろ」


 藤間は言い切った。


 こういう人だよなー、と小枝は思う。学校生活を楽しくするためには、多少面倒なことでも自ら首を突っ込んでいくのだ。槙坂涼に言い寄られている今なら、毎日がバラ色、ラ・ヴィ・アン・ローズだろうにと思うのだが、そっちは彼の望むベクトルではないらしい。


「で、何かあったの?」

「そうだな……遅刻ギリギリにきた挙げ句、行く教室がわからなくて途方に暮れてるやつがいたな」

「あたしだーっ」


 まさしくそれが藤間との出会いである。


「ま、実際のところ、こえだだけじゃなかったけどな」


 藤間が言うには、新入生の初々しい姿を眺めつつ、困っていそうな生徒がいたら声をかけるつもりだったらしい。でも、案内や誘導の先生が何人かいたため、特にすることはなく――結局、ガイダンスの開始時間ギリギリに駆けてきた数人に道をおしえてやった程度だったそうだ。もちろん、小枝もそのひとりである。


「そんなこと言って、本当はかわいい女の子さがしてたんだろー」

「それもあるな」


 あるのかよ。


「因みに、成果のほうは文句なしだ」

「陰で何やってんだかわかったもんじゃないなぁ」


 小枝は深々とため息を吐いた。


「その言い方は僕としては心外なんだけどな……まぁ、いいか」


 隣で藤間が何か言いたげに頭を掻いていたが、小枝はそれを無視。


 先ほどは『槙坂>真』などと言ったが、実際には『槙坂≧藤間』くらいに思っていた。しかし、今のやり取りで下方修正を真剣に考えはじめるのだった。




                  §§§




 その日の放課後のこと。


 小枝は最後の授業があった教室で、仲のよい友人たちとともにおしゃべりをしていたのだが、際限なく続きそうだったそれは、突如ひとりが用事を思い出したことで打ち切られた。


 教室の施錠を引き受けて友人たちを先に帰し、小枝は今、その鍵を返却すべく職員室に向かっていた。


 渡り廊下に差しかかる。


 昼間の藤間の話では、彼はあの日、登校してくる新入生をここから眺めていたらしい。無論、小枝のこともだ。


 その渡り廊下から中庭を見下ろしてみれば、最後の授業が終わってからかなりの時間がたっているせいか、そこに生徒の姿はなかった。


 いや――。


 小枝は足を止める。


 女子生徒がひとりだけいた。小枝と同じ一年生のようだ。彼女は落としものでもしたのか、何かを探すように下を見ながら、中庭をゆっくりと歩いていた。


 声をかけるべきだろうか、と小枝は悩む。


 しかし、相手は知らない子で、本当に探しものをしているとはかぎらなくて……。


(やらない理由を並べるのって簡単だなぁ)


 思わず自嘲する。


 果たして、あの日の彼は困っている自分を見て、一瞬でも躊躇っただろうか。きっとそんなことはなかったにちがいない。……尤も、あの性格だ、面白いものでも見つけたかのように、嬉々として近づいてきた可能性もあるが。


 小枝はさっそく階下へ降りる階段へと足を踏み出した。




 因みに、この後にはしっかりとオチがつく。


 その女子生徒は確かに落としものをしていて、ふたりでそれを見つけ出すのだが、その最中に小枝が持っていたはずの鍵がいつの間にかなくっていて、今度はふたりでそれを探す羽目になったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る