第6話<中>
待ち合わせの時間が十一時だったこともあって、寄り道で少しばかり長居をしていたら、もう正午は目の前だった。
ひとまず先に昼食にしようということになり、駅前の通りにあるオムライスの専門店に入った。昼どきともあって、古きよき時代のイギリスの農家のダイニングを模したという店内には、その内装に相応しいユニフォームに身を包み、頭にスカーフを巻いた女性の店員たちが忙しそうに行き来している。
席に案内された僕たちは、それぞれ店の自慢のオムライスが載ったランチプレートを注文した。
「美沙希はわかるのよ、美沙希は。同じ中学校だから。でも、あなた、サエちゃんとはどこで知り合ったの?」
食事中、前から聞きたいことがあったと、槙坂先輩が切り出してきたのがこれ。
彼女の前にあるのはオムライスとハンバーグのプレート。どちらにも同じこの店特製のデミグラスソースがかかっている。普段学校に持ってきている弁当よりも幾分か多い量だが、特に問題はないようだ。
一方、僕のほうのプレートには、スタンダードなオムライスに、マッシュポテトとベ
ビーリーフが添えてあるだけ。単純にプレートに載っているものの量なら、こちらのほうが少ないだろう。
「もちろん、この四月に、学校でさ」
「ふうん。引っかけられるのだけじゃなくて、引っかけるのも得意だったの?」
含むところのあるような言い方をする槙坂先輩。……引っ張るな、おい。僕を鉄拳制裁の対象みたいに言わないでほしいものだ。
その不満が顔に出ていたのか、彼女はジンジャーエールをひと口飲み、続ける。
「だって、藤間くん、前科があるじゃない。毎年そんなことをやっているのかと思ったわ」
「……」
そう言えば、去年の四月も似たようなことやったんだったな。なんだ、鉄拳制裁でいいんじゃないか。
「ま、些細なことだよ、こえだと知り合ったきっかけなんて」
人と人の出会いなんて、石を投げたら当たるくらい、日々たくさん転がっている。何せ隠れているにも拘らず見つけ出されて、出逢わされるくらいだ。ただ、その些細なきっかけも、二回続けばその縁を大事にしたいとは思う。先ほどの彼女たちだって、どこかで偶然もう一度会えば、改めてゆっくり話をしたりするかもしれない。
槙坂先輩は食べる手を止め、僕の顔をを見た。
「藤間くん、やっぱりその眼鏡――」
「みなまで言ってくれるなよ」
言いかけた彼女の言葉を、僕は自嘲気味の発音で遮った。
実は眼鏡を選んだときに一緒に買ったケースを家に忘れてきてしまったのだ。まさか鞄やポケットに裸で突っ込むわけにもいかず、おかげで外すに外せないでいた。ここぞというときに慣れないことをするものじゃないな。
「後でテキトーなケースを買うよ」
「あら、いいじゃない。そのままかけておいたら?」
そのことを話し、善後策を提案すれば、彼女はそんなことを言うのだった。似合わないと言っておきながら。晒しものかよ。
「そうね。今度はサングラスにしてみたらどうかしら?」
「それも考えなかったわけじゃないんだけどね」
ランチにふたつついていたパンのひとつを千切りつつ、僕は答え――そうしてからパンを口に放り込んだ。
「何か問題でも?」
「色のついたレンズで目を覆ってしまうともったいないと思ったのさ」
「あら、ずいぶんとナルシストな台詞ね」
槙坂先輩はくすりと笑う。
別にそんなんじゃないんだけどな。ま、いつか話すこともあるだろう。
§§§
昼食後、ようやく当初の目的である百貨店に足を踏み入れた。
そこは二年ほど前の大々的な改装の際に、安価で若もの向けな新興ブランドも取り入れ、一気に客を増やすことに成功したとして、当時大きな話題となっていた。それは決して一過性のものではなかったようで、不断の企業努力により今も続いているようだ。日曜日の今日などは、入り口を多くの人がひっきりなしに出入りしている。二枚の自動ドアの間にあるフロア案内を見るために立ち止まった僕らは、軽く邪魔もの扱いだった。
案内板によると、レディースの売り場には3フロアを割いているようだ。
ついでに書店の場所も確認しておく。最上階に大手書店の名前があった。本屋は基本的に目的買いよりは、ふらっと入ることのほうが多く、こういう高層建築物で三階以上にあるとかなり客の入りが厳しいと聞く。ここも売り場面積のわりには、案外苦戦していたりするのかもしれない。
僕たちはエスカレータで、レディースの若もの向けブランドが集まるフロアへと上がった。
先の改装のときにフロアデザインも同時に見直したらしく、空間を大胆に使っていて、見るからに広々としている。百貨店と言うよりは最近のショッピングセンターに近いかもしれない。
まずはぶらぶら歩きながら見て回る。
「藤間くんはどんなのが好み?」
「僕にわかるわけないだろ」
前にも思ったが、この手の質問は男に正解はむりだ。ならば、迂闊なことは言わないのが吉というものだろう。
若もの向けを謳っていても、いくつかの安いことで有名なブランドを除けば、やはりそこそこ高級感はあるようだ。僕たちのような高校生には、駅前の通りに並ぶ店のほうがいいのかもしれない。とは言え、槙坂先輩にかぎって言えば、大人っぽいので価格にさえ目をつむれば、こちらのほうが彼女向きだろう。
「いらっしゃいませ、お客様。今日は何をお探しですか?」
通りかかった店舗で、槙坂先輩が目についた服を手に取った瞬間、待ち構えていたように女性店員が声をかけてきた。実際、待ち構えていたのだろう。彼女ほどの美貌とスタイルなら、薦める側もやりがいがあるというものだ。
「ええ、夏ものを、ね」
「でしたら――」
槙坂先輩と店員のやり取りがはじまる。
何となくそれこそ若もの向けショップのタメ口な店員をイメージしていたのだが、そうでもないらしい。さすがにそこは百貨店というところか。一方の槙坂先輩は、次々とアイテムを出しては並べていく店員相手に、そつなく受け答えしている。僕なら「必要があれば呼びますから」と追い返しているところだ。
そんなことを思いつつ眺めていると、いきなりこちらに振られた。
「彼氏さんはどう思います?」
僕が話に入りやすいようにとの意図か、店員の口調はややフランクだった。
「ああ、僕はそういうのじゃないんで。付き添いみたいなものですよ。おかまいなく」
正解が存在するかも怪しい問題に口を出すつもりはない。もしかしたら金くらいは出すかもしれないが。
そこに間髪いれず槙坂先輩が割って入ってくる。
「この子、すぐあんなことを言うんです。照れてるのかしら。人前じゃいつも素っ気なくて」
「……」
人前だけじゃなくて、本人の前でもそうしているはずなのだが。
「もしかして年下ですか? かわいい方ですね」
そして、「あら」と何かに気づいたように声を発した。
「それ、伊達眼鏡ですよね?」
さすがにこういう仕事をしているからか、すぐにこの眼鏡が単なるファッションだと気がついたようだ。やはりかけ慣れた感じがないのだろうか。だとしたら、自分で思っているよりも浮いているのかもしれない。
「素敵です。よく似合ってますよ」
「そう、ですか?」
しかし、思わぬ高評価に軽く面食らう。槙坂先輩とは正反対。感性は人それぞれということだろうか。或いは、職業柄ただ単に口が上手いだけか。
「改めて見ると、とてもお似合いのカップルですね。羨ましいです」
店員は営業スマイル全開だった。こうなるとただ調子がいいだけの人に見えてくるな。滑らかな口調と上手な笑顔が裏目に出ている。
「ここに男性用のアイテムがないのが悔やまれますね。あればおふたり一緒に合わせることができたのに。……そうですね。彼女さんがこれを選べば、彼氏さんのほうは――」
と、商品がなくとも自分の考えを饒舌に述べていく店員。ファッションに疎い僕としては非常に参考になるのだが……僕じゃなくて槙坂先輩の相手をしろよと思う。客はあっちだろうが。
「大丈夫です。彼氏さんくらいなら何を着ても――」
「藤間くん、次に行くわよ。……またくるわ」
不意に槙坂先輩が鋭く言葉を発した。
後半は店員に向けたもの。彼女は突き放すようにそう言うと、店舗を出ていった。僕も後を追う。背後からは「またのお越しをお待ちしています」の声が聞こえてくるが、たぶんもうくることはないだろう。もとより先の槙坂先輩のような台詞は、たいてい気に入るものがなかったことを意味するわけだが、今の場合は商品とはまた別のところに原因があると思われる。……今日はまたずいぶんと面倒な性格になっているな。
「困ったものね」
僕が隣に並ぶと、槙坂先輩はため息まじりにこぼした。
果たして、これは僕が悪いのだろうか。まぁ、彼女がこうなっている以上、以後は僕も気をつけるつもりでいるが、話しかけられる分にはどうしようもない。
少し理不尽なものを感じつつ問い返す。
「僕がか?」
「わたしがよ」
なるほど。自覚はあるらしい。
エスカレータに差しかかった。どうやらこの階にはもう用はないようだ。
「ふたつ上の階に行くわ。その間だけ待って。それで普段通りに戻すから」
槙坂先輩は昇りのエスカレータに乗った。前の人の背中を睨むようにしてまっすぐ前を見る彼女に、僕も黙って続いた。
果たして、そんな短時間で気持ちをフラットにできるものなのだろうか。いや、槙坂涼ならやるのだろうな。それくらいのセルフコントロールは。
僕たちはエスカレータでゆっくりと上へ運ばれていく。
まずはひとつ上の階。下と同じくファッションフロアだが、若もの向けや新興のブランドなどは姿を消し、もっと上の年齢層をターゲットとした有名ブランドばかりのようだ。百貨店らしい落ち着きのある雰囲気だ。
さらにもうひとつ上へ。
ここもレディースのフロアのひとつだが、これまでのふたつとは少々異なり、装飾品や小物雑貨の店が多いようだ。後は、いわゆるランジェリーショップであるとか。
「あそこに行ってみましょうか」
そう言った槙坂先輩に、先ほどと変わった様子はない。まぁ、もともと彼女内部の問題なのだから、それを解決したところで外からではわからないだろう。
槙坂先輩の視線の先は、とても華やかな一角だった。見た目はカラフル、それでいて夏一色。特設コーナーらしく、夏のみの期間限定、女性限定――つまるところ水着売り場だった。いや、ちょっと待て。
「行くならひとりで行ってくれ」
そんなところ行けるかよ。
「あら、どうして? 藤間くんの好みも聞きたいわ。服よりは簡単でしょう? 面積が少ない分、考慮する要素は少ないわ」
「勘弁してくれ」
簡単であることと、それを口に出して言えるかどうかは、また別問題だ。
「僕にいやがらせしてるだけだろう」
「そうでもないわよ。確かに困ってる顔を見るのは楽しいけど」
槙坂先輩はいたずらっぽく笑う。
本気で聞いているのならたちが悪いし、困らせるつもりならなおのこと悪い。つまり、結果的に百パーセントいやがらせだ。
「仕方がないわね。じゃあ、あっちは?」
そう言って槙坂先輩は、特設コーナーとは別の方向に体を向ける。と、そちらには先の女性ものの下着を専門に扱う店があった。
「ない」
「でしょうね」
きっぱりと言い切る僕と、微苦笑の彼女。
「兎に角、あっちに行きましょう?」
さすがにこの流れで僕をそこにつれていったりはしないだろう。目指すは向こうに見える小物雑貨の店あたりか。僕は男子禁制の店には目を向けないようにしつつ、槙坂先輩の横を歩く。
「でも、その、真面目な話なんだけど――」
と、件の店にさしかかったところで、槙坂先輩は話を切り出してきた。
「藤間くんは……女の子には、ど、どんなのを着てほしい? その、参考までに、だけど……」
改まった、というよりは、むしろたどたどしいとも言える話し方で聞いてくる。
水着は諦め、下着は当然論外で――再び服の話に戻ったらしい。
「まぁ、似合えば何でもいいんじゃないか」
わざわざ真面目な話と前置きしているのだ、こちらとしても多少なりとも誠実に答えるべきだろう。尤も、男の僕の意見など参考になるか怪しく、さっそく無難な回答になってしまっているわけだが。
「じゃ、じゃあ、わたしにはどんなのが似合うと思う……?」
そして、当然ながら質問は、槙坂先輩個人を想定したものへと移る。
「そうだな。槙坂先輩なら、やっぱり大人っぽいのかな?」
「えっと……く、黒、とか?」
「今の時期、黒は見た目からして暑くないか?」
「そ、そう? こういうのに時期は関係ないんじゃないかしら……?」
「うん? そう、なのかな?」
そう言われると、僕もファッションに特に明るいわけではないので、自信がなくなってしまう。
確かに、この前立ち読みしたファッション誌にも『夏こそ黒コーデ』なんて記事もあったし、夏だからといって黒を避ける理由にはならないのかもしれない。
「まぁ、それに一概に黒が大人の色とも限らないような気もするな」
「そ、そうよね。色よりやっぱりデザインよね!」
なぜか喜色満面の槙坂先輩。何が琴線に触れたのだろうか。
「藤間くんは、その、どういうのが好みなの?」
「清楚な感じ、かな?」
槙坂先輩なら、だけど。
「清楚で、且つ、大人っぽいやつね? それなら大丈夫だわ。わたしも派手なのは好きじゃないし。あなたを驚かせるようなことにはならないと思うわ」
槙坂先輩はやや力を込めて答える。
派手で驚くようなのって、どんなだ? パンク系とかだろうか? 槙坂先輩のパンクファッションなら、それはそれで見たい気もするな。まるでガールズロックバンドのようだが、残念ながら学園祭の舞台以上のものにはなりそうもない。
「まぁ、実際に見せてもらえれば感想くらいは言えると思う」
「え?」
途端、驚く槙坂先輩。
「あの、見せるって……やっぱり、着て……?」
「そりゃそうだろ。似合うかどうかを見るわけだし」
服だけぽんと見せられても判断のしようがない。僕はそんな高度な想像力は持ち合わせていないし、誰もがそんなことができれば売り場の試着室など無用の長物だ。
「じゃ、じゃあ、また今度……」
槙坂先輩は消え入りそうな声でつぶやいた。
しまった。今日の服もよく似合ってると思うのだが、言うタイミングを逸したな。今から褒めても取ってつけた感じになりそうだし。今うっかり「今日のはよく似合ってるんじゃないか」なんて言ったら、大惨事になりそうな気がする。
「ところで――結局、どこに行くんだ?」
さっきからこのフロアをあてどなく彷徨ってる気がするのだが。
「えっと……藤間くんさえよかったら、今からでもさっきのランジェリーショップに……」
「行くかっ」
「え? そ、そうなの?」
思わず足を止めて言い返せば、なぜか槙坂先輩は仰け反りつつ目を丸くする。
今までの会話にそんな流れがあったか?
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