第3話<4>

 見上げた僕と切谷さんの視線の先に、槙坂涼がいた。


「……」


 まさかこの場に槙坂先輩が現れるとは思わなかった。いや、ここは彼女の地元だから十分にあり得ることだったか。むしろ僕がうっかり槙坂涼の行動範囲テリトリィに飛び込んでしまったというべきなのかもしれない。


「今日は一日会えないと思ってたのに、奇遇ね。嬉しいわ」


 テーブルの脇に立つ彼女は、大人っぽい笑みを浮かべてそう言う。


 にしても、愉快なときに鉢合わせしてしまったものだ。さて、どうしたものか。


「お葬式は終わったの?」

「つつがなくね。僕の務めは果たしたよ」

「そう」


 と、納得した後、槙坂先輩はちらと切谷さんに目をやった。さすがに見逃すわけがないか。


「ところで――そちらは? 親戚の方?」

「葬儀の会場で声をかけた女の子だよ。なかなかかわいいと思わないか?」

「ええ、確かに」


 僕の言葉に彼女は素直に同意した。


 因みに僕はというと、向かいに座る黒セーラー服の少女にテーブルの下で足を蹴っ飛ばされ、切りそろえた前髪の下にある吊り気味の目で睨みつけられていた。


 槙坂先輩は少しばかり考え、


「『かわいい子だから声をかけた』とは言ってないわね。『かわいい』ことと『声をかけた』ことは相互に無関係。でも、藤間くんはきっと嘘は言ってない。ただ、まだ言ってないことがあるだけ。ちがう?」

「……」


 なかなかの読解力だ。やはりこの程度では騙されてくれないか。


 と、そのときだった。


「……帰る」


 そう簡潔にひと言発して、切谷さんが立ち上がる。


「コーヒー代、どうしたらいい?」

「別にいいよ。僕が出す」

「そう。ありがと。じゃあ、またね。……真」


 奢ってもらうことをあっさりよしとし、切谷さんは槙坂先輩の後ろを通ってテーブルを離れていった。ドアベルの音と、それと同じくらい涼やかな「ありがとうございましたー」の声が重なる。


「……」


 真、ね。どういう心境の変化だろうな。多少なりとも兄と認めたけど、いきなりそう呼ぶのは恥ずかしいといったところだろうか。にしても、僕は年下から軒並み呼び捨てにされるな。


「……すいぶんと仲がいいのね」

「……」


 槙坂先輩の声の温度が、わずかに下がった。……ああ、なるほど。単に火種を投げ込んでいっただけか。世の中甘くはないな。この程度で打ち解けられるのなら、この世界から兄弟喧嘩はとっくになくなっているはずだ。


「妹さんらしいですよ」


 そこにやってきたのはキリカさん。


「もー、藤間くん、なかなか説明しないから、横で聞いててはらはらしましたよ」


 聞いてたのか。その横では槙坂先輩が「妹?」と目を丸くしていた。


 テーブルの上から切谷さんが飲んでいたカップが片づけられ、その席に槙坂先輩が座った。


「今日はどうしましょう?」

「じゃあ、ブレンドをいただきます」

「ブレンドひとつですね。藤間くんもおかわりはどうです? サービスしますよ?」


 僕のカップは切谷さんがいるうちに、とっくに空になっていた。


「では、僕ももらいます」

「はい。じゃあ、ちょっと待っててくださいね」


 注文を書き留めることもなく、彼女はカウンタへと戻っていった。


「妹?」


 向かい合ったところで、槙坂先輩が改めて問うてくる。


「まぁね」

「いたの?」

「たった今あなたも見ただろう? 尤も、僕も見たのは今日が初めてだけど」


 尋常ならざる家庭環境のなせる業だな。


 こちらの複雑な事情に思い至ったのか、ああ、と槙坂先輩は発音した。


「じゃあ、今の女の子が本当の奥さんとの子なのね」

「いや、別の愛人との子だよ」

「ちょっと待って」


 しかし、間髪入れず制止の声。


「ごめんなさい。わけがわからないんだけど……?」

「あれ、言ってなかったっけ? 僕の父親には最大稼働時、正妻の他に愛人が三人いたんだ」


 言ったと思ったのだが、気のせいだったが。


「お待たせしました」


 さっそくコーヒーが運ばれてきた。


 槙坂先輩は話を整理しているのだろう。カップがテーブルに置かれるのを黙って眺め――そして、不意に何かに気がついたように声を発した。


「あれ、このカップ、初めて見ますね」


 カップ?


「あ、わかりました? この前、わたしが選んで取り寄せたんですよ」


 そうなのか? 僕もさっきから同じカップで飲んでいたが、ぜんぜん気がつかなかった。普段からカップのデザインなんて気にしたことがないし、きっと十角形のカップの中にひとつだけ十一角形が混じっていても気がつきはしないだろう。


「今度、気に入ったカップで飲めるサービスをはじめようと思ってるんですよ」

「すごくいいと思います」

「そうですか? じゃあ、槙坂さんのお墨付きももらったし、本気で考えてみようかな。……ゆっくりしていってくださいね」


 店長夫人は嬉しそうに言い、弾むような足取りでテーブルを離れていった。

 まずはそれぞれひと口めを口にする。僕は二杯目だけど、やはり出されたばかりは美味しい。


「つまり、さっきのあの子は藤間くんと同じ立場の子ということ?」


 そして、話が戻される。


「そういうこと」

「あなたのお父様、ずいぶんとモテる方なのね」


 そう言った槙坂先輩の口調は呆れ気味。まぁ、女としては当然か。


「あれは別に財力だけってわけじゃないんだろうな。齢五十過ぎにしてなかなかの美男子だからね。おかげでその子どもたちも、そろいもそろって美男美女ばかりだし」


 遠矢さんに、切谷さん。本妻との子である三姉妹も(中でも特に三女)。みんな人並み以上に目を引く容姿をしていた。


「その中に藤間くんも含まれるわけね」

「残念ながら、僕は実に平均値寄りさ」

「謙遜するのね」


 槙坂先輩はわけ知り顔で微笑する。


 謙遜かどうかはさておき、少なくともやり方次第では平均付近の集団に埋もれることができるのは、この一年で実証済みだ。


「ああ、藤間くんがそのお父様の血を引いてるかと思うと、将来がとても心配だわ」


 急に演技じみた口調でそんなことを言う槙坂先輩。


「何を心配することがある?」

「周りにたくさん女の子がいるじゃない。古河さんに三枝さん、最近じゃ唯子もあなたのことを気に入ってるみたいよ」

「……」


 そんなつもりはないのだが。


「だったら、どうだろう? これを機に僕に愛想を尽かせてみては? きっとお互い気が楽になると思うんだがな」

「大丈夫よ。ライバルが多いほうが気合いが入るもの」

「気合い、ね」


 槙坂涼らしからぬ単語だな。


 当の本人は、気合いとは無縁の澄まし顔でコーヒーを飲んでいる。


「お休みは今日だけ?」

「ああ、明日は登校するよ。それが?」


 またぞろ何か企んでるんじゃないだろうな。


「別に。なんでもないわ」


 一度、首を横に振り、




「ただ、学校で藤間くんの姿が見えないのは寂しいと思っただけ」




 槙坂先輩は、言葉通り本当に何でもないことのように、そうさらりと言い、コーヒーカップを口に運んだ。


「……」


 普段不意打ちを得意としているくせに、どうして忘れたころにストレートに切り込んでくるのだろうか。


 何か企んでくれたほうがよっぽどよかったな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る