第3話<2>
長くも盛大な式典が終わり、葬儀場の前で棺を載せた霊柩車を見送った後、僕は喧騒の中で遠矢一夜に声をかけた。
「すみません。遠矢さんですよね?」
「ん?」
振り返る遠矢さん。彼はさっそく喉もとに指を突っ込み、ネクタイを緩めていた。よく見れば着ているのは礼服ではなく、ダークブルーのスーツだった。この年で礼服を持っているほうが珍しいのかもしれない。そして、間近で見て改めてよくわかる。
(こいつはとんでもない美形だな……)
さぞかしモテることだろう。
誰だ、と目で聞いてくる彼に僕は答える。……先ほど視線を交わしたことは、彼にとって取るに足らない出来事だったのか、すっかり忘れているようだ。
「初めまして。僕は藤間真と言います。あなたと同じ出自の人間、と言えばわかりますか」
「ああ、なるほどな」
遠矢さんは薄く笑う。少し変わったイントネーションの発音だった。
「遠矢さんは火葬場には行かれないんですか?」
遺族席に座っていた面々はいくつかの車やタクシーに別れて火葬場に向かうようだが、彼にその素振りは見えない。
「ええねん。俺みたいなんがそんなとこまで行っても、ええ顔する人間は少ないしな」
発せられたのは端整な顔には似合わない関西弁。確か彼は関西のほうから引き取られたのだったな。
「そうですか。じゃあ、よかったら時間をいただけますか?」
「なんか用か?」
「いい機会ですから少し話をしたいと思いまして」
ふうん、と彼。
「ま、ええか。……ここじゃあれやから場所変えよか」
「その前に彼女もつれていこうと思っています」
僕が視線で示したのは切谷依々子だ。
彼女は、大人同士で挨拶やら立ち話やらを交わしている母親をよそに、つまらなさそうにあたりに目を向けていた。きっと彼女の目にはこの式典もくだらないイベントに映っていることだろう。
「もしかしてあれもか?」
「そういうことです。……ちょっと声をかけてきます」
遠矢さんが「いやな面子やな」とつぶやくの聞きながら、僕は切谷さんに近づく。
「切谷さん?」
不意に自分の名前を呼ばれて振り返った彼女は、じっと僕の顔を見つめてくる。見知らぬ人間と面と向かっているにも拘わらず、彼女の表情はいささかも変わらない。僕は日本人形のようだと感じた第一印象を、よりいっそう強くした。
「……誰?」
「君と同じ愉快な身の上の人間さ」
僕がそう答えると、切谷さんは感情の乏しい発音で「ああ」と納得した。
「……で?」
「よかったら少し話をしないか?」
一瞬「何で?」といった顔をしたが、でも、すぐに考え直したらしい。
「ま、このまま真っ直ぐ家に帰るよりは面白いかもね」
「そういうこと。毎日がつまらないなら、自分で面白くすればいいわけだ」
「……」
何か――それも文句か罵声の類を、言いたげに視線を向けてくる切谷さん。
どうやら当たりか。まったく、昔の僕かよ。美沙希先輩に会わせたくなるな。散々引っ掻き回された後、気がついたときには人生観が変わっていることだろう。
話がまとまると切谷さんは一度母親のところに行き、ふた言三言、言葉を交わしてから戻ってきた。
「これでそろいましたね」
そして僕は、彼女をつれ、待っていた遠矢さんのところに戻る。
「そろたらあかん顔ぶれにも見えるけどな」
「……ひどいメンバー」
「……」
異母兄妹の初顔合わせは微妙に不評のようだ。これではセッティングした僕の立場がない。同じ境遇の人間に興味があったのは僕だけだったのだろうか。
「まぁええわ。どこか落ち着いて話せるとこ行こか」
「だったら私、行きたいところあるんだけど」
かと言って、嫌々行くわけではないらしい。
とりあえず切谷さんがいいところを知っているようだ。こういうとき女の子は頼りになるな。
§§§
遺族が火葬場に行くために呼んでいたタクシーの一台を横取りして、少し離れた駅へと移動した。そこからは徒歩。切谷さんの先導で辿り着いたのは――、
「ヘイ、おまちっ」
威勢のいい声とともにテーブルの上にどんぶりが並べられる。
――ラーメン屋だった。
店に入ったときからわかっていたことだが、出てきたラーメンを見て僕は改めて向かいに座る遠矢さんと顔を見合わせた。
「なに、おにーさんたち、おシャレなカフェとかでカッコよくお茶したかった?」
隣の切谷さんは鼻で笑うようにそう言うと、手を合わせて「いただきます」を口にしてから軽くお辞儀をした。こちらに向けられる態度は人を小馬鹿にしたようなものだが、その仕種は意外にかわいらしかった。しっかり躾けられているようだ。
「別にそういうわけじゃないけどね」
ただ単に女の子の案内でラーメン屋に入るという行動にちぐはぐなものを感じただけだ。
「だって、お腹すいたし」
切谷さんはこちらの違和感をよそに、しれっとそう発音した。
そのあたりは僕も同じだ。午前十一時に葬儀がはじまり、長い長い式典を経て棺を見送ったのが午後二時過ぎ。今はもう三時前だ。
さっそく食べはじめた切谷さんの後を追うようにして、僕もラーメンに口をつける。
なかなか美味しい。女の子はこういう店にも精通しているものなのだろうか。だとしたら、あの槙坂涼も? 彼女にはお気に入りのカフェをおしえてもらったが、いつかラーメン屋につれていかれることもあるかもしれない。
想像するに、その違和感は今の比ではないな。
「食べながら笑わないでくれる? キモい」
「ほっといてくれ」
僕は顔を引き締める。
昼食抜きもさっきまでは特に気にしていなかったのだが、それを意識した途端、急に空腹を強く感じるようになっていた。それはほかのふたりも同じだったようで、三人ともしばらくは黙々とラーメンを食べた。
どんぶりの中身が半分以下に減って、胃も満たされてきたころ、僕は世間話がてらそれぞれから話を聞いた。
遠矢さんは現在大学一年生。文学部に在籍しているらしい。
「今は本家のほうにいるんですよね」
「まぁな」
答えながら彼はやや複雑な表情を見せた。近似値を探すとすれば自嘲、だろうか。
「母親が死んで行き場所がなかったからな」
こちらは特にこともなげにさらりと言ってのける。その経緯は僕もすでに予備知識として知っていた。
「その、どうなんですか? そっちの暮らしは」
「別に。居心地悪くて、そんなにええもんでもないよ」
まぁ、敵も味方も半々ってとこか――何かを思い出したように、そうつけ加える。
「父とは?」
「あの人も忙しい身やからな。同じ家におっても、あんま顔合わせへんわ」
そこで一拍。
彼には関西人にありがちな多弁や饒舌といった印象はなく、要点だけを淡々と話す。
「どちらかというと、死んだじい様のほうにかわいがられたな。あっちは女ばっかり三人やから、突然出てきた男の孫が嬉しかったんやろな。いろんなことおしえてもろたわ。道場で投げ飛ばされたり、山に登ってサバイバルまがいのこととかな。猟銃も撃たせてくれたわ」
「猟銃? ……面白い?」
反応したのは切谷さんだ。今までつまらなさそうに聞いていたのに、そんな非日常的なアイテムには興味をもったようだ。
僕も遠矢さんも、彼女を無視した。
「ああ、悪い。ちょっと無神経やったか」
「いえ、かまいませんよ」
遠矢さんはきっと、本家に引き取られた自分だけがいい思いをしているように見えたかもしれないと危惧したのだろう。
「こっちも不自由はしてませんから」
少なくとも物質的な面で苦労したことはない。それはきっと切谷さんも同じだろう。家族形態の異質さを割り切ってしまえば、人より恵まれた家庭だと言える。
話を戻す。
「だったら、やっぱり今日の火葬には立ち会ったほうがよかったのでは?」
「別にええよ。故人を悼むのに形式に拘ることないわ。人それぞれや。俺はさしあたり、大学を卒業してあの家を出るまでに、じい様の書斎の本を読破しよう思うてる」
なるほど。それが彼なりのやり方か。
「ま、本当はただ単に面倒な法事にこれ以上つき合いたなかっただけやけどな」
と、最後にわざわざ自分でオチをつけたが、たぶんこれは偽悪的な韜晦だろう。
さて、一方の切谷依々子。
彼女は高校一年生。お嬢様学校で有名な女子高に通っているという。言ったのはそれだけで、それ以上は語りたがらなかった。
家庭のことには特に。
たぶん、そこに何かがあるのだろうな。
「悪いけど、俺は先に帰らせてもらうわ」
ラーメン屋を出て、駅が見えてきたあたりで遠矢さんがそう言った。道々その話をしながらここまできたので、唐突な発言というわけではない。
「また何かあったら連絡し」
「わかりました」
彼とのパイプができたのは、今日の成果のひとつだ。
「それと、後のことは頼んだ。俺にはそういう役は向かんからな」
彼は少し離れて後ろを歩く切谷さんに意識を向けながら、僕にそう告げた。
これはただ単に彼女を送り届けろといった類の話だけではないのだろう。彼もまた彼女の様子には気になっていて、その上で話の聞き役を僕に振ったのだ。僕とてそんなに向いているほうではないのだがな。
改札口の向こうに消えていく遠矢さんを見送った後、僕は切谷さんに向き直った。
「さて、送っていくよ」
「……」
試しにそう言ってみるが、無言。
「じゃあ、コーヒーの美味しい店を知っているんだけど、よかったら行ってみる?」
「……別にいいけど」
そして今度は、行ってやってもいい、みたいな態度。
「……」
行きたいのかまだ帰りたくないのか知らないが、それならそれで素直にそう言ってほしいものだ。
ひどい天邪鬼だな。
こんなふうにひねくれたくはないものだ。
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