第3話<1>

 母から祖父が死んだと電話があった。


 これが母方の祖父ならまだしも、僕の父親にあたる人のほうなのだから、そんな訃報を聞かされたところで何の感慨もない。


『そんなわけで、明日大々的に社葬があるから、真も出席しなさい』

「は?」


 祖父の死を聞かされた後、続く母の言葉に耳を疑う。


「なんで僕が? ていうか、まさか母さんも?」

『仕方ないでしょ。あの人が必ず出席するようにって言うんだから』


 母の口調は、突然の法要にもしっかりと都合をつける社会人のそれだった。


 それにしても――と、僕は心の中でため息を吐く。実父であり会社の会長である人の葬儀だから盛大にしたい父の気持ちはわからないでもないが、自分の愛人とその子どもまで呼ぶかよ。


 僕の父は、家は由緒ある旧家で、本人は一流企業の社長という大物だ。現在の日本では、戦後の高度経済成長期に一気に世界に名を轟かせるまでになった複合企業体コングロマリット、宇佐美グループが有名だ。我が父の企業はそこまでの派手さはないが、その代わりに戦前から連綿と連なる歴史があると言っていいだろう。


 そこまではいいのだが、公然と愛人を三人――今はふたり、囲っている。母はそのひとりだ。話の感じからすると、明日の葬儀にはもうひとりもきていることだろう。男としての甲斐性云々みたいなものを誇示したいのだろうか。


「葬式の会場で修羅場とかないだろうな」

『ないない』


 母はあっけらかんとして否定する。


『そんなことになる性格なら、こんな生き方は選んでないわ』


 それもそうか。向こうだって、テレビドラマの如く「奥さんと別れて」みたいなことを言ってくる女性を愛人にしたりしないだろう。


 母は愛した男と良好な関係を築き、子どもを作り、それを利用してではあるが自分の能力を存分に発揮できる社会的地位を獲得した。ある意味では女としての幸せを満喫しているわけだ。何かちがいがあるとすれば、そこに正妻という立場があるかないかだけ。


 母のそういうしたたかさは、僕も見習っている。利用できるものは利用しないと。


「こっちは明日も普通に学校なんだけどな」

『休め休め。真のことだから、どうせ一日休んだくらいじゃびくともしない成績なんでしょうが』

「まぁね」


 頭の中で時間割りを思い出してみれば、明日は槙坂先輩と同じ授業があった。


『学校の制服でいいわ。……時間には遅れないようにね』


 そうして母は言うだけ言って電話を切った。


 正直、面倒だ。

 だけど、いい機会でもある。一度会っておきたい人物もいることだしな。




                  §§§




「そんな事情なので明日は休む」


 母からの電話を切った後、僕はその手で槙坂涼に連絡をとった。


『それはわかったけど、あなたは大丈夫なの?』

「何が?」


 槙坂先輩の心配げな声に、ナチュラルに聞き返す。何について心配されているのかわからなかったのだ。


『お爺様が亡くなられたのでしょう?』

「ああ、そういうことか」


 が、ようやく理解。


「僕の家の事情は知ってるだろう? 父親ともめったに会わないし、その父方の祖父なんて一度も会ったことがないよ。何年も会っていない遠い親戚が死んだくらいの感覚さ」

『そう。それならいいけど。……それにしてもどういう風の吹き回し? 明日休むくらいで電話してくるなんて。わたしの声を聞きたくなった? だとしたら嬉しいのだけど』

「……冗談なら笑えるものにしてくれないか」


 ストレートな問いかけが逆に不意打ちとなって、ずいぶんとありきたりな応手になってしまった。


「この前みたいに心配して押しかけてこられても、僕は家にいないんだ。無駄足を踏ませても悪いと思ってね。世に言う親切心というやつだよ」

『それは助かるわ。でも、理由がないからといって行かないとは限らないのよ? さっそく今度の週末にでもお邪魔しようかしら。「……きちゃった」とか言って』

「……」


 それは新手のホラーか何かだろうか。うっかり中に招き入れそうになるな。


 くすくす笑っている槙坂先輩に僕は言い返す。


「電話は別にあなたにだけってわけじゃないさ。後でこえだにも連絡するつもりだ。あいつも一緒の授業だからね」

『三枝さん? だったらわたしが――』


 しかし、槙坂先輩は言いかけた言葉を飲み込む。


『ううん。何でもない』

「なんだ、こえだと会うから伝えてくれるって話じゃないのか? 僕としてもそうしてくれるほうが楽なんだが」

『そうしようと思ったけど、やっぱりやめておくわ。なんだかずるいことしてる気がするから。あなたから電話してあげなさい』

「まぁ、もとよりそのつもりだったけど」


 明日会ったときにでも槙坂先輩から伝えてくれるなら伝えてくれるで、それでもいいと思うのだが。学校への欠席の連絡じゃあるまいし、人伝で十分だろう。


『そう。明日は藤間くんと会えないのね。残念だわ』

「会ったところでひと言ふた言言葉を交わすだけのことも多いと思うけどな」


 尤も、僕は授業の前後に槙坂涼とその周辺を眺めて楽しませてもらっているが。


『そうね。どうしても周りを気にしてしまってダメね。もういっそつき合ってるって公言したほうがいいかしら』

「狼少年ならぬ狼女にでもなるつもりか? 嘘は感心しないな」


 誰と誰がつき合ってるって?


『狼女って月を見たら変身しそう。……月がきれいな夜は気をつけてね。わたし、藤間くんを襲っちゃうかも』


 槙坂先輩は楽しそうに笑いながら言う。しかも、その笑いが例の如く大人っぽいものだから、台詞そのものに妙な艶があった。


「そうか。なら僕は銀のナイフを持ち歩くとしよう」

『あら、すいぶん素敵な関係ね。今よりずっと魅力的よ』

「どこがだ」


 この上なく殺伐とした関係だ。


 そうして槙坂涼との電話を終え、その後こえだにも明日休むけど心配するなと伝えた。すると彼女は「忌引きって欠席に入らないんでしょ? 羨ましいなぁ」などとぬかしやがった。……まぁ、それでこそこえだだと思わなくもないが。




                  §§§




 翌日の社葬は大きな葬儀場で派手に行われた。大御所芸能人などが亡くなったときによくニュースで見る場所だが、まさか自分がここにくることになるとは思わなかった。さすが大企業の社葬といったところか。贈られた花には例の宇佐美グループの名もあった。


 僕と母は近親者席に座るよう指示された。


 そこから僕は遺族席を見る。喪主には当然、僕の父にあたる人。それから正妻に、嫡子たる三姉妹。そして、末席に僕の目当ての人物がいた。


 名を遠矢一夜とおやいちやというらしい。


 スタイリッシュな眼鏡の似合う怜悧な相貌は、ひと言で言ってしまえば知的美青年といったところか。驚いたことに彼は、遺族席の末席に座りながら、我関せずとばかりに本を読んでいた。なかなか豪胆な神経をしている。


 僕が彼に注目する理由、それは彼が僕と同じく庶子であるからだ。

 つまり彼の母もまた愛人のうちのひとり。


 だが、不幸にも彼はその母親と死別し、今は本家に引き取られているのだという。僕の異母兄。もちろん、半分だけ血がつながっているという点では、本家の三姉妹も同様に僕の異母姉なのだろうが、やはり自分と同じ立場である彼のほうが気になる。


 不意に彼が顔を上げた。何かを探すように視線を彷徨わせた後――僕を見つけた。こちらの視線に気がついたらしい。どんな反応をするのか興味があり、僕は彼の視線を受けつつ、そのまま見続けてみた。


 程なくして、彼は再び本に目を落とした。目を逸らしたわけではなく、ごく自然に。何ごともなかったかのように。どうやら面白くも面白くなくもなかったらしい。ずいぶんと冷めた性格をしているようだ。


(なるほど。彼が、ね)


 と、目当ての人物を目視で確認したところで、近づいてくる人の気配を感じた。


 一組の母娘だった。


 母親のほうは和装で、その上品な雰囲気はまるで高級料亭の女将だ。彼女と母が無言で会釈を交わしたことで、僕はようやくその母娘が何ものか理解した。――こちらと同じ、愛人とその子だ。


 僕は娘のほうを見る。


 こういう場所にはぴったりな喪服の如き黒いセーラー服姿。足は黒のニーソックスに包まれ、短いスカートの裾との間にわずかに肌の部分が覗いている。この手のスタイルにフェティシズムを感じるやつらが見たら歓喜しそうだな。


 僕の知る誰かさんを思い出させる長い黒髪で、前髪はきれいに切りそろえられている。その下にある面貌はというと、意外に和風だ。その上、あの遠矢一夜の異母妹だけあって、よく整っている。まるで日本人形のようだ。


 そして、同時に僕にも似ていた。


 ただし、何年か前の僕だ。


 彼女はこの世のすべてが面白くないかのような、心底つまらなさそうな顔をしていた。何を見ても、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向きそうだ。事実、僕と目が合ったが、挨拶を口にする素振りもなく席に座った。


 切谷依々子きりやいいこ


 確かそれが彼女の名前のはず。今日、僕が会ってみたいと思っていたもうひとりの人物だ。

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