挿話1 槙坂さん、自殺点
挿話1 槙坂さん、自殺点
わたしが住んでいるところは、いわゆる高級住宅地と呼ばれている場所にある。
北部にそびえる山に向かって緩く傾斜した町で、上へ行けば行くほど偉いといった古くからの風潮もあったりするようだ。実際、この土地に古くから住む最有力名家が、北の端のいちばん高い場所に砦のような邸宅をかまえて、町を見下ろしている。
これは少し前の話。
その日、わたしが学校から帰ってくると、家にはいつものように誰もいなかった。
父はそれなりに地位のある勤め人であるから当然のこと、母も絵画教室を開くセレブ妻として忙しそうにあちこち飛び回っている。わたしが帰ってきても、ふたりそろっていないことのほうが多い。子育てに関しては放任主義と言えば聞こえはいいけど、つまるところわたしがしっかりもので手がかからないのをいいことに、ほったらかしにしているだけだ。
尤も、それだからこそ藤間くんが風邪をひいたときにもあっさり外泊ができたわけだけど。
自室に入り、机のそばに鞄を置く。
制服を脱ごうとして――視界の隅に入った姿見に気づき、その手を止めた。そこに映る自分を改めて見る。
人目を引く美貌。
日本人にしては恵まれたスタイル。
洗練された立ち居振る舞い。
その上、学校での成績もよく、品行方正で先生受けもいい。人当たりもいいから生徒の間でも人気が高い。
笑ってしまうほど完璧だった。
周りから望まれる役割をこなそうと努力しているうちに、気がついたらこうなっていた。――そう、ここにいるのは
そうあることに特段の疑問をもたずにきた。
でも、とわたしは思う。
もしこれが誰かひとりの男の子のためにしてきたことだとしたら? その彼と出会う前から、彼のことだけを想って自分を磨いてきたのだとしたら? それはとても素敵な想像だった。
わたしにとってそんな男の子はひとりしかいない。藤間くんだ。
彼を虜にしたい。
その視線を釘づけにしたい。
最近、よくそんなことを思う。
「……」
尤も、視線を釘づけにするくらいなら、簡単だといえば簡単だ。なぜならわたしは、一度は彼を支配することに成功しているのだから。……いや、失敗もしたけど。
不意にわたしの中の稚気が目を覚ます。
改めて自分の全身を姿見に映した。
アンクルソックスと短く詰めたスカートのおかげで、脚は実際よりも幾分か長く見える。その右足を半歩前に出し、軽く爪先立ち。そして、スカートの裾を太ももの上を滑らせるようにして、少しずつ上げていく。やがて足の高い位置まで露出した。普段ならスカートの裏に隠されていて、絶対に見ることのない部分だ。
これくらいだろうか。
これくらいなら藤間くんはわたしより背が高いし、同じ高さの場所に立っている限りはこの前みたいにうっかり中まで見せてしまうことはないはず。
なかなか際どく、挑発的な姿だ。これで藤間くんの視線を釘づけにできるだろう。そのとき、彼はいったいどんな顔をするのだろうか。見てはいけないものを見ているという禁忌と、もっと奥を見たいという欲望の間で揺れる表情をするかもしれない。そんな顔をされたら、わたしはしばらくは忘れられないだろう。
ひとまず満足してスカートの裾を直した。
(あとは同じ失敗をしないように、だけど……)
失敗したらしたで効果抜群なのは確かだ。わたしもかなり恥ずかしい思いをするけど。
でも、待って――と、自分を呼び止める。
そのときに見えたのが彼の好みじゃなかったら? せっかくの胸のどきどきも一気に冷めてしまうかもしれない。それは困る。
いったいどんなのが好みなのだろう? ドット? ボーダー? あまりそういうのは持っていないのだけど……。
わたしはちらと洋服ダンスを見る。
(く、黒もあるにはあるけど……)
顔に掌を当てながらそんなことを考える。顔が熱い。
でも、彼はわたしよりひとつ年下で、まだ高校二年生。そこまでオトナだと逆に引かれてしまう可能性もある。
じゃあ、この前と同じ薄いピンク?
あれなら効果があることは実証済みだ。彼の好みはそういう清楚な色なのかもしれない。
(もういっそのこと本人に直接聞いたほうがいいのかしら?)
でも、どんなふうに聞こう?
わたしは腕を組み、左の拳を顎に当てて思案しながら、部屋の中をうろうろと歩きはじめる。
(できるだけさり気なく、「ねぇ、藤間くんはどんな女の子がタイプ? あと、女の子にはどんな下着をつけてほしい?」……)
この上なく不自然だった。何より一問目で自分から大きく外れていた場合、傷が大きすぎる。
「……」
……。
……。
……。
唐突に、わたしはフローリングの床の上に崩れ落ちた。
「な、なんで見せることが前提になってるの……?」
これではただの痴女だ。
それ以前に、さっきからわたしは何をやっているのだろう? 急に我に返って、ちょっと死にたくなった……。
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