第6話<上>

 人生初のデートを終えたその日の夜、わたしは自室でスマートフォンを眺めていた。


 もっと正確に言えば、見ていたのはそこにつけた手帳型のケース――今日行った遊園地のマスコットキャラがプリントされたものだ。


 この深紅のケースは、藤間くんがわたしに買ってくれたもの。

 彼からのプレゼント。


 代わりに、わたしは彼に黒いケースを買ってあげた。


 つまり、色ちがいのおそろい。

 値段が同じだから収支は同じ。自分で自分のものを買ったとも言えるけど、わたしはそう思わない。これはあくまでも藤間くんがわたしのために買ってくれたもの。それ以外の何ものでもない。


「……」


 我ながらずいぶんとロマンチックになったものだ。今までずっと自分はリアリストだと思っていたのに。


 ふと、思い出した。


 そういえば藤間くんの端末に買ったばかりのケースを取りつけたとき、彼は中を見られることを嫌がって、わざわざ電源を切った。あれはなんだったのだろう。


 実は女の子のアドレスがたくさん入っている?


 ありそうななさそうなだけど、それなら操作をしているわたしの手から見られる前に奪い取ればいいだけのこと。データフォルダやメモ機能、スケジューラも同じだ。


 いや、ちがう。




『ロック画面を見られたくない』




 そう。彼は確かそう言っていた。


 でも、以前拝借したときに画面を見たけど、確かプリインストールされていたらしい無難な画像だったはず。


 ということは、あれから今日までに変わったことになる。そして、それは彼の態度からして、人には見せたくないもの……。


 例えば、アニメやゲームのキャラクタイラスト?


 確かにそれは見られたくないだろうけど、藤間くんのイメージには合わない気がする。もちろん、似合わないと自覚しているからこそ、見られたくないとも解釈できるけど。


 例えば、もっといやらしいもの?


 そこまでいくともはや常識を疑うレベルだ。それに彼自身も自分の常識と照らし合わせて、そんなことはしないだろう。


 じゃあ、好きな女の子?


 うん、これはありそうだと思った。男の子なのだからそういうことがあってもおかしくない。もしそうだとしたら、それは同じ学年の女の子だろうか。それとも古河さんや三枝さん? あの藤間くんが想いを寄せる女の子の写真をこっそり撮ったり、友達から譲ってもらっているのを想像したら、思わず頬が緩んでくる。


 そう言えば、彼の端末にはわたしの写真も入っているのだった。


 アドレスを転送するついでに、いたずら半分で撮ったもの。藤間くんはあれをどうしただろう? もうとっくに消してしまっただろうか。


 と、考えた瞬間、


「あ、れ……?」


 そのふたつが妙な具合にリンクしてしまった。


 まさか、と思った。


 あの子がそんなことをするわけがない。でも、もしそうだとすれば、わたしに預けることを躊躇ったのもうなずける。わたしにだけは見られたくないだろう。そんなことになればつけ入る隙を与えるのと同じなのだから。


 まさかあれを消さずに……?


「ン、ンンッ」


 誰が聞いているわけでもないのに、無意味な咳払いをひとつ。


 これ以上考えないほうがいい。

 あまりにも短絡的な思考。これは論理的な過程を経て導き出した結論ではなく、単なる思いつき以外の何ものでもないのだから。思いつきと閃きは似て非なるもの。


 兎に角、わたしはもう何があっても、絶対に彼の端末を見ない。


 だって、見るなと言われたから。

 だって、もし本当にそれがそこにあったなら、いったいどれほど微妙な空気になるか。彼は消えてしまいたいほど恥ずかしい思いをするだろうし、わたしだって……。


 ふと、机の上の鏡を見た。


 そこにはさっき以上に頬の緩んだわたしの顔が映っていた。それはもう、にやけていると言ってもいいくらいの。


 わたしは静かに鏡を伏せた。




 そんなことよりももっと考えないといけないことがある。




 今日、ようやくわたしは藤間真という少年との本当の出会いを思い出した。


 やはりあれはわたしが一年生で、藤間くんがまだ中学三年生――つまり、彼が明慧大附属に入学する前のことだった。




『あなた、大丈夫?』

『……ああ、おかまいなく。ちょっとドジっただけなんで』


 街の喧騒も遠い路地。

 うずくまる彼と、声をかけるわたし。


『そんなわけにはいかないわ。ちょっと待ってて』


 わたしは一度その場を離れ――。




 出会いとも呼べないような出会い。

 交わした言葉はひと言ふた言。


 そして、少し目を離した隙にあの子は消えていた。


 問題はそれを彼が覚えているのか、覚えていて明慧に入ってきたのか、だ。――確かめなくてはいけない。




「そろそろ終わりにしましょうか、真」




 わたしは部屋でひとり、つぶやいた。




                  §§§




 翌、月曜日。

 昨日のデートは楽しかった。でも、せっかくだからもっと楽しまないともったいない。


 朝のうちにいくつかの教室の机に落書きをしておく。

 他愛ないおしゃべりの中で、昨日友達と出かけたことにふれておく。


 程なくこのふたつの布石が合流し、昼休みになるころには『槙坂涼』についてのひとつの噂が学校中に広まっていた。――曰く「昨日、槙坂涼が遊園地で男とデートしていた」。


 当初の予定では実名報道をしてもらうはずだったのだけど、その役目に当たったのが話好き噂好きの唯子ではスタートの段階から尾ひれ背びれがつく心配があった。そのためひとまず彼女には口止めし、自ら噂を流すことにした。さらにその中で、わたしはひとつの実験を試みる。


 今までは流れる噂に周りが右往左往するのを見て満足していたけど、今回大事なのはそこではなかった。


 すぐに普段から気軽に声をかけてくれる子たちが確かめにきた。


「涼さん涼さん、聞いたよ、例の話」


 午前最後の授業を終えて、ロッカーへと向かうわたしに後ろから追いついてきた女の子三人組。


「デートの相手ってやっぱり藤間くん?」

「さぁ、どうかしら。想像にお任せするわ」


 いつものようにそう返すわたしは、いつもより自然な笑顔をつくる努力が必要だった。

 だって、会心の笑みがこぼれそうになるから。


 どうやらわたしと藤間くんの仲は、彼よりも先に世間が認めてくれそうだった。

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