第5話<下>
わたしはデートの日を首を長くして待っていた。
特に当初の予定を変更して延ばした一週間は後悔ばかりしていた。こんなに待ち焦がれるなら、この前の日曜日に行っておけばよかった。天気もよかったし。とは言え、過ぎてしまった以上、次の日曜日を待つより他はない。学校を休んで行くわけにはいかないのだから……と思ったけど、それも案外いい考えのような気がした。
そうしてついに当日。
少しばかり浮かれていたのか、わたしはうっかり待ち合わせの場所に三十分以上も早く着いてしまった。でも、程なく藤間くんもきてくれて、それほど待つことはなかった。ただ、この間にちょっとしたトラブルに巻き込まれたのだけど。
遊園地へ向かう電車は思っていた以上に込み合っていた。皆行き先は同じなのだろう、どこを見ても目に映るのは家族連れや友達同士らしいグループ、そして恋人同士。
(わたしと藤間くんはどう見えるのかしら?)
姉弟? 友達? それとも……?
電車の中にはわたしの知り合いや明慧の生徒はいないようだった。藤間くんはこんなところを誰かに見られたらどんな顔をするのだろうか。うまくすれば今日中にそれが見られるはずだ。
その混み合った電車の中で、わたしはたまたま目の前で空いた座席に座り、藤間くんはわたしの前で吊り革を持って立っていた。
「どうせなら少し痛めつけておけばよかったな」
彼が惜しげにそう言うのは、先ほどの出来事を思い出してのことだ。
この電車に乗る直前、待ち合わせ場所で待っていたわたしは二人組の男の子にしつこく遊びに誘われ、後からきた藤間くんが彼らを追い返したのだった。
「ずいぶんと過激なことを言うのね。わたしならもう大丈夫よ」
「生憎、僕はそれほど穏便な性格じゃなくてね。専守防衛の精神は薄いんだ」
一見おとなしそうな藤間くんの意外に激しい一面を見た気がした。
「尤も、さっきの連中に関して言えば、僕としてはすでに先制攻撃を受けたも同然だから、十分反撃に値するが」
「そうなの?」
わたしは首を傾げる。精神的な被害もカウントするのだろうか。
藤間くんを見上げると、彼は逃げるように窓の外に目を向けた。
「ああ、見えてきたな」
外を見ていた藤間くんがそう言うので、わたしも腰をひねって窓の外に目をやった。
遊園地の敷地は線路に沿うようにして広がっているので、もうジェットコースターのレールなどが見えてきていた。角度を変えれば大観覧車なども見えるのだろう。
「真はきたことがあるの?」
「いや、ない」
「案外女の子と一緒によくきてるんじゃないかと思ったわ」
さりげなく女の子とつき合ったことがあるのか探りを入れてみる。
「まさか。ああ、でも、こえだをつれてくると楽しそうだな」
「あのね真、デートのときはほかの女の子の話をするのはやめましょうね」
わたしはにっこり笑って、ローファーを履いた足をそっと彼のスニーカーの上に置いた。もちろん、次はないという意味を込めて。
彼は黙って肩をすくめる。
車内に到着を告げるアナウンスが流れた。
§§§
先にも触れた通り、ふたりそろって早く待ち合わせ場所にきたものだから、結果的に遊園地には開園と同時に入場することになった。
開園直後の遊園地。
ゲートをくぐったところでわたしは、同じく今日ここにきているはずの唯子たちを捜した――が、見当たらない。きていないはずはないし、彼女たちなら開園時間前から待ち構えていたことだろう。
結局、見つけたのは午後になってから。
『槙坂涼』のスキャンダルの匂いをかぎつけた唯子は、当然のように根掘り葉掘り質問をぶつけてきた。
そういえば、とわたしは思い出す。
彼女は話好きだけど、少し誇張してしまう癖があった。今日のことを触れ回ってもらうには、少し不向きかもしれない。……このあたりの計画は後で修正することにしよう。
そして、もうひとつ思いがけない収穫があった。
それは帰りの駅でのこと。
これから『天使の演習』に行こうと決めた矢先、朝わたしにしつこくつきまとったあのふたり組が待ち伏せしていたのだった。わざわざ仲間までつれて。
朝も挑発的だったけど、今度は最初から剣呑な雰囲気だった。
だけど、誰より好戦的だったのは藤間くんだったのかもしれない。なにせ先に手を出したのは彼だったのだから。
隙を突くようにして、瞬く間にまずは三人を倒してしまった。それから今度は残りふたりを相手に立ち回る。わたしは最初は呆気に取られていたけど、彼が傷つきはじめるとただただおろおろするばかりだった。
「涼、走るぞ!」
「ぇ?」
気づけば五人全員が倒れていた。
藤間くんがわたしの手を掴んで引っ張る。わたしもすぐにその意図を理解し、一緒に走り出した。思えばこのとき初めて手をつないだのだけど、もちろんそのことをどうこう思う余裕はなかった。
駅前の人込みを縫うようにして走り、彼らが追いかけてこないのを確認してから、わたしたちは近くの公園に落ち着いた。
ちょうど公園の中に自動販売機があったので、そこでミネラルウォーターを買った。その水でハンカチを濡らし、傷の手当てをする。
「悪い」
彼はひと言断るとわたしの手からペットボトルを取り上げ、その水で口を漱いで吐いた。
「口の中も切れてるな」
手の甲で口を拭い、顔をしかめる。
「大丈夫……?」
わたしはもう一度彼の顔の傷にハンカチを当て――そして、それは前触れもなくやってきた。
思い出した。
ようやく見つけた記憶の断片。
小さな欠片。
わたしはそれが正しいかどうかを確かめるために問う。
「ねぇ、前から喧嘩はよくしてたの?」
「……そんなに好戦的に見えるか?」
肯定も否定もしない、まるではぐらかすような答え。
見たところ彼の傷は口の端が切れていて、頬が少し腫れているくらいだった。ひとりで五人を相手に大立ち回りを演じてこの程度。きっと彼はこういうことに慣れている。
「……」
確信した。
やはりわたしたちは、彼が明慧に入学するよりも前に会っている。
そう。藤間くんはあのときの子だ――。
それは忘れていても仕方がないような、出会いとも言えない出会いだった。
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