第3話<上>
藤間くんには仲のいい女の子がふたりほどいるようだった。
どちらも本人から直接聞いた。
ひとりは今年度に入って急に一緒にいる場面をよく見かけるようになった。それもそのはず、彼女は一年生で、名前は三枝小枝さん。小枝と書いて『さえだ』と読むのだという。藤間くんがよくちょっかいを出しては蹴られている。
もうひとりは、なんとあの古河美沙希さんだった。
思い返せば、何度かふたりが言葉を交わしている場面を見たような覚えがあるけど、古河さんがああいうフレンドリィな性格で誰にでも同じようにしているせいか、気にも留めていなかった。まさか同じ中学の先輩後輩だったとは。藤間くんははっきりとは言わなかったけど、どうも彼は古河さんを追ってこの明慧大附属にきた節がある。
どちらとも特別な関係ではないと否定していたけど、知ってしまうと気になって仕方がなかった。
幸いふたりとはすぐに、しかも、同じ日に話す機会が巡ってきた。
§§§
ある日のある授業、そこにあるはずの藤間くんの姿がなかった。
いつも彼は休み時間の中ごろには教室に入っている。けれど、今日はもう間もなく始業のチャイムが鳴ろうとしているのに、未だに姿を見せていなかった。珍しいと思いつつ不安を覚える。やがて本当にチャイムが鳴り、先生がやってくるまでわたしは彼のことを気にしていたけど、結局、藤間くんは現れなかった。
授業がはじまった。
わたしも彼も、座る場所はだいたいいつも同じ。わたしは前のほうで、彼は真ん中よりも少し後ろ。おかげで途中入室してきたとしてもわからない。もしかしたら遅刻してきて今ごろは空いている手近な席に座っているかもしれない――そう思うと授業中何度も後ろを振り返りたい衝動に駆られた。
長い長い授業が終わる。
改めて教室を見回してみるけど、やっぱり彼の姿はなかった。何かあったのだろうか。思い切って彼の友達だという子たちに聞いてみようと思ったとき、わたしの視界にとある女の子が映った。
三枝さんだ。
藤間くんが気に入っている、かわいがっているとはっきり言った子。いい機会だし、ちょうど口実もあるので、わたしは彼女に声をかけてみることにした。
「ちょっといい? 三枝さん、よね?」
後ろから近づくようなかたちで声をかけると、三枝さんはテキスト類をまとめる手を止めて振り返った。
「うわ、槙坂さんだっ」
わたしの顔を見るなり驚いてイスから飛び上がり、体ごと向き直った。
間近で見る彼女は、ショートの髪を耳の上あたりでヘアピンで留めた、ちょっとおでこちゃんで愛らしい子だった。容姿も仕種も小動物を思わせる。藤間くんがこの子を気に入る気持ちもわからなくない。
「驚かせてしまってごめんなさい。藤間くんのことを聞きたいと思ってきたの」
「え、真?」
真? 呼び捨て?
「ええ。藤間くん、この授業に出てなかったみたいなんだけど、あなた何か聞いてない?」
「真だったら今日は風邪で休んでますよ。朝、電話がありましたから」
「風邪?」
わたしが繰り返すと、「はい」と三枝さんはうなずいた。
ふとあることを思い出す。
「ねぇ、確か彼、ひとり暮らしって言ってなかった?」
「あ、そう言えばそうですね。今ごろひとりでうんうん唸ってるかもしれませんね」
などと笑っているけど、ぜんぜん笑いごとじゃない気がする。そんな心配がわたしの顔にも出ていたらしい。
「嘘です。大丈夫だと思いますよ。あたしのことを心配して電話をかけてきましたけど、声を聞いたかぎりじゃ、そこまで辛そうじゃなかったし」
「そう」
それでも気がかりなことには変わりない。
「気になるんだったら、お見舞いにいってみたらいいんじゃないですか?」
「……」
じっとわたしを見る三枝さん。その視線がこちらの心の内を探るようであり、挑戦的にも感じたのは気のせいではないだろうと思う。
「そう、ね。でも、やめておくわ」
なぜだかそう答えていた。
この子に遠慮したのかもしれないし、自分から心の中を見せるようなことはしたくなかったのかもしれない。
でも、嘘だった。本当はもうどうするか決めていたのに。
「古河さん」
昼休み、わたしは学生食堂へ向かう古河美沙希さんを見かけ、声をかけた。
「おう、槙坂か」
「今いい?」
わたしも彼女も、一緒にいた友達から離れ、ふたりで歩き出す。
「あなた、藤間くんと知り合いだったのね」
「おっと、もうバレたか」
古河さんは悪ガキのように苦笑いした。
種がわかってしまえば、彼女が藤間くんの存在や電話番号を知っていたのも納得できる。
「そ。真のやつとは同じ中学の先輩と後輩。ま、言わばアタシの舎弟だな。よく一緒にいろんなことやらかしながら遊び回ってたよ」
「ふうん」
努めてフラットに返事をする。それはそれで気になるところだけど、今は後回し。
「その藤間くん、今日は風邪で休んでるわ」
「ああ、そうらしいな。朝、サエから聞いた」
サエ? 一瞬、誰だろうと首を傾げたけど、すぐに三枝さんのことだと思い至った。姓と名、どちらから取った『サエ』だろうか。
「お見舞いに行こうと思うの。あの子ひとり暮らしでしょ? 困ってるんじゃないかしら」
「それでアタシにあいつがどこに住んでるか聞きにきたってわけだ」
古河さんはすぐにこちらの意図を察し、そう言い当てる。
「住所、ね。うーん……」
何やら考え込む彼女。
わたしたちの足は学務棟前の掲示板へと向かっていた。そこで新しい連絡事項や休講がないかを確認する。今は特になし。
そうしながら隣で同じように掲示板に目を向けていた古河さんに重ねて訊く。
「やっぱり個人情報はダメかしら?」
聞くところによると、彼女は知る人ぞ知る情報屋だけど、機微な個人情報は扱わない主義なのだという。前に藤間くんの電話番号をおしえてくれたのは、古河さんが彼と仲がよかった上に、その状況を面白がっての特例中の特例だったらしい。
「それもあるけど、真から言われてんだよなぁ。槙坂には絶対におしえるなって」
「……」
まったく、あの子は……。
「心配なのか?」
「……え、ええ」
今一瞬もうどうでもいいかと思いかけたけど。
「しゃーない。んじゃ、アタシが行くか」
「そうね。それしかないわね」
自分で行きたいところだけど、住んでいる場所がわからないのではどうしようもない。本当は藤間くんと古河さんが彼の家でふたりっきりというのも抵抗があった。でも、病気の彼がひとりきりよりはマシだ。それにふたりは何年も前から知り合いなのだから、今さらという気もする。
再び食堂方面に歩を進めた。
「じゃあ、藤間くんの様子がわかったらおしえてくれる?」
「あン? なに言ってんだ? 槙坂も行くんだよ」
「え?」
「アタシが真のところに行く。槙坂は勝手にこっそりついてくる。アタシは別に何かをおしえたわけじゃないから、ま、これで義理は果たしてんだろ。頭いいな、アタシは。オンナ一休さんと呼んでくれ」
「……」
いいのだろうか、そんなことで。
放課後、掲示板前で古河さんと待ち合わせして、さっそく藤間くんの家に向かうことになった。
「んじゃ、行くか」
「ちょっと待って。確かわたしがあなたに勝手についていくのよね?」
どう見ても肩を並べて一緒に歩き出す流れだ。
「あいつが見てるわけでもないのに、そこまでかたちに拘ったって仕方ないだろ。メンドくさいやつだな」
「……」
オンナ一休さんは細部のディテールは気にしないようだ。いよいよ藤間くんの頼みは聞く気がないらしい。とは言え、おかげでわたしは彼のお見舞いにいけるのだし、感謝しこそすれ文句を言うつもりはない。
そうして辿り着いたのは、明慧の最寄り駅から電車でいくつかいったところの、複数の線が交差する大きなターミナル駅だった。
ここは一昨年からはじまった再開発で高級志向の商業施設や文化施設がまとめてつくられ、住宅地として人気が高い場所でもある。乗車客もこのあたりでは最多のはずだ。
ここからバスにでも乗るかと思ったら、どうやら徒歩でいける範囲らしい。
「ねぇ、中学のころの藤間くんってどんな子だったの?」
道中の雑談がてら聞いてみる。
「真? かわいくないガキだったぞ。いったい何回ブン殴ったか」
「殴ろうと思ったじゃなくて、殴ったのね……」
どれほどかわいくない子だったのだろう。それとも彼女が単にスパルタだっただけか。そう言えば、藤間くんは三枝さんにもよく蹴られている。もしかしてわざと自分からそうされにいっているのだろうか。だとしたら、わたしも隙があれば踏みつけるくらいしたほうがいいのかもしれない。冗談だけど。
「着いた。ここだ」
五分と歩かなかった。そこはようやく駅周辺の喧騒が遠くなったくらいのところで、
「え?」
目の前には高級感のあるエントランスを構えたマンションが聳え立っていた。確か駅のホームに降りたときから見えていた超高層のマンションだ。
「ここ、なの?」
「おう」
あまりに予想外で呆けているわたしを置いて、古河さんは先に進んでいく。慌てて後を追おうとすると、「槙坂はそこでストップ」と止められた。
エントランスは途中でガラスの壁に阻まれていて、その中央には自動ドアがあった。もちろん、前に立てば開くようなものではなく、オートロックのドア。古河さんが脇にあるパネルに指を走らせると、インターホンチャイムが鳴った。
『はい』
機械を通したその声は、紛れもなく藤間くんのものだった。
「おう、アタシだ。風邪ひいたんだって? サエから聞いた。見舞いにきたから開けてくれ」
そう言うと彼女は斜め上に顔を向ける。わたしもつられてそちらに目をやると、そこにはカメラが備えつけられていた。マンションの住人が来訪者の顔を確認するためのカメラのようだ。なるほど、わたしをここで待たせたのは、カメラに映らせないようにするためだったらしい。
『少し待ってください。……どうぞ』
音もなくドアが開いた。
中に這入ると、ふたつのシャンデリアがエントランス全体を照らしていた。光量は少なめだけど、暗いというよりは上品で神秘的な印象を受けた。床は大理石。閉じた空間だけあって、学校指定のローファーでも足音がよく響いた。わたしが毎日履いていた靴は、こんなにもいい音が出せたのかと少し驚く。
二基あるエレベータのうち一基は地上階にあったので、ボタンを押すとすぐに開いた。
行き先階は二十八階。寄り道もせずにそこまで一気に向かっているはずなのに、こんなに長くエレベータに乗っていたのは初めてだった。
「中に入ったらもっと驚くぞ」
「え、ええ……」
さっきからひと言も声を出せないでいるわたしを見て、古河さんはそんなことを言った。わたしはそれだけを返すのがやっとだった。
エレベータを降りて、また驚いた。足が沈み込む。床に絨毯が敷かれていたのだ。ここに入って以降、遊園地のホラーハウスよりも驚きっぱなしだ。高級ホテルと見まがうばかりの廊下に制服姿の女子高生の姿は場違いな気がして仕方なかった。
やがてひとつのドアの前に辿り着き、古河さんは迷わずドアチャイムを鳴らす。
「今あけます」
ドアの向こうから藤間くんの声。間をおかず出てきた彼を見て、わたしは思わず頬が緩んだ。濃紺のパジャマ姿だったのだ。
「パジャマの藤間くんもかわいいわね」
それを口にした直後、ドアが閉まった。鍵が下ろされ、ドアチェーンをかける音まで聞こえた。……なぜ?
「なんで閉めんだ。開けろ、真」
「すみません、先に着替えたいのですが。僕の予想が正しければ、その必要があるかと」
「待てるか、バカ。開けねーなら壊す。そして、その後お前も壊す」
そんなやり取りの後、ようやく部屋に上がった。
トイレやバスルームと思われるドアが並んだ短い廊下を抜けると、そこには畳に換算して三十畳はありそうなフローリングのリビングが広がっていた。脇にはカウンターダイニングとキッチン。二面ある壁にはほかの部屋へ続くドアがふたつとひとつで、間取りは3LDKのよう。ひとり暮らしの高校生には不釣合いな豪壮さ。彼はいったいどういう家柄の子なのだろう。
呆気にとられるわたしを見て、古河さんが「な、すごいだろ」と言っていた。
その後、お昼を抜いたという藤間くんのために食事を作り――そして、わたしは今日、ここに泊まることになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます