第9話<1>

 日曜日。

 槙坂涼とのデートの日だ。


 とは言え、今日は約束したあの日から二度目の日曜。急に彼女が今週ではなく来週にしてほしいと言い出し、ドタキャンならぬドタ延が発生したのだ。……まぁ、僕には拒否権もない上、そもそも反対する理由もないのでいつだって同じなのだが。


 待ち合わせ場所は、先日カフェへ行くときに使った駅――たぶん槙坂先輩の家の最寄駅になるのだろうが、その駅の改札前だ。僕がその場所に着いたのは、約束の時間の三十分前。早く着き過ぎてしまって、当然のように彼女の姿は見当たらない。


「……」


 それはいいのだが、どうにも空気がおかしい。ありきたりな駅前の風景に、何か異質なものが混じっているような。


 何が原因だろうと辺りを見回してみて――あった。あれか。


 男がふたり、改札前のコンコースの柱を背にした女の子を、逃げられないように囲んでいた。見たところナンパのようだが、そのやり方がかなりしつこくて嫌らしいようだ。それを道行く人々が、気にしつつも見て見ぬ振りをしているという構図。


 そして、あろうことかその女の子というのが、我らが槙坂涼だった。


「まったく。テンプレートなイベントに巻き込まれてくれる……」


 助けないわけにはいくまい。というか、むしろ潰すべきだろうな、ああいう輩は。僕はそう決めて、早足でそちらへと近づいていった。


「何度言われても、行けないものは行けません。人と持ち合わせしてますから」

「だからぁ、俺たちと一緒にいくほうが絶対に楽しいって」

「あ、待ち合わせって相手は女の子? だったらふたりずつでぴったりじゃん」


 見たところ、男たちの年齢は僕よりも少し上くらいだろうか、絵に描いたようなチャラい男たちだった。まぁ、この手のは実際、遊び慣れてて場を盛り上げるのに長けてたりするから、喜ぶ女の子も多いとは思う。


「悪いけど男だよ」


 僕は遠慮なく言葉を割り込ませた。


「ああ?」

「なんだぁ?」


 いっせいにチャラ男が振り向く。


「藤間くん!」


 そして、その隙を突いて槙坂先輩がこちらに駆けてきた。隠れるように僕の後ろに回った彼女に、「もう少し離れてろ」と小声で告げる。


「誰、お前?」

「この人の本日のお相手を仰せつかってるものさ。悪いけど帰ってくれないか」


『悪いけど』も何も、おとなしく帰るのが筋だろう。


 しかし、チャラ男その1が僕の頭のてっぺんから足の先まで、まるで値踏みでもするように何度も見ながら近寄ってくる。不愉快だな。


「……パッとしないやつ」

「……」


 ほっとけよ。でも、そう見えているなら好都合だ。


「ねーねー、こんなやつよりさ――」


 僕の横をすり抜けて性懲りもなく槙坂先輩に言い寄ろうとするが、それはさすがに無防備すぎるだろう。


「お前、しつこいよ」


 僕はそいつの手首を掴んで捻り、さらに足を払ってバランスを崩したところに自分の体重をあずけて諸共に倒れ込んだ。「ぐえっ」と情けないうめき声が聞こえ――そして、その瞬間にはもう、僕は男を地面に組み伏せていた。


「てめぇ!」

「動くんじゃねぇ!」


 それを見てこちらに詰め寄ろうとしたチャラ男その2を、その体勢のまま一喝する。


「動いたらこいつの腕を折る」

「ふざけ――」

「ま、待ってくれ! 折れる! マジで折れちまうよ!」


 その2がまだ動こうとするので少し力を入れてやったら、その1が今にも泣きそうな悲鳴を上げた。それはそうだろう。ほぼ限界まで捻っているのだから。正直、あの人にどれだけ不快な思いをさせたかと考えれば、このままへし折ってやりたくて仕方がない。


 今度こそその2の足が止まった。


「……」

「……」

「うぅ……」


 僕とその2が睨み合い、地べたに這いつくばっているその1がうめく。


 たっぷり一分は経ってから、僕はチャラ男から手を離して立ち上がった。二、三歩下がって、槙坂先輩を庇うようにして立つ。

 遅れてチャラ男も肩を押さえながら、のそのそと体を起こした。


 その1とその2、ふたりして忌々しげに僕を見ていたが、そのころには野次馬も集まってきていて、これ以上騒ぎを大きくできるような雰囲気ではなくなっていた。さっきまでこいつらがたちの悪いナンパをしているのを見ていた人も多く、のん気に喧嘩両成敗を唱えるものは少ないだろう。


「ちっ」


 やがて二人組は分の悪さを悟り、舌打ちをひとつして去っていった。ひとりは痛そうに肩に手を当てたままだ。折れる寸前まで捻ってやったから、しばらくは腕が上がらないだろうな。


「藤間くん、こんなこともできたのね……」

「まぁ、ね」


 これも我が師のおしえの賜物だ。とは言え、あまり自慢できたものでもないので、返事が苦笑混じりになる。というか、ほかに何ができるというわけでもないので、むしろこんなことくらいしかできないやつなのかもしれないな、僕は。


「それより――大丈夫か?」

「え、ええ」


 最後の騒ぎで興奮していたのか、槙坂先輩はようやく自分のおかれていた状況を思い出したようだ。少し発音に重苦しいものが混じる。


「藤間くんは?」

「別に。せいぜい服が汚れたくらいだね」


 僕は答えながらジーンズを払った。


「悪かった。僕がもっと早くきていればよかったのに」

「ううん。わたしも浮かれてて早く着きすぎたから」


 首を横に振る彼女。

 考えたらまだ予定の三十分前だったな。浮かれているのはお互い様ということか。


「まったく。ナンパならもっとうまく、潔くやってほしいね。男ふたりでひとりの女の子を引っ掛けようとするかよ」

「まるでやったことがあるみたい」

「あるわけないだろ」


 いったい僕をどんなふうに見ているんだ。


「ふうん」


 彼女は何か言いたげな目で僕を見る。


「何だよ?」

「案外やることはやってると思ってた。例えば――」




、とか」




「……」


 あまりの不意打ちに頭がくらっときた。待て、それは。まさか覚えていたのか……?


 僕の最初の失敗。

 以来ずっと、できるだけ目立たないようにしていたというのに。


 彼女の顔を見る。


「……」

「……」


 だが、僕の無言の問いにも、槙坂涼はすべてを見透かしたような瞳と微笑を返してくるだけ。何も答えようとはしない。


 もういっそのこと、こちらからはっきりと聞くべきか――と思ったとき。


「あ、そうだ」


 彼女が不意に声を上げた。


「藤間くんのこと、今日だけでも真って呼んでいい?」

「は?」


 いろいろと唐突だな。提案も唐突なら話題の切り替えも唐突で、まるでさっきの話題などなかったみたいだ。見様によっては、僕の問いを封じたようにも見える。


「だってせっかくのデートだもの。それくらいいいでしょ?」


 ね?――と、彼女は訴えてくる。


「槙坂先輩の好きなようにすればいい。僕は槙坂先輩に自分の呼び方を強要するつもりはないよ」

「あら、そうやって槙坂先輩槙坂先輩って繰り返すのは、しばらくそう呼べないから?」

「まさか。僕に与えられるべき自由を暗に主張しているだけさ」


 次なる要求がこちらに飛んでこないよう願うばかりだ。


「そう。それは大切なことだわ。でも、真はわたしが何を望んでるかはわかってるのでしょう?」

「……」


 が、やはりそうもいかないようだ。


 僕は諦めのため息を吐く。


「わかったよ、涼」

「素敵!」


 いきなり槙坂先輩は僕に飛びつくようにして、腕をからめてきた。


「名前で呼び合うなんて夢みたい!」


 そのまま僕の周りをくるりと一周。おかげで腕を取られている僕まで一緒に、その場で回る羽目になってしまった。そうしてから彼女はまた離れる。……まるでスペースクラフトのスイングバイだな。


「さ、行きましょ、真」


 感激冷めやらぬ彼女は、満面の笑みで無邪気に僕を急かす。どうやらご機嫌は最高潮のようだ。


 それはそうと。

 ひとつ手応えがあった。




 ――。




 たぶんだが。


「……」


 ま、今はそんなことは関係ないか。せっかくのデートなのだ、今日のところはそれを楽しむとしよう。

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