第9話<2>
当初の予定では混雑を避けるため開園のちょっと後に行くつもりだったのだが、この調子では開園時間ぴったりに着きそうだ。それもこれもお互い待ち合わせ場所に早くきてしまったせいだ。
おかげで今乗っている電車も家族連れで混み合っている。
目指すは遊園地前の駅だが、ひとつ前の駅を過ぎたあたりでもう巨大観覧車が窓の外に見えていた。
電車を降りて駅を出、前の広い道路を渡ればそこはもう遊園地だ。観覧車はさらに大きく見え、うねるようにして走るジェットコースターのレールまでもが窺えた。
入場の列に並びながらふたりでアトラクションの一部を見上げていたが、僕は先に視線を戻し、槙坂先輩を見た。
白いワンピースに、肩にはショールをかけた大人っぽい、おとなしい出で立ち。淡い色でまとめた服は、長い黒髪によく似合っていた。
対する僕は、ジーンズにロングTシャツ。
と、僕の視線に気づき、彼女が僕を見た。目だけで「どうしたの?」と尋ねてくる。
「いや、僕は槙坂先輩に釣り合うのだろうかと思ってさ」
思わず考えていたことを馬鹿正直に口走ってしまった。
すると彼女はくすりと笑みをひとつこぼす。
「あら、そんなこと?」
そして、僕のロンTの両肩を指でつまみ、崩れていた着こなしを整えてくれた。これが学校ならネクタイを直してくれていたことだろう。
「誰がどう見てもお似合いの恋人同士よ」
「それはそれで僕としては不本意だな」
「口の減らない子ね。……大丈夫よ。誰も気がつかないだけで、あなたは本当はどんな女の子だって振り向く男の子よ。ずっと見ていたわたしが保証するわ」
「……」
ずっと、ね。
「それと――涼、よ」
「うん?」
「今日は涼って呼ぶこと。そう約束したでしょ、真」
わざわざ最後の『真』の部分をはっきりと発音する彼女。
実は、やはりそう呼ぶのにいろいろな抵抗があり、ここまでぜんぶ『あなた』ですませてきた。『槙坂先輩』とは呼んでいないから、決めごとは破っていないはずなのだがな。
「気をつけるよ、涼」
「よろしい」
槙坂先輩、もとい、涼はできのいい弟を見る姉のように、嬉しそうに笑った。
気がつけば前との間隔が開いていて、僕らは急いでそこを詰めた。
§§§
程なくゲートをくぐり、園内へと入場することができた。
この遊園地、名前を『スカイワールド・ビビューン』と言い、その擬音のような名称が示す通り絶叫系のアトラクションを売りにしている。もちろん、所詮は地方の遊園地なので、どこかの世界的に有名な施設とは比べるべくもないが、それでもなかなかに立派だった。
まずはインフォメーションセンターやグッズショップ、自販機コーナーなどが立ち並ぶ一角だが、そこで涼は足を止め、あたりを見回していた。
「どうした?」
「初めてきたから目移りしちゃって」
そう言って苦笑。
「どこから回る?」
「僕はどこでも」
「じゃあ、やっぱりここの目玉のあれかしら?」
見上げた彼女の視線は巨大観覧車……ではなく、ジェットコースターをフォーカスしている。確かにテレビで見るCMでもこれをメインに宣言していたな。
「……目玉なら最後にとっておけばいい」
願わくばそのまま忘れてくれ。
「こういうのは最初に乗って、気に入ったらまた乗るものよ。……もしかして真、怖い?」
そこでこちらの様子の変化に鋭く気づいた涼は、首を傾げながら顔を覗き込んでくる。長い髪が重力に従い、鉛直方向下向きに垂れた。
「……まさか」
と答える僕は、なぜだろうか彼女と視線が合わない。
「そう。じゃあ、行きましょう」
こういうときにかぎってこの悪魔は人の心の奥底を読んだりせず、言葉を額面通りにとらえる。……わざとなのだろうけど。
彼女は腕に腕をからめてしっかりと僕を捕まえると、そのままジェットコースターの列へと向かっていく。
僕の中にありあまるほどあった抵抗の意思は、肘に感じるふくよかな感触によって根こそぎ奪われていた。……これはわざとじゃないのだろうな。天然の悪魔め。
かくして、僕は立て続けに絶叫系アトラクションにつき合わされた。
まずはジェットコースター。
さすがここの目玉。宙返りしたくらいから、何がなんだかよくわからなくなった。
次に、巨大な船型の乗りものが振り子運動をするアトラクション。
振り子の最高点での、内臓が浮き上がるような感覚がなんとも気持ちが悪かった。
そして、フリーフォール。
自由落下の時間が永遠にも思えて、気が遠くなりかけた。
結果。
僕はベンチに座り込み、背もたれに首を乗せて青空を見上げていた。
「……わかった。僕が悪かった。僕はあの手の乗りものは苦手なんだ」
わざわざ白状せずとも、この姿を見れば誰でもわかることだろうが。……あー、気分が悪い。このまましばらく風に当たっていよう。
そんな僕を見下ろし、涼はおかしそうに笑っている。彼女はまったく平気な様子だ。聞いた話、こういうのは女性のほうが強いというが、それは本当だろうか。
「最初からそう言えばよかったのに」
「言ったところで勘弁してもらえたとは思えないけどね」
「そうね。最後のフリーフォールくらいはやめてあげたかも」
「……」
ありがたくて涙が出るね。文句のひとつも出ない。
「だらしないわね。女より先に果てる男はきらわれるわよ」
「何の話だよ……」
もうまともにつき合う気も起こらなかった。
「……知りもしないのに知ったふうなことを言う」
「い、いいでしょ。知識はあるんです」
僕が不機嫌に任せて少しばかり棘のある言葉を返すと、それが涼にとっては思いのほかクリティカルだったらしく、不貞腐れたように早口でまくし立ててきた。
それから彼女は、すっと僕の隣に背筋を伸ばして座り、
「前から聞きたかったのだけど――」
と、どこか緊張の面持ちをしつつ、改まった口調で切り出してきた。
「……真は、あるの?」
「何を?」
「その……女の子と、したこと」
「は?」
遅まきながら質問の内容を理解し、僕は頭を跳ね上げた。涼を見る。彼女もまた、ゆっくり僕のほうへと顔を向けた。
「……」
「……」
しばらく見つめ合い、
「勘弁してくれ。こんなとこでそんなこと聞くかよ」
僕はもう一度背もたれへ首を倒した。
「わ、わたしにはわりと大事なことなのよ」
「わりと、だろ」
「おおいに」
「そうかい。でも、ノーコメントだ」
僕は涼の言葉を無視し、ベンチから立ち上がった。
「さて、じゃあ、そろそろ次に行くか」
「もぅ」
遅れて彼女も腰を上げ、後を追ってくる。何が悲しくて遊園地でそんな話をせねばならないのか。
§§§
さすがに涼も先の話題はいつもでも引っ張るような種類のものでもないという自覚があったらしく、しつこく聞いてくるようなことはなかった。
その後、おとなしめのアトラクションをいくつか回り――、
昼。
なのだが、時間が悪かったようで、昼食を取ろうと入ったレストランはうんざりするほど込んでいて、結局、僕らは先にグッズショップを見てみることにした。
「ねぇ、これなんてどうかしら?」
何を買うといった目的もなく店内を見て回っている最中、そう言って涼が手に取ったのはスマートフォン用の手帳型ケースだった。特にどうということもない、この遊園地のマスコットキャラがプリントされただけの代物だ。色は赤。
「いいんじゃないか」
「……」
と、じっと僕の顔を見る涼。
「どうでもよさそうな返事ね」
「この状況下で正しい解答をした男がいたらつれてきてほしいね」
どう答えても不満そうな顔をするのが女の子だ。個人的にはこの場合、名作スペースオペラから台詞を拝借して「模範解答の表があったら見せてもらえませんか」と答えるのがいちばん皮肉が利いていていいと思っている。
「実際、悪くないんじゃないか。色もそんなに安っぽい赤じゃないし」
「そう? 真がそう言うなら、これにしようかな」
彼女は気に入った様子で、改めてそれを眺めた。
「ほしいのか? だったら僕が買うよ」
「ほんと? いいの?」
「いいからいいと言ってる。ま、多少責任もあるけどさ」
僕が背中を押して決心させたみたいで、どうにも。
彼女の手からその商品を抜き取り、僕はレジへと向かった。遊園地という付加価値のおかげで、この手のアイテムにしては少々高かったが、かと言って目が飛び出るほどというわけでもなく、まぁ、これくらいなら許容範囲だろう。
清算をすませて戻り、小物用の袋に入れられたそれを涼に渡す。
「ありがとう。真からの初めてのプレゼントね。嬉しいわ」
そう言って彼女は笑った。相手が誰であれ、喜ぶ顔を見るというのはいいものだ。
「わたしもあなたに何か返さないと」
「いいよ、そんなの。こっちはそんなつもりでやったわけじゃないんだ」
「実はもう決めてあるの。これよ」
と、差し出してきたのは、先ほど僕が涼に買ったのと同じスマホケースだった。こっちは黒。男性が使うことを想定しているのか、マスコットキャラは角に小さくプリントされていた。
「どう?」
「いいとは思うけど、でも、それじゃおんなじじゃないか? 結局、自分で自分に買ってるようなものだ」
だからと言って、値段がちがえばいいというものでもないだろうけど。
「あら、ぜんぜんちがうわ。わたしのは真がプレゼントしてくれたもの。これはわたしが真に買ってあげるもの。大事なことだわ」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
そこで涼はウインクひとつ。
それだけで何となく納得してしまった。……単純だな僕は。
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