このモンスタークレーマー幼馴染が凄い 2
「遅い」
「早くても起こるだろお前」
朝八時によく行く喫茶店の前で待ち合わせしていたはずだが、華はさっさと店の中に入って優雅にモーニングを楽しんでいた。華はこれから塾に行く予定のはずだが、その前に一服しながら雑誌を読むつもりなのだろう。家の居心地の悪いオッサンみたいな生活スタイルだな。
「……なんか頭の中で罵られた気がするんだけど」
「いやそんなまさか。それよりほら」
俺は喫茶店に入って華の対面に座り、朝からコンビニを駆け巡って手に入れた収穫物を広げた。
「付録は外しておいてよね、邪魔だから。塾終わった後で渡して」
使えないわね、と言わんばかりに肩をすくめる。
こっちの顔を見もしない。
感謝の一つでもあればこっちの気分も良くなるんだが。
「へいへい」
「へいは一回」
「へい」
しかし、今日はずいぶんと機嫌が良いな。
バカだのノロマだのといった罵声も、そしてパンチもキックも飛んでこない。
「……今日、塾で模試があるのよ」
「おう」
「一位取ったらあんたにご褒美でもあげるわ」
「へ?」
な、なんだ、何を言ったこいつ?
こんな殊勝なことを言う奴だったのか?
変な物でも食ったのか?
「じゃ、行くわ」
俺はぽかんとしたまま、華を見送った。
華が食べたあとのトレーは俺が返却口に返すことになったが、そんなこと気にならないほどに俺は動転していた。スマホを懐から取り出し、クラスの男友達のグループにメッセージを送った。
『華が感謝の言葉を言った』
即座に三人くらいから反応が返ってきた。
『うそをつくな』
『ハーブでも吸ってラリってんのか』
『それはおそらく幻覚でしょう』
なんで信じねえんだよ!
と怒るものの、俺だって当事者じゃなかったら信じなかっただろう。
この気持ちを共有できる人間はおるまい。
俺は喜び以上に奇妙な居心地の悪さを思いながら週末を過ごした。
◆
そして一週間が過ぎた。
実に平和な一週間だった。俺に対する皮肉や暴言はあるがストレートな暴力は減ったし、適当に他人をパシらせることも少なかった。へたくそな授業をする教師に食ってかかることもちょっとしかなかった。みんなが幸せだった。幸せ過ぎて幻覚を見てるんじゃないかと自分の正気を疑うクラスメイトさえいた。
そして、再び土曜日に喫茶店で待ち合わせした。
華は、財閥家のご令嬢のくせに孤高だ。俺以外の友人らしい友人のいないぼっちなので大体俺が呼び出される。
確か、昨日の夜に予備校の模試の結果が発表されていたはずだ。あの華の上機嫌ぶりからしてきっと良い結果だったのだろう。ご褒美をあげるわ、という言葉が現実味を帯びてきた。
お願いするとしたら……そうだな、この調子で華が温和な性格になって欲しい。もっともそんなことは流石に口には出せないが、華の機嫌がこのまま上へ向かっていけば自然とそうなるはずだ。
そんな、俺の儚い期待はもろくも打ち砕かれた。
「遅い」
つんさくようなヒステリックな文句ではない。
溶岩のように重く、そして熱い、負の気配で煮え滾った声。
そして意味も無く投げつけられるトートバッグ。
これを迂闊に避けると蹴りが飛んで来るので、黙って顔で受けた。
中身はノートやプリントだけなのだろう。重さはなく、大して痛くはなかった。
「悪かった、店に入ろう」
俺も華の相手は手慣れたものだと思っていたが、ここまで不機嫌なのも珍しい。
恐らくは模試で失敗したのだろうな。
触らぬ神に祟りなしだ。
好物を食べさせて宥めて、同時並行してクラスメイトに「今週は機嫌が悪いから気をつけろ」とメッセージを飛ばしておこう。連中の阿鼻叫喚が楽しみだ。俺だけがストレスをぶつけられるのも不公平だしな。
「華、痛い」
「人が話してるのにスマホいじるとか舐めてんの」
自分はスマホいじってるのに言うんだぜ、ちょっと凄くないか。
そして一瞥もせずに的確に俺のスネを打ってくる。
こいつ格闘の才能もある。
「あの、マジで痛いんで、勘弁してください」
「じゃあ機嫌取りなさいよ」
「とりあえず甘い物食べよう」
俺も華も甘党だ。
味覚の好みが合うのが救いだ。
嫌いな物を付き合いでひたすら食べなければならないということはない。
華は俺の提案に文句はないらしく、「ん」と子供っぽく頷く。
「あ、店員さん、ちょっと」
俺の手招きに、店員が硬いスマイルを浮かべつつやってきた。
この店の店員も華の行状を知っているのでちょっと緊張している。
「ノワールケーキ、蜂蜜とクリーム大盛りで。それとモンブラン、季節のフルーツパイ、須弥山マウンテンパフェ、それと飲み物は……」
「おいおいおい」
「うるさい」
店員に、華が怒涛のごとく注文していく。
俺が食いすぎだろうと言うまえにぴしゃりと叱られた。
「あ、はい、すみません」「すっ、すみません!」
なぜか店員も俺と一緒に謝っている。
まあ迫力があるので謝りたい気持ちはわかるが。
「……まあ、後は適当に持ってきて頂戴。下がって良いわよ」
ものすごい無茶振りで店員も汗をかきながら困っている。
そういうの中世の貴族とかじゃない限りやらない方が良いと思うんだが。
俺はトイレに行くふりをして店員を捕まえ、華のかわりに詫びた。
「本当にすみません……」
「い、いえ……気になさらず……」
店員は泣きそうな顔と営業スマイルを両立させた複雑な表情を浮かべた。なんとも心が痛い。
気難しい店なら出禁になりかねない華の振る舞いだが、このへん一帯の土地やショッピングモールの土地は、弥勒門家のものだ。別に華自身は親の名前など出してはいないのだが、ご近所では華は弥勒門財閥のご令嬢として有名かつ恐れられている。店長が問題になるのを恐れて、華の振る舞いはお目こぼしされているのだ。ごめんな店員さん。
金払いは良いし、他の客とのトラブルは起こしてない(俺が未然に防いだりとりなしたりしている)ので許してくれ。
「はぁ……」
俺が再びテーブルに戻ると、華は珍しく覇気のない顔をしていた。
「あんた、適当に食べて良いわよ。あんまり食欲ない」
こ、こやつ、食べ物を粗末にする気か。
「え、えーと、華さん、なんで頼んだの?」
「頼みたかったからに決まってるでしょ。ああ、ケーキは私食べるから手を付けないで」
そうこう言っている間に、すぐにコーヒーとデザートがテーブルに並べられていく。この喫茶店の店員は完全に華に萎縮しており、最優先でオーダーが通されるのだった。本当にごめんなさい。
「じゃ、頂きます」
「うん、頂きます」
華もこういう挨拶はするのだ。
なんだかんだでこいつ、育ちは良いのだった。
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