恥ずかしがり屋の森の妖精は照れると姿を隠す
その女性は今まで見たこともないほど美しかった──。
「うふふ、そんなことがあったの。よかったわねぇ。え? あなたは嫌なことがあったの? 聞かせてくれる?」
湖のほとりで小鳥と語らうその姿は女神のようだった。
青く輝く瞳にさらさらの黒い髪。
透き通った白い肌、聞き惚れてしまう甘い声。
「まあ、悪い子ねぇ。そんなことしたら、メッ! ですよ」
まるで本当に小鳥と会話をしているかのようだった。
「ほら、泣かないで。木の実をあげるから」
慈愛の神というものがいたら、きっとこんな姿をしているに違いない。
小鳥と語らう彼女はどこまでも美しく───そして神秘的だった。
「うふふ、元気出た? よかった」
「あ、あの……」
声をかけた瞬間、しまったと思った。
僕の声に彼女のまわりにいた小鳥たちが一斉に羽ばたいていったからだ。
そして当の本人は驚いた表情で僕を見つめていた。
ヤバいと思った。
声をかけるべきではなかった。
僕はとっさに謝った。
「す、すいません。驚かせるつもりはなかったんですが……」
その女性はシルクのローブを身にまとっていた。
上品な雰囲気といい、気品漂う仕草といい、まるで上流階級の貴族のようだった。
まさか王族とまではいかないだろうが、町のしがない服職人である僕が話しかけていい相手ではなかったかもしれない。
「………」
しかし女性は驚いたまま僕をじっと見つめていた。
少なくとも「不敬なヤツ」と罵られることはなかった。
僕はホッとして一歩踏み出した。
するとそれに呼応して彼女も一歩下がった。
完全に警戒されている。
当然だ。
今の僕は完全に不審人物なのだから。
僕はなるべく穏やかな声で言った。
「ごめんなさい。あなたの姿があまりにも綺麗だったものだから、思わず声をかけてしまいました」
女性は僕の言葉に目を丸くすると、やがて顔を真っ赤に染めてボンッとその姿を消した。
そう、比喩でもなんでもなく完全にその場から消えたのだ。
僕はただただ茫然と、彼女がさっきまでいた場所を見つめていた。
※
「そりゃあ、森の妖精ドライアードじゃないか?」
町に帰ったあと、僕は友人のフレイと食堂で昼食を食べながらその話をした。
するとフレイからそんな言葉が返ってきた。
「ドライアード?」
「森を守る妖精だよ。守るというか、動物たちの話し相手になってあげてる存在だな」
「そういえばたくさんの小鳥たちとなんかしゃべってた」
動物たちの話し相手というなら納得だ。
「ラッキーだな、お前。ドライアードは滅多に人前に姿を現さないんだぜ?」
「そうなの?」
「姿を見れただけでもかなり幸運なのに、まさか話しかけたなんてな」
フレイは巨大な肉にかぶりついてもごもごと口を動かしている。
そんな話を聞いたあとじゃ、僕はそんなに食べる気が起きなかった。
そそそっと、目の前に置かれた肉の皿をフレイの前に置く。
フレイは何も言わずに僕の肉に手をつけた。
「でもすぐに逃げられちゃったよ」
「そりゃ逃げるだろ」
「なんで?」
「ドライアードは恥ずかしがり屋なんだ」
言われてみれば。
確かに消える瞬間、恥ずかしそうにしていた。
「まあ、もう一度会おうと思っても会えないだろうさ。ドライアードを目にするなんて、一生に一度あるかないかだからな」
フレイはそう言って、僕の差し出した肉の皿までペロリとたいらげた。
※
けれど、数日後。
僕はまたドライアードに会えた。
いや、会いに来てくれたといったほうが正しいかもしれない。
いつものように森の中を散策していると、木の影から突然彼女が飛び出してきたのだ。
「あの」
「どわあ!」
思わず尻もちをついてしまった。
消えるのもいきなりだったけど、現れるのもいきなりだ。
ビックリしすぎて死ぬかと思った。
「いてて……」
「大丈夫ですか?」
心配そうに見つめる青い瞳。
その瞳に吸い込まれて、僕は一瞬立ち上がるのを忘れてしまった。
「あの……?」
いつまでも尻もちをついているものだから、オロオロとしだした。慌てて立ち上がる。
「すいません。大丈夫です」
「ああ、よかったぁ」
ほわっとした笑みがすごく可愛い。可愛いすぎて、悶死しそうだ。
「私のせいで死んでしまったらどうしようかと思いました」
「いやいや、そんな大げさな……」
別の意味で死にそうになったけど。
にしても本当にビックリした。
まさか彼女のほうから話しかけてくるなんて。
フレイの言っていたことはなんだったんだ。
僕はパンパンとお尻をはたいて尋ねた。
「あ、あの、僕に何か用ですか?」
「いえ、用ってほどじゃないんですけど……」
モジモジする姿もまた天使のようだ。
「この前言ってくれたこと、本当か聞きたくて……」
「この前?」
「私の事を……その……綺麗って……」
綺麗の部分だけかなり声が小さかったけど、なんとか聞き取れた。
わざわざそれを確認するために現れたのだろうか?
「本当ですか?」
「本当です。ドライアードさんはすごく綺麗です」
「嬉しいです。森の動物たちはそんなこと一度も言ってくれなかったから」
ああ、眩しい。
後光が射してらっしゃる。
「それに私の事も知ってらっしゃったんですね」
「ええ、まあ……」
友人から聞いたとは答えづらい。
とはいえ、やっぱりこの女性は森の妖精ドライアードで間違いないらしい。
「ありがとうございます。それだけを聞きたかったんです」
ふわりと浮かんで消えようとする彼女に、僕は思わず声をかけた。
「あ、あの!」
まさかこれきり二度と会えないだろうか。
そう思うと聞かずにはいられなかった。
「また会えますか?」
きっと会えないだろう。
そう思った僕の質問だったけれど、彼女は意外な返事を聞かせてくれた。
「はい、もちろん。呼んでくださればいつでも現れます」
※
その日から、僕は彼女と頻繁に会うようになった。
彼女はドライアードではあるのだけれど、ドライアードというのは森の妖精たちの総称で、本来の名前は「サーラ」というらしい。
サーラは教えてくれた通り、僕が森に入って呼びかけるとすぐに出て来てくれた。
「こんにちは、アラン」
彼女は僕の名前まで覚えてくれた。
「今日もいっぱいおしゃべりしましょうね」
いつも動物たちの聞き役に徹していたサーラは、自分も話したくてウズウズしていたのだろう。
僕がやってくると嬉しそうに今までの出来事を話してくれた。
木の上からサルが落ちただの、森を歩いてたオオカミが棒に当たっただの、猫に追われていたネズミが逆に猫を噛んだだの。
森での出来事を面白おかしく聞かせてくれた。
「それでね、そのウサギさん、間違えてモグラの穴に落ちちゃって……」
クスクスと笑いながら語る彼女の姿を、目を細めながら聞いていた。
「あ! ごめんなさい。私ばかりしゃべってて……」
「ううん。サーラの話は面白いから、いつまでも聞いていたいよ」
彼女は褒められると恥ずかしがってすぐに姿を隠すクセがある。
今度も顔を両手で隠してパッと消えてしまった。
最初は戸惑ったけれど、今はだいぶ慣れた。というか、すぐに見つけられるようになった。
彼女は姿を隠しているつもりなんだけど、よく見ると空間が歪んでいるのだ。
そこに手を伸ばすと、必ずサーラの腕があった。
「ほら、捕まえた!」
わざとなのかたまたまなのか。
僕がサーラを捕まえると彼女は嬉しそうに姿を現した。
「うふふ、捕まっちゃった」
そんな彼女がまた可愛くて、愛しくて、僕は次第にサーラに心惹かれていった。
※
転機が訪れたのは彼女と知り合って数ヶ月たったある日のことだった。
サーラが突然、姿を現さなくなったのだ。
何度呼びかけても目の前に出て来てくれなくなった。
「サーラ? サーラ?」
呼んでも返事がない。
いつもはすぐに現れてくれるのに。
「サーラ、どこ?」
辺りをくまなく探す。
けれどもサーラは全く出て来てくれない。
もしかしてサーラの身に何かあったのだろうか。
僕は心配でたまらなくなった。
サーラを探して森中を駆け回った。
しかし、この森は大きい。
探すにも限度がある。
動物たちと会話ができればよかったけれど、人である僕にもちろんそんなこと出来るわけがない。
ただひたすら森の中を探しまわるしかなかった。
「サーラ、どこなの? 返事をして」
三日三晩、僕はサーラを探しさ迷った。
どこに行ったんだろう。
大丈夫なんだろうか。生きているのだろうか。
「またね」と言って別れたのはつい最近のことだ。
その時はいつものように笑顔を向けてくれていた。
なぜ出て来てくれないんだろう。
どうして隠れたままなんだろう。
不安だけが募っていく。
僕は森中を探し回りながらフレイの言葉を思い出した。
「ドライアードを目にするなんて、一生に一度あるかないかだからな」
もしかしたら、と思った。
もしかしたら本当にその通りなのかもしれないと。
そうだ。
今まで当たり前のように思っていたけれど、本来ドライアードは森の妖精で、簡単に会える存在ではなかったのだ。
名前を呼べば会えると思っていた僕が間違っていたのだ。
「そんな……サーラ……」
僕はガクッと膝をついた。
今まで味わったことのない絶望感が僕を襲った。
このまま二度と会えないだなんて考えたくなかった。
サーラの顔、仕草、声、肌の感触。
すべて覚えている。
他愛ないことでクスクス笑い、ちょっとしたことで顔を真っ赤に染める。
そんな彼女が大好きでたまらなかった。
「サーラ、どこだよ……。君の声をもう一度聞きたいよ。たくさんおしゃべりする君がもう一度見たいよ。こんなに愛してるのに……」
その時、うなだれる僕の目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。
見間違いかとも思ったけれど、まわりの景色に比べて明らかに不自然に空気が渦巻いている。
「……これは」
そう、これは知っている。
これはサーラが姿を隠している場所を示す空間の歪みだ。
彼女がいる場所がわかる空気の渦だ。
とすればサーラはここに……。
僕は恐る恐るその空間に手を伸ばした。
何度呼びかけても現れてくれなかったサーラ。
何度呼びかけても答えてくれなかったサーラ。
そんな彼女が、そばにいる気がした。
歪んだ空間の中で僕はガシッと何かを捕まえた。
覚えのある感触だった。
いつものあの感触だった。
グイっと引っ張ると、歪んだ空間の中から顔を真っ赤に染めて泣きじゃくるサーラが現れた。
「サーラ!?」
「アラン!」
強く引っ張り過ぎたはずみでサーラを抱きしめたまま後方に倒れ込んだ。
「あだっ!」
「アラン! アラン!」
背中に鈍痛が走るも、胸の中で泣きじゃくるサーラを見て痛みを忘れた。
「ごめんね! ごめんね、アラン!」
「サーラ、よかった。ようやく見つけた」
「アラン、本当にごめんね! ドライアードの長老からあなたとはもう会うなと言われたの。ずっとずっと近くにいたけれど、声もかけられなくて……」
泣きじゃくるサーラを見て、僕は心がキュッと痛んだ。
彼女は探し回っている僕のそばにいながら声もかけられずにいたのだ。
ずっとずっと声をかけ続ける僕のそばにいて我慢していたのだ。
きっと彼女のほうが何倍も何十倍もつらかっただろう。
「謝らないといけないのは僕のほうだよ。サーラ、つらい思いをさせてごめんね」
「ううん! ううん!」
「もう離さないよ。きっちりと捕まえた」
姿を消されても逃げられないよう、しっかり抱きしめる。
ほのかな森林の香りが鼻腔をくすぐった。
僕の大好きなサーラのにおい。
サーラは泣きながら僕の胸に顔をうずめてゆっくりと頷いた。
「うん……捕まえられた」
※
その後、僕はサーラとともにドライアードの長老と会った。
長老といっても年老いたおじいちゃんではなく、物静かな老紳士のような妖精だった。
白髪にオールバックの渋い老紳士だ。
そんな長老曰く、人間とドライアードが共存するというのは前例がないらしく、僕とサーラの関係が不安だったんだそうだ。
さらにはサーラは長老の孫娘ということで、孫可愛さに僕との接触を禁止したらしい。
けれども、サーラの懸命な説得により(僕も声を出したけど、効果があったかどうかはわからない)渋々一緒にいられることが許された。
ただし、僕らの事は外部に漏らしてはいけないというのが絶対条件だという。
言われずともそのつもりだった。
僕らの森での語らい、それは誰にも邪魔されたくはなかったのだから。
「ほら、捕まえた」
「うふふ、捕まっちゃった」
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