桜の木の下で出会った女性は、天国への行き方がわからない幽霊さんでした

「あの……、天国へはどうやったら行けるんでしょうか?」



 春は頭のおかしな人が増えるという。寒さで縮こまっていた脳が活性化し、気分が高揚するのだそうだ。

 ……持論だが。


 でも確かに春は温かくて陽気になる。散歩しながら気づいたら鼻歌のひとつも歌ってしまっていた、なんてのはよくあることだろう。

 ……持論だが。



 しかしあながち間違いではないと思う。

 現に今、僕の目の前には「頭のおかしな人」がいる。

 いや、言いかえよう。「頭のおかしな綺麗な女性」がいる。

 その人はピンクのカーディガンを羽織った人だった。

 さらさらのロングヘアーにふっくらとした頬、整った眉、とがった顎、すらっとした鼻。

 年の頃は僕と同じ20歳くらいだろうか。

「頭のおかしな」という印象を持たなければ、きっと振り向いてしまうくらいの美人さんである。


 その頭のおかしな綺麗な女性は柏木公園の桜並木からひょっこり現れて、突然僕にそう尋ねてきたのだ。



「天国へはどうやったら行けるんでしょうか?」と。



 まるで他に言葉を知らないかのような、唐突な聞き方だった。


「て、天国ですか……?」


 しどろもどろになりながら聞き返す僕に、彼女はにっこりとほほ笑みながら言った。


「はい、天国です。英語でヘブンのほうです」


 そう言ってご丁寧にもスペルを指でなぞる。「a」が抜けてた気がしたが黙っておいた。


「決して天国パラダイスのほうじゃありませんよ?」


 ここはツッコむべきところなのだろうか。


「あの、言ってる意味がよくわからないんですけど……」


 ゴクンと唾を飲みこみながら、今の状況を全力で理解しようとする。

 2年前の大学入試以来、久々に使う脳のフル回転だ。

 しかしそれでも今のこの状況はまったく理解できなかった。

 あまりにもポカンとしていたのだろう、彼女は「あ!」と叫んで首を振った。


「ご心配なく! 私、怪しいものじゃありません!」


 ペコペコと頭を下げる謎の女性。

 どうやら怪しいというのは察してくれたらしい。

 僕の中で「頭のおかしな人」から「少し頭のおかしな人」に格下げされた。


「実は私、幽霊なんです」

「………」


 ポカンという顔にレベルがあるとするならば、今の僕は「MAXポカン」に違いない。

 そして今しがた「少し頭のおかしな人」に格下げされた彼女は一気に「ヤバいくらい頭のおかしな人」レベルに昇格した。

 いきなり何を言ってるんだ、この人。


「信じられませんか?」

「信じられませんも何も、いきなり幽霊なんですって言われても……」

「でも見てください、ほら」


 女性はそう言って近くの桜の木に腕を突っ込んだ。

 それは突っ込んだという表現が正しいほど、腕がごっそりと木の中にめり込んでいた。


「うごほおおおおぉぉぉっ!!!!!」


 僕は思わず叫んでしまった。出しちゃいけないものまで出してしまったかもしれない。


「ね? 幽霊でしょ?」


 女性は腕を引き抜くと幽霊とは思えない笑顔で言った。


「さ、さよならッ!」


 慌てて逃げ出そうとすると、彼女は僕の目の前に立ちふさがった。


「待って待って待って! なんで逃げるの!?」


 一瞬で目の前に移動してきたその姿に、さらに悲鳴を上げる。


「ひいいっ!」

「怖がらないでください。ちょっと道を尋ねたいだけなんですから」

「勘弁してください! 僕、お化けとか幽霊とか大の苦手なんです!」

「あ、気が合いますね、私もです」


 ニッコリ笑う彼女。もはやツッコむ気力もない。


「実は私、数週間前に飲酒運転のトラックに轢かれてしまって……。気が付いたらここに立っていたんです」

「そ、そうなんですか……」

「それ以来、ずっと道行く人に天国への行き方を尋ねてたんですけど、誰も気づいてくれなくて……」

「そ、そうなんですか……」

「ようやく、あなたに気づいてもらえたんです」

「ソ、ソウナンデスカ……」


 ヤバい、気づかなきゃよかった……。


「それで、天国ってどうやったら行けるかわかりますか?」

「いや、わかりませんけど……」

「ですよねー」


 分かり切ってたことだろうに、テヘへと笑う仕草が少し悲しく見えた。


「すいません、お力になれなくて」

「いいえ、とんでもありません! こちらこそ驚かせてしまってすいませんでした!」


 ペコペコと頭を下げる彼女。

 その姿に幽霊っぽさが全然感じられず、僕は徐々に落ち着きを取り戻し始めた。

 思えばこの女性、こうやって数週間もずっと誰かに道を尋ね続けていたのだろう。

 でも誰も気づいてくれなくて。

 ようやく気づいた僕も天国への行き方なんて知らなくて。


 そう思うとちょっぴり可哀想に思えてきた。


「天国への行き方、見つかるといいですね」

「はい、ありがとうございます」


 何度も何度も頭を下げるその幽霊。

 これはいわゆる地縛霊というやつになるのだろうか。


「僕のほうでも調べておきます。何かわかったらお伝えしますね」

「はい! お願いします!」


 僕らはそう言って別れた。



     ※



 結論から言うと、天国への行き方など見つからなかった。

 というより、彼女の存在を誰も信じてくれなかったのだ。


 まあ、当然と言えば当然だ。

 天国へどうやって行くのか聞いて来る幽霊なんて聞いたことがない。

 家族や友人にこの話をしても「うっそだー」の一言で終わった。


「ごめんなさい、結局天国への行き方わかりませんでした」


 次の日、僕は彼女の元を訪れて素直に謝った。


「そうですか」

「すいません、力になれなくて」

「いえ、こちらこそ無理なお願いをしてもらって……」


 しゅん、とうなだれる幽霊さん。

 ほんと、幽霊でなかったら抱きしめたいくらい綺麗な人だ。

 なんとか成仏させてあげられないだろうか。


「あの……」

「はい?」

「素朴な疑問なんですけど、どうして成仏できないんですか?」

「どうしてと言われましても……」


 そうだ、まずはそこからだ。

 普通に考えて成仏できない幽霊というのは何かしら理由があるはずだ。

 今世に未練を残して死んだとか、誰かを恨んだまま死んだとか。

 後者だったら無理かもだけど、前者だったら何か手があるかもしれない。


「何かやり残したことでもあるんじゃないですか?」

「やり残したこと……」

「なんでもいいんです。なにかありませんか?」

「ああ! それでしたら!」


 そう言って彼女はポンっと手を叩いた。


「なんですか?」

「死ぬ直前、櫛風堂しっぷうどうの桜餅アイスが食べたいなーって思ってました!」

「あ、あいす……?」

「はい! 期間限定の和風アイスです!」

「………」


 だいぶ想像してたのと違ったのが出てきた。


「ご存じありませんか? この近くにある有名和菓子店で、数週間前に発売したアイスなんですよ!」

「そ、それが食べたかったんですか?」

「はい、とっても!」


 いや、違う。

 僕が求めてたのはそんな答えじゃない。

 とはいえ、やり残したことを聞いた手前、否定することもできない。

 僕は漠然とした不安を隠しつつアイスを買ってあげることにした。


「じ、じゃあ、それ買ってきますね」

「ええ!? 買ってくださるんですか!? わあ、嬉しいなあ!」


 幽霊さんは嬉々として飛び跳ねていた。



     ※



 結論から言うと、アイスではなかった。

 わかってはいたけど、違った。


 というより、桜餅アイスを買ったはいいが、いざ差し出してみたら

「これ、どうやって食べたらいいんでしょう」

 と言われたのだ。


 思わず「くそう!」と叫んでしまった。


「うふふ、すり抜けちゃうから食べられませんでしたね」

「はあ。せっかく買ったのに」


 もったいないから代わりに僕が食べた。

 まろやかな甘さとほんのりとした苦みが口いっぱいに広がる。


 あ、美味しい。


「どうですか? 美味しいですか?」


 幽霊さんが興味津々という顔で聞いて来た。


「う、うん。すごく美味しいです。食べたことない味です」

「へえー。例えばどんな?」

「例えば……桜餅を食べてるような……」

「ほうほう、桜餅を食べてるような。って、それ桜餅アイスですしー!」


 ツッコまれた。

 いいノリでツッコまれた。

 思わず笑みがこぼれる。


「ふふ」

「笑わないでくださいよー。ううう~。生まれ変わったら心ゆくまで食べてやるんだから!」


 目を「><」の字にして悔しがる幽霊さん。

 心ゆくまで食べるもなにも、期間限定ってさっき言ってませんでしたっけ?

 イマイチ彼女の言葉が本音なのか冗談なのかわからない。


 それよりも、結局振り出しに戻ってしまった。

 彼女が成仏できない理由、早くそれを突き止めないと。


「あの、幽霊さん。他にやり残したことってありませんか?」

「ん~、やり残したこと……」

「できれば成仏できるようなものが欲しいんですけど」

「ああ! そうだ!」

「なんです?」

「映画が見たかったです! この春上映の!」

「………」


 また成仏とは無関係そうなのが出てきた。


「え、映画って……どんな?」

「なんとかって映画」


 なんとかって映画は巷にはいっぱいありますが……。


「も、もうちょっと具体的に教えていただけません?」

「えーと、えーと……。なんだったかなぁー。たぶん映画館に行けばわかると思います」

「わ、わかりました。じゃあ今から観に行きますか。っていうかあなた、ここから離れられるんですか?」

「ああ、それならたぶん平気だと思います」


 言うなり彼女はふわりと浮き上がり、僕の背後に回った。

 瞬間、ズシリと肩が重くなる。


「な、なんか肩が重くなったんですけど?」

「ああ、ちょうど今、あなたに憑りつきました」

「憑りつきましたって……」


 横を向くと、ちょうど肩のあたりに彼女の顔があった。


「ふおおおおおおおおおぉぉぉっ!?」


 思わず叫んでしまった。

 まわりに人がいなくてよかった。


「ちょちょちょ、なにしてるんですか!?」

「だってこうしないと移動できないんですもの」

「移動って! 僕に憑りつけば移動できるんですか!?」

「はい、そうです。っていっても私も初めてなんですけどね! 実践してみましたが、うまくいきました」


 初めてなんですけどねって……。

 僕も幽霊に憑りつかれたの初めてです。


「ああー、気持ちいい! おんぶされてるみたいですっごく気持ちいいです!」

「ふ、ふふ……。そーっすか、気持ちいいっスか……」


 そんなこんなで、僕は幽霊さんを背負って(?)映画館に向かった。



    ※



 結論から言うと、やっぱり映画でもなかった。

 わかってはいたけど、これも違った。


 でも彼女は映画館につくなりテンションが爆上がりし、大満足した様子だった。

 ちなみにどんな映画かと言うと、イケメン俳優と清楚なアイドルがイチャイチャするバカップル映画だった。


「ほんとにこれですか?」

 と聞いたが、

「ほんとにこれです!」

 と譲ってくれなかったため、渋々その映画を観た。


 ほんと地獄かと思った。

 想像できます?

 カップルだらけの館内で男一人でイチャコラバカップル映画を見る苦行。

 まわりからは「やだー、あの人ひとりで観てるわー。かわいそー」と言われてるみたいだった。


 これで幽霊さんが成仏してくれたらまだよかったのだが、彼女は「はあー、面白かったですね」で終わってしまった。

 思わずまた「くそう!」と叫んでしまった。


「面白くなかったですか?」

「い、いや、まあ面白くなくはなかったです……」


 バカップルがイチャコラしてるだけの映画だったが、まあ面白くなくはなかった。


「ですよねー! はあー、もう最高でした。ヒロインのセリフがまた最高でー。『あなたとは死ぬ時までずーっと一緒にいたいわ』なんて。きゃー! 一度でいいから言ってみたいセリフです!」


 なかなか物騒なことを言う幽霊さん。

 彼女が言うとなんとなくホラーなんですけど。


 とりあえず目的が達成できなかったので再度尋ねてみた。


「……あの。あなたのやり残したこと、他にないですか?」


 ぶっちゃけ、本当に未練を残して死んだのかわからなくなってくる。


「やり残したこと……。えーと、えーと。あ! 連載中のマンガの続きが気になります!」

「………」


 もしかしたら一生このままかもしれない、とちょっと思った。



     ※



 結論から言うと、どれもこれも空振りだった。


 彼女のやり残したこと、気になってたことを一つ一つ試してはみたのだけど、一向に成仏する気配が感じられなかった。


「はあ、どれもダメでしたねー……」

「すいません、いろいろ手を尽くしてくださったのに……」


 結局、僕らは桜の木の下まで戻ってきた。

 ふわっと身体が軽くなる。

 気がつけば、僕に憑りついていた彼女が目の前に立っていた。


「でも今日はすごく楽しかったです! ありがとうございました!」


 嬉しそうに笑う彼女を見ると、なんだか僕もちょっぴり嬉しかった。


「よかったです。なんだかんだいって、僕もけっこう楽しかったですし」


 それはお世辞ではなく本心だった。

 彼女が幽霊でなく生きていた人間であったならと何度思ったことだろう。


「今日はもう遅いからまた明日来ますね。それまでに、また何かやり残していたことがないか思い出しといてください」


 僕の言葉に彼女は申し訳なさそうにうつむく。


「大変ありがたいのですが、もう大丈夫です。あなたにばっかり負担をかけてしまっているので」

「いや、そんな……。負担だなんて」

「このままここにとどまって、天国へ行く方法を探しますね」

「………」

「それに、私にはなんのお返しも出来ませんから……」


 そう言って寂しそうに笑う彼女がまた不憫でならなかった。

 お返しなんていらないのに。


「大丈夫です、気にしないでください!」


 僕は元気よく答えた。


「え?」

「僕もなんとかあなたが天国へ行けるよう、精いっぱい頑張りますから!」

「で、でも……」

「それとも僕がいると迷惑ですか?」

「そんなわけありません!」

「じゃあ最後まで協力させてください」


 彼女は頬を赤らめて泣きそうになりながら「ありがとうございましゅ」と言った。

 噛んでる姿が盛大に可愛い。

 思わず抱きしめたくなる。

 まあ、抱きしめようとしてもすり抜けるだけだけど。


「じゃあまた明日!」

「はい」


 僕らはそう言って別れた。



      ※



 その日以降、僕は何度も彼女のもとを訪れて彼女のしたかったこと、やり残したことを巡った。


 時には遠出もしたり、日付けが変わるまで一緒にいて夜景を見たりもした。

 この時から僕の心の中でいろいろと何かが芽生え始めた。



 彼女と一緒にいたい。

 彼女のそばにずっといてあげたい。



 そう思うようになった。

 たとえ相手が幽霊であっても構わなかった。

 彼女が喜ぶと僕も嬉しく、彼女が悲しむと僕も落ち込んだ。


 どうやら僕はこの幽霊さんに恋をしてしまったらしい。


「おはよう、今日はどこに行きたいですか?」

「おはようございます。今日はですねー」


 こんなやりとりが幸せだった。

 ずっと続いて欲しかった。


 でも相手は実体のない存在。

 どんなに僕が願っても一緒になることなど不可能だ。

 それがとても悲しくてもどかしかった。





 そんな生活が数週間続いたある日のこと。

 朝のニュースを見ながらコーヒーを飲んでいると、見慣れた景色が画面に飛び込んできた。

 幽霊さんがいるあの公園だ。

 あの桜並木の公園がテレビに映し出されていた。


『速報です。先月4日、〇〇県の路上で女性をひき逃げした男が逮捕されました』


 ニュースキャスターの言葉に僕は思わず飲んでいたコーヒーをぶちまけてしまった。


「な、な、な……」


 身体がぶるぶる震える。

 逮捕されました?

 捕まってなかったのか?


『男は当時、酒を飲んだ状態でトラックを運転し、柏木公園にいた女性を轢いて逃げた疑いがもたれています』


 まさに。

 まさに彼女がいるあの場所だった。


 僕はコーヒーカップをテーブルに置き、食い入るように画面を見つめた。


『これは先月4日、横断歩道を渡っていた女性がはねられた事件で、トラックを運転していた男はそのまま逃走。行方をくらませていました。警察の調べに男は容疑を認めており……』


 なんてことだ。

 まさか彼女をはねた運転手が捕まってなかったなんて。

 そっちの線はまったく考えてなかった。


「そうか……。成仏できなかったのは轢いた運転手が逮捕されてなかったからか……」


 だとしたら、これで彼女の未練はなくなる。

 無事に犯人は捕まったのだから。


 でも嬉しいと同時に寂しい気持ちが沸き上がった。

 彼女には成仏して欲しい、しかし別れたくはない。


 複雑な感情が入り混じった。


 これは報告すべきだろうか。

 それとも黙っていたほうがいいのか。


 本心からは黙っていたかった。

 彼女とのやりとりをずっと続けていたかった。


 でも、それではいつまでたっても彼女は成仏できない。それは彼女にとってもよくない。

 やっぱり伝えるべきだろう。

 僕はすぐさま出かけようとリモコンに手を伸ばした。


 そして、テレビの電源を落とそうとしてはたと止まった。



『なお、ひき逃げされた女性は今もなお意識不明の重体・・・・・・・で、昏睡状態が続いています』



 僕はポカンとなった。

 ポカンのレベルがあれば「MAXポカン」だ。


 意識不明の重体?


 死亡ではなく、意識不明?



 その瞬間、僕はすべてを悟った。



 そうか!

 だからあの幽霊さん、天国へ行けなかったんだ!

 天国への道がわからないんじゃなくて、天国へ行くにはまだ早すぎたんだ!

 だって、死んでないんだから!


 悟ったと同時に、僕は家を飛び出すと柏木公園へ向かって駆け出していた。



     ※



「幽霊さん!」

「あ、おはようございます」


 いつもの場所でいつものように彼女は立っていた。

 いつも見ている光景なのに、今日はなんだか一段と美しく見えた。

 僕の心がそう見せてるのか、それとも春の陽気がそう見せてるのか。


 僕は「幽霊さん!」と叫ぶと思わず抱き着いた。


 ……つもりだったが、彼女の身体をすり抜けて桜の木に激突した。


「あだっ!」

「きゃっ! 大丈夫ですか!?」


 慌てた表情の彼女。

 でも今の僕は嬉しくて痛さも感じない。


「だ、大丈夫です……。あたた……」


 そうでもなかった。


「大変、おでこにこぶが……」

「僕のことはいいんです! それよりも聞いてください! あなた、まだ死んでないんです!」

「はい?」

「さっき、テレビのニュースで言ってたんです! あなたを轢いた運転手が逮捕されて、テレビにここが映ってて、運転手は容疑を認めてて……」


 興奮しすぎて支離滅裂だ。

 自分で何を言ってるのかわからなくなってくる。


「お、落ち着いてください。何があったんですか?」

「とにかく! あなたは死んでなんかいないんです! 意識不明で入院中なんです!」


 それはそれで大変なことだけど、死亡よりははるかにいい。

 なんたって、生きているんだから。


「意識不明?」

「はい! だからまだ望みはあるんです!」

「じ、じゃあ、今の私は……」

「生霊なのか幽体離脱の状態なのか、僕にもわかりませんけど、とりあえず病院に行きましょう! あなたの本体が眠っているかもしれません!」

「は、はい!」


 ズシッと身体が重くなった。

 彼女が僕に憑りついた証だ。

 でも僕にとって今は嬉しい重さだった。


「行きますよ!」

「お願いします」


 そう言って、近くの大学病院に向かって僕は走り出した。



      ※



 予想は当たっていた。


 病院につくなり看護師さんに彼女の部屋を聞き、病室に駆け込むと彼女はベッドの上で眠っていた。

 穏やかな表情で人工呼吸器を当てられながらも確かに息をしていた。


「は、はは……。ははは……」


 思わずへたり込む。

 目の前に本当の彼女がいる。

 本物の彼女がいる。


 そうとわかると思わず笑みがこぼれた。

 嬉しくてたまらなかった。


「本当に……本当に私がいる……」


 肩越しから彼女が信じられないといった感じで震えた声をあげている。


「幽霊さん、あなたは死んでなんかいなかったんだ。生きてたんだ」

「だから天国への行き方がわからなかったんですね」

「よかった。本当によかった」

「ありがとうございます。ありがとうございます……。あなたにはなんとお礼を言ったらいいか……」

「お礼はいらないから。さあ、元の身体に」

「はい」


 ふっと身体が軽くなった。

 僕の身体から離れたようだ。


 そしてスーッと目の前で眠る彼女の身体に幽霊さんが入り込むのが見えた。

 それはまるで水の中に潜るかのように自然な入り方だった。


 直後、ベッドの上で眠っている彼女の目がうっすらと開いた。

 ピクっと指先が動くのがわかった。


「幽霊さん」


 声をかけると彼女は僕に目線を移し、人工呼吸器の中でニッコリと笑った。


「はい、もう幽霊ではありません」



     ※



 数週間後。

 彼女は退院した。

 多くの家族や知人に歓迎されながら病院を後にした。


 運転手逮捕と同時に目を覚ました彼女は、奇跡のヒロインとしてマスコミの餌食となったが、それもしばらくしておさまった。



 そして今、彼女は僕の隣にいる。

 生身の身体で念願の桜餅アイスを食べている。


「うーん、美味しい! やっぱり生きてるって最高ですー!」

「うん、本当にこの桜餅アイスは何度食べても美味しいですね」


 期間限定のはずなのに、いまだに売ってる謎の桜餅アイス。

 でも彼女が美味しそうに食べれる姿を見れてよかった。

 幸せそうな顔を見せる彼女に僕の顔もほころぶ。


「あの、これからどうしましょう?」


 桜餅アイスを食べながら尋ねる幽霊さん。いや、元幽霊さん。

「そうですねー」と僕は腕を組んだ。

 いつもは僕が聞いて彼女の行きたかった場所を巡っていたから、なんだか変な感じだった。


「じゃあ映画でも見に行きますか?」

「お、映画ですか! いいですね、賛成ー!」


 そう言って彼女が僕の背中に飛び乗った。


「うごっ!」

「あ、ごめんなさい! 幽霊だった時の癖で……」


 パッと飛び降りようとするのを腕を回して止める。


「いや、いいですよ。このまま行きましょう。このまま行きたいです」

「大丈夫ですか? 重くないですか?」

「全然重くないです」


 はは、と笑う。

 幽霊ではない彼女の確かな重さ。

 僕にとってこれ以上の幸せはない。


「でも映画館はちゃんと座席で観てくださいね」

「うふふ、もちろん。あ! 私一度言って見たかったセリフがあるんです!」

「へえ。どんな?」


 尋ねると彼女は耳元に顔を近づけてきて、そっとつぶやいた。


「私、あなたとは死ぬ時までずーっと一緒にいたいです」


 ボッと顔が赤くなるのが自分でもわかった。


 以前見たあの映画のセリフ。

 あの時はただのホラーだったけど、今は違う。


「はい、僕もあなたとは死ぬ時までずーっと一緒にいたいです」


 僕の言葉に彼女は腕を回してギュッと抱き着いて来る。

 彼女の温もりが、吐息が背中越しに感じられた。


「……嬉しいです。よろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」



 桜並木の道を一歩踏み出す。

 生きている彼女を背負って歩くこの道は、いつも以上に綺麗だと思った。

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