お願いだから「君の方がかわいい」と言わせてくれ!

「うわっ! 見て見てこうくん、可愛いいぃぃ!」


 日曜日の昼下がり。

 僕は恋人の美奈を連れて動物園に来ていた。

 目の前には、つぶらな瞳でエサを洗うアライグマがいる。

 一生懸命、水の中でじゃぶじゃぶとエサを洗っているその姿に、まわりの客からも「ほおお」とため息が漏れている。


「いやん、めっちゃ可愛い。抱っこしたい」


 美奈はそう言って、うっとりとした表情でアライグマを眺めていた。


「うん、可愛いね」

 と僕が言うと、彼女は

「でしょでしょ?」

 と言って嬉しそうに笑う。


「でも、君の方がもっと……」


 可愛い。と言おうとした瞬間、美奈が別の方向を指差した。


「あ、こうくん見て見て! あっちにもアライグマ!」

「……あ、うん」


 言葉を遮られ、僕はただうなずく。


「可愛いねえ。親子かな?」

「どうだろうね」

「親子だよ、きっと」


 微笑む彼女の横顔に胸がドキドキする。

 こうして見る美奈は天使のように可愛い。


「アライグマー、アライグマー」


 美奈はそう言って水の中でエサを洗うアライグマを呼んでいた。

 当然、アライグマはそんな美奈に興味を示すわけもなく、ひたすら手にしたエサを洗っている。


「はあん、もう! 可愛すぎるー!」


 そうやって喜ぶ彼女を見て、ここに来てよかったと心から思った。

 高校に入って初めてできた彼女。

 初めてのデートで動物園てどうなの? と思ったけれど、美奈がこうして喜んでくれるなら誘った甲斐があったというものだ。


 にしても、さっきから「可愛い」を連発する彼女。

 正直、僕には彼女の方が数倍可愛い。


「ねえ、可愛いよねー、こうくん」

「う、うん。でも僕は君の方がかわ……」

「あ! 向こうにコアラのコーナーがあるって! 行ってみよ!」


 またもや「可愛い」という言葉までたどり着けず、スタスタと先に行かれてしまった。


「あ、待ってよ!」


 慌てて追いかける。

 こういう時、普通のカップルなら手を繋いでデートを満喫するのだろうけど、デート初日の僕にはハードルが高い。

 つかず離れずの距離でぎこちなく歩くので精一杯だ。


 それでも、クラスの中でトップクラスに可愛い美奈と休日まで一緒にいられるのはすごく幸せだった。



 コアラのコーナーにつくと、美奈はとびっきりの笑顔を見せて叫んだ。


こうくん、コアラ! コアラがいるよ!」


 看板にコアラと書いてあるにも関わらず「コアラがいる!」と大興奮の美奈。


「あのお菓子の絵の姿そのままだね」

「いやん、可愛いいいぃぃぃ!」


 来た!

 アレを言うチャンスだ!


「うん、本当だね。でも僕は君の方がずっと……」

「でもさ、こうして見るとコアラって思ったよりゆったりしてるよね」


 またはぐらかされた!

 わざとか!?

 わざとやってるのか!?

「君の方が可愛い」って言いたいのに言わせてくれない!


 僕は心の中でため息をついた。

 話の流れが変わってしまったので、仕方なく僕は彼女の言葉にこたえる形で会話を続ける。


「コアラってさ、1日の大半は寝てるらしいよ」

「一日の大半? どれくらい?」

「18時間くらい」

「ふふふ、それじゃこうくんだ」


 んな!?

 なんてことを言うんだ!


「僕はそんなに寝てないよ!?」

「授業中、いっつも居眠りしてるじゃない」


 う……。

 まあ、否定はしない。

 部活の朝練が厳しくていつも授業中は眠ってる。

 先生に何度怒られたことか。


「よし、あのコアラはこうくんと名付けよう」

「いやいやいや」

「あ、それだとコアラに失礼か。こうくんのことをコアラくんって呼んだ方がいい?」

「いやいやいやいや!」


 コアラくん?

 なに言ってんの、この人。


「コアラくん。ぷー! クスクスクス! コアラくん! ぷー、クスクスクスクス」


 どうやら自分で言ってツボったらしい。

 どこがどう面白いのかまったくわからないが、美奈は「コアラくん」と言いながら思いっきりお腹を抱えて笑い出した。

 正直、僕はどこがツボなのか意味不明だ。

 でもそんな彼女がめっちゃ可愛い。好きだ、抱きしめたい。


 気づくと、お腹を抱えて笑う美奈の姿にまわりの客が「なんだなんだ」と集まり出した。


 は、恥ずかしい!


 僕は慌てて美奈の手をつかむと

「行こ!」

 と叫んで一目散に走りだした。



 しばらく当てもなく走っていると、目の前にペンギンコーナーなる看板が見えてきた。


「あ、見て見て。ペンギンコーナーだって」


 振り返った僕の目に、「う、うん」と言って顔を真っ赤に染めてうつむく美奈の姿が映る。

 その視線の先を辿ると、僕の手が彼女の手をギュッと握りしめていることに気が付いた。


「おわああああああぁぁぁっ!!!!!」


 慌てて手を離す。

 しまった、咄嗟のこととはいえ手を繋いでしまった。

 初めての手つなぎデート。

 まさかこんな形で実現するとは。


「ご、ごめん」


 僕は心から謝った。


「ううん」


 彼女は気にしないでと言わんばかりに首を振る。

 ううう、不甲斐ない。


 はあ、とため息をつく僕に、彼女は恥ずかしそうにそっと手を差し伸べてきた。

 一瞬、意味がわからなかったけれど、すぐにその意味を悟る。


「あ……う、うん!」


 僕は頷いて彼女の手を再度握った。

 美奈の手は柔らかくて、温かくて、すべすべしていた。


こうくんの手、あったかい」


 ぎゅっと握りしめる彼女の手の感触に幸せを感じながら僕も言う。


「美奈の手も、あったかいよ」


 その言葉に、彼女は顔を真っ赤に染めながらうつむいてしまった。


 か、かわえええええぇぇぇぇっ!!


 なにこの可愛さ。天使か。


「……で、えーと、なんだっけ?」


 美奈はうつむいたまま上目使いで聞いてくる。

 よほど僕の言葉を聞けてなかったようだ。


「あ、あっちにペンギンコーナーがあるってさ」


 ドギマギしながらそう答えると、彼女はパアッと顔を輝かせて僕の背後を覗き込んだ。


「ペンギン!? ペンギンって、あのペンギン!?」

「そう、あのペンギン」

「コケコッコーって鳴くあの!?」

「……それニワトリ」

「あ……」


 ハッとして口を押える美奈。

 素か!?

 素なのか!?


「ペンギン見たい!」


 照れ隠しなのか、彼女はそう言うなり今度は僕の手を引っぱってものすごい勢いでペンギンコーナーへと突撃していった。

 


 ペンギンコーナーでも彼女のはしゃぎっぷりは見事だった。


 集団でヨチヨチと水辺を歩くペンギンを見て「はううう」とため息をついて眺めている。


「可愛い、ものすごく可愛い! なんでこんなに可愛いの!? ってくらい可愛い!」


 き、来た!

 チャンス到来!

 今度こそ……。


「ペ、ペンギンも可愛いけど、僕は君の方が……」

「あ、もぐった!」

「もぐったねー」


 ちっくしょう!

 なんで言わせてもらえないんだ!


「さすがペンギン。泳ぎが上手ー」

「でもペンギンて鳥だよね?」

「あははは、何言ってるの? ペンギンはペンギンだよー」

「うん?」

「ペンギン類ペンギン目ペンギン。つまりペンギンはペンギンていう種類なの」

「う、うん?」


 ちょっと何言ってるかわからない。

 もしかして彼女、ちょっと天然なのか?

 もしかしなくても天然ぽいところがあったけど。


「じゃあ、なんでペンギンて一羽とか二羽って数えるの?」

「そ、それはねえ。たぶん、昔の人が一匹、二匹って言いたくなかったからだよ。一羽、二羽とかのほうが数えやすいじゃない? だからだよ」


 ちょっと何言ってるかわからない第二弾。

 それなら、すべての生物が一羽、二羽で数えた方がいいじゃん。

 って思ったけど、そんな間違った答えにドヤ顔をする彼女が猛烈に可愛いから「ま、いっか」と思った。


「そっか。それなら納得」

「お。納得してくれた? 感心感心」


 僕はコツンと美奈の頭を拳で叩きながら、手を繋いで長い間ペンギン類ペンギン目ペンギンを眺めていた。



 それにしても。


「君の方が可愛い」となかなか言わせてもらえないこの初デート。

 なんでだろう。

 なんとなく彼女の方がそれを避けてるふしがある。

 僕にとっては別に深い意味なんてなく、ただ喜んでもらいたいだけなのに。


 こうなったら、意地でも「君の方が可愛い」と言ってやる。


 そんな変な目標を掲げながら歩いていると、今度は猛獣コーナーに差し掛かった。

 まずい、可愛いとは真逆のコーナーだ。


こうくん、見て見て! ライオンだって、ライオン!」


 そんな僕の気持ちなどお構いなしに彼女が嬉しそうな声を上げる。

 僕は思わず笑いながら尋ねた。


「美奈はライオン知ってるの?」

「し、知ってるわよ!」


 バカにしないで! といった顔でむくれる。

 ああ、ふくれっ面も可愛い。


「あのガオーってやつでしょ?」

「………」


 ガ、ガオー……?

 言うに事欠いてガオー!?

 ヤバい、彼女の天然っぷりは僕の予想の斜め上をいっている。


「そ、そうだね、あのガオーってやつだね」

「うふふ、楽しみだね。どんなガオーなのか」




「ガウアアアアアアッッッ!!!!!!」

「きゃっ!」

「ひえっ!」


 ライオンコーナーに差し掛かった瞬間、ライオンの低くて獰猛な唸り声が僕らを襲った。


「こ、こうくん……。全然ガオーじゃないんだけど……」

「そ、そうだね。全然ガオーじゃないね」


 さすが百獣の王。

 お腹が空いているのか、ものすごい迫力だ。


「で、でも、あれ、ネコなんでしょ?」


 美奈は震えながら僕の肩にしがみついてそんなことを尋ねた。


「う、うん」

「にしては……怖いね」

「ま、まあネコも元々はハンターだしね」

「そ、そっか。大型のネコと思えば……可愛いかも?」


 ライオンはのっしのっしと檻の中を行ったり来たり。

 圧倒的な存在感を放っている。

 さすがに威嚇することはなくなったけれど、威風堂々としていてなんかカッコイイ。


「こ、こうして見ると、本とかで見るより数段カッコイイね」


 僕の言葉に、彼女は突然「ふふ」と笑った。


「……?」


 訝しむ僕の耳に口を寄せて、美奈がつぶやく。


「そうだね、カッコイイね。でも私にはこうくんの方がもっとカッコイイ」


 その瞬間、僕はピキーンと固まってしまった。


 な、な、な……。


 ギギギギ、と顔だけ向けると美奈は「やった!」と嬉しそうに笑った。


「やっと言えたー! ずーっとそれを言いたかったんだー! やったー!」

「ずっと? え? ずっと?」


 ヤバい、頭がパニックランドだ。


こうくんが先に言おうとしてたから、言わせないようにするのに必死だったんだー。言われたら、なんだか私が真似したみたいになっちゃうでしょ?」

「え? え? え?」


 つまり?

 美奈は僕が「君の方が可愛い」って言おうとしてるの知ってて、あえて言わせないようにしていたってこと?

 自分が先にそれを言いたいがために?


 ポカンとしてると、彼女は顔を赤らめながらニッコリと微笑んだ。

 その可愛さに「くふう」と倒れそうになる。


「わっ、洸(こう)くん!」


 慌てて腕を差し伸べる美奈に支えられて僕はなんとかその場に踏んばる。


「や、やられた……」


 悔しくつぶやく僕に美奈は嬉しそうに笑った。


「うん、やってあげた」

「ズルいなあ、もう」

「ふふふ、ごめんね。でも本当の理由はね、こうくんがそれを言ったら、私まともに洸(こう)くんの顔を見れなくなるからなんだよ?」

「へ?」

「だって……好きな人に『君の方が可愛い』なんて言われたら、どうにかなっちゃうもの。っていうか、今日すでにどうにかなってるけど」


 顔を手でパタパタとあおぐ仕草をする美奈。

 そんな真っ赤に染まった彼女を見て、僕は気づいた。


 そっか、確かに同じことを言われた僕でさえこんな状態なんだから、天然成分100%の美奈だったら卒倒してしまうかもしれない。

 自信過剰かもしれないけど。


 でも、はぐらかされていた理由がわかって、僕はホッとした。

 そっか、そういうことだったのか。


「美奈」


 僕は身体を支える彼女の名前を呼び、耳元に口を当てる。


「なに?」


 尋ねる美奈に、精一杯の甘い声で囁いて見せた。


「美奈は、この世で一番可愛いね」


 瞬間、ボンッと煙が出る音が聞こえた気がした。

 と同時に、美奈の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。そしてその目がぐるぐると回転をはじめた。


「な、な、な、いきいきいき……」


 いきなり何よ、と言いたいのだろうが、全然言えてない。

 予想通り、いや、予想以上にあたふたしている。

 僕はそんな美奈の姿にぷーっと吹き出した。


「あはは、お返し」

「こ、こうくん!」


 回転した目で僕をポカポカと殴ってくる美奈。

 ヤバい、彼女は何をやっても可愛すぎる。

 この世で一番は小さすぎたかもしれない。



 美奈の可愛さは宇宙一だ。



 ポカポカと胸を殴られながら、僕はそんなことを思っていた。

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