夢の中の君に会いたい

 熱い口づけがこんなにも幸せだなんて思わなかった。


 目の前には名前も知らない女の子がいる。

 ショートボブで大きな瞳をした女の子がいる。

 ダボダボのパジャマを着て、胸元がはだけていて。

 ちょっぴり黒いブラが見えてるところが少しエロい。


 彼女は恥ずかしそうに、嬉しそうに笑っている。

 上目づかいで僕を見ている。

 それにつられて僕も笑う。



 そして僕らは……。





 大きな目覚まし時計の音で目が覚めた。

 気が付けば、僕は一人ベッドにいる。

 当然、彼女なんていない。

 僕はむくりと起き上がると、額に手を当てた。


「また、あの夢か……」


 いつの頃からだろう。

 僕は同じ夢を見るようになった。


 名前も知らない彼女が僕の前に現れてキスをしてくる。

 そして、何かを求めるかのように見つめてくる。

 まるでそれ以上のことを期待しているかのような表情で。


 なんだかものすごくいやらしい夢だった。

 誰にも相談できないような、卑猥な夢だった。

 僕ももう15歳。

 もしかしたら思春期にありがちな妄想が、夢となって現れているのかもしれないと思った。


 しかし、いつも見るこの夢は妙にリアルすぎた。


 ぼやけた世界などではなく、常にはっきりと僕の意識を支配している。

 彼女は声を発しなかった。

 何もしゃべらなかった。

 ただ黙って微笑むだけ。

 それがさらに僕の心をかき乱した。



「君はだれ?」



 そんな言葉を投げかけたいのに、僕はいつも黙って彼女のキスを受け入れている。

 彼女の微笑む姿は……素敵だった。



     ※



 朝の通学ラッシュは地獄だ。

 多くのサラリーマン、そして学生、他校の生徒とともにぎゅうぎゅう詰めにされながら学校に向かう。

 中学生の頃は電車通学は憧れだったけれど、高校に進学して一週間で嫌になった。


 毎日毎日、どこの誰ともわからない他人と身体を密着させながらの30分。

 帰りは時間調整ができるから幾分かマシだけど、それでも似たようなものだ。

 この街の人口密度は尋常じゃない。

 他人の体臭、息づかい、汗を感じながら電車に乗る。

 それが苦痛でしょうがなかった。


 とはいえ、自転車で通える距離でもない。

 原付の免許でも取れれば多少は楽になるかもしれないが、それは親が渋った。

 結局は、僕はこの3年間の高校生活を電車通学で過ごさなければならなかった。

 



 今日も僕は他人の身体にぎゅうぎゅうに揉まれながら電車に乗っている。

 一駅ごとに人がドドッと降り、ドドッと乗ってくる。

 その都度、身体をもみくちゃにされるもんだからたまったもんじゃない。


 少しでも楽な体勢、楽な体勢ととっているうちに、気づけばプレスされている。

 ものすごい圧迫感があるが、どうしようもない。

 とりあえず、降りる駅に着くまでの辛抱だ。


 そうやって我慢しながら乗っていると、目の前の小柄な女の子が苦しそうな表情をしているのに気が付いた。

 ドアと僕の身体に挟まれながら、顔を真っ赤に染めて踏ん張っている。

 どうやら呼吸困難に陥ってるようだ。 


 まずい、と思った僕はグッとドアに手をついて背中を後ろに押した。

 背後の乗車客からは「チッ」という舌打ちが聞こえたが、気にしない。

 そのままの姿勢でさらに力を込める。すると、目の前の女の子との空間が少し空いた。

 それにともない「はあ」という女の子の安堵のため息が聞こえてくる。


 よかった、とりあえず無事なようだ。


 その子はこの近くの女学園の制服を着ていた。

 偏差値も高く、県内でも屈指の名門校だ。

 ショートボブで顔はよく見えないが清楚な感じがする。


 その女の子が申し訳なさそうにこちらに目を向けた。


「……あ」


 その瞬間、僕は思わず声を出してしまった。


 それは、あの夢の中の彼女だった。

 ダボダボのパジャマを着たあの女の子だった。


 どうして?

 なんで?


 咄嗟のことで言葉が出てこなかった。

 彼女も、その大きな目を見開いて僕を見ている。

 吸い込まれそうな黒い瞳に、僕は我を忘れて彼女の顔をマジマジと見つめてしまった。


『駒大、駒大』


 車内アナウンスでハッと我にかえった。

 彼女の方も、じっと僕の事を見ていたことに気づいたようで慌てて目線をそらす。


 そしてドアが開いたと同時にその女の子は人波に飲まれながら電車を降りていった。

 同時に乗り込んでくる大量の人、人、人。

 すぐに彼女の姿は見えなくなった。


 僕は追いかけることも出来ず、シュッと閉まるドアをただただ見送るしかなかった。




 その日の授業はまるで身が入らなかった。

 あの子のことが忘れられなくて、日がな一日ボーッとしていた。


 考えても考えても、彼女はあの夢の中の女の子としか思えない。

 顔の輪郭や表情が完璧に同一人物だった。

 思い違いという可能性もあったが見間違えるはずがない。毎晩あの子が夢に出てくるのだ。


 けれども。


 だからといって彼女の通っている学校まで行く勇気はなかった。

 行って、彼女を見つけたとして、なんて言えばいい?

「毎晩、君が夢の中に出てくるんです」とでも言えばいいのか。

「毎晩、僕にキスをしてくるんです」とでも言えばいいのか。


 言えるわけがない。

 仮にそんなことを言ってしまったら、きっと不審者扱いで警察に通報されてしまうだろう。

 どうすることもできない。

 彼女のことを追いかけたい気持ちはあるものの、その後の事を考えると一歩踏み出せなかった。 



 それからというもの、僕は毎日毎日、電車に乗りながら彼女の姿を探した。とにかく、話せないながらも生の姿をこの目に焼き付けたかった。

 彼女が他人の空似であるとはどうしても思えなかった。



 通勤・通学ラッシュの波に飲まれながら、目線だけは注意深く周囲をさ迷わせる。

 時には顔を動かして。

 時には乗る車両を少しずらして。


 最初の数週間は楽観的にとらえていた。

 きっとすぐに見つかるだろうと。

 何度も会えるだろうと。

 あの女学園の制服は目立つし、彼女の顔は夢で毎晩見ているのだ。見落とすことなんてないと思っていた。



 しかし不思議なことに、あれ以降彼女の姿を見ることは一度もなかった。

 同じ制服を着ているショートボブの子は何人も見かけた。

 けれども、どの子もあの夢の中の女の子ではなかった。

 そもそも僕の乗る電車は乗車客が多すぎる。

 大勢の乗客にもみくちゃにされながら彼女を探すのは至難の業だった。



 あれはやっぱり他人の空似だったのだろうか?

 もしかしたら、あの時は夢の中の女の子と確信していたけれど、実際はそれほど似てなかったのではないか。


 いろいろな想いが交錯し、疑心暗鬼になっていく。


 そうして僕は彼女の姿を見つけられないまま、気が付けば12月になっていた。




 はらはらと雪が舞っている。

 今日も僕はいつもの駅で電車を待つ。


 今でも毎晩、彼女の夢は見ていた。

 パジャマをはだけさせながら、何かをねだるような顔で僕にキスをしてくる。

 僕はそれを受け入れつつ彼女に微笑み返す。

 それがいつものパターン。

 けれども、キスから先に進むことはなかった。

 その先に進もうとするといつも目が覚めてしまう。

 

 そのことが僕にはたまらなく切なくて、苦しくて。



 そしてとても悲しかった──。



 目を覚まして涙を流すようになったのはいつからだろう。 



 会いたい。

 一目でいいから実際の彼女をもう一度この目に焼き付けたい。



 そんな悶々とした想いで電車を待っていると、遅延のお知らせが電光掲示板に表示された。

 どうやら雪の影響で電車が遅れているらしい。

 見れば、うっすらと雪が積もり始めている。

 はらはらと舞っていた雪がどうやら本降りになり始めたようだ。


 いつ電車が来るかもわからない状況になってしまった。


 僕は駅のホームの端っこに移動して、スマホを開いた。

 もしかしたら、学校から休校の案内が出るのではないかと期待して。

 しかし、そこに表示されているのはいつもの待ち受け画面だった。


 僕の通う高校は決して偏差値は高くないものの、どうやら多少の交通の乱れでは休校はしないようだ。

 仕方なくスマホをしまって電車が来るのを待った。


 駅のホームには続々と人が入ってくる。電車が来ないため、水がせき止められた川のようにどんどんと駅構内が人で溢れかえっていく。

 まるで満員電車の中のように息苦しくなっていった。

 それでも電車はやってこない。



 これは自主休校もありだな。



 初めて学校を休むということを考えた。

 別に皆勤賞を狙っていたわけではない。

 休んだとしても、することがないから出席していただけだ。

 行くことが難しいなら、行かなくても大丈夫だろう。


 そう思って踵を返した瞬間。


「あ……」


 小さく声が出た。


 隣に、あの子がいた。

 夢の中のあの子が、僕の隣で電車を待っていた。

 黒いコートを着て両手で通学鞄の取っ手を握っている。


 夢の中と違うのは、ショートボブだった黒髪がセミロングに変わっていること。

 そして、少し小柄だと思っていたのが僕と同じくらいの身長になっていること。


 あまりの事に、一瞬息が止まってしまった。


 会いたいと思っていた彼女が目の前にいる。

 一目見たいと思っていた彼女が目の前にいる。


 まさか同じ駅だったなんて。


 この時、気が付いた。

 今まで見つからなかったのは彼女が同じ駅にいるとは思わなかったことと、夢の中の姿の彼女を探していたからだと。

 見た目が変わっていたら、見つかりっこない。


「あ……」


 彼女も僕に目を向け、小さく声をあげた。


 その表情が、仕草が、あの夢の中の女の子と一緒だった。

 間違いない。

 やっぱり彼女は……。



 そう思った瞬間、僕は全身がカアッと熱くなった。顔中が火照ってきた。



 夢の中のシーンを思い出して、イケナイ妄想をしている自分が急に恥ずかしくなっていった。



 対する彼女も。


 真っ白な肌を真っ赤に染めていた。

 大きな瞳がさらに大きく開かれていた。

 ぎゅっと結ぶ唇がなんだか可愛い。

 そして、黙ったまま僕に目を向けている。



 しばらく、僕らはお互いに見つめ合っていた。



 どうしよう、どうしよう。

 なんて言おう。



 なんの言葉も発せずにいると、彼女の方から口を開いた。


「あ、あの……」

「はい」


 緊張で上ずった声が出てしまう。

 彼女は言った。


「もしかしたら……どこかでお会いしたことありませんか……?」


 その問いかけに、僕は自然と言葉が出た。


「はい。夢の中で……」


 言ってから、しまった! と思った。

 何を言ってるんだ、僕は。

 そんなこと言ったら、完全に引かれるじゃないか。

 即座に僕は頭を下げて謝った。


「あ、ごごご、ごめんなさい! 今のは冗談です! ええと、どこかで会った気がしますよね、僕たち」


 しかし彼女はさらに顔を真っ赤に染めてうつむいてしまった。

 やってしまった、と僕は天を仰いだ。

 完璧に引かれてしまった。

 自分のマヌケっぷりに涙が出てくる。


 そう思っていると、彼女はゆっくりと口を開いた。



「あ、あの……誤解しないで……ください」


 しどろもどろになりながら、何かをつぶやきはじめた。


「私、あんなにも……じゃありませんから」

「はい?」

「私、あんなにも……」

「……?」


 もぞもぞと何かしゃべっている。

 小声過ぎてよく聞こえなかった。

 何をしゃべっているのかわからない。

 僕はずいっと彼女の口の近くに耳を近づけた。

 途端に「ひっ」という彼女の悲鳴が聞こえた。


 と思った次の瞬間、彼女の叫びが駅のホームに響き渡った。


「私、あんなにもはしたない女じゃありませんからあああぁぁっ!!」

「───ッッッ!!!!!!!」


 バカでかい声に、耳がキーンとなる。

 不意をつかれて耳をふさぐことすらできなかった。

 い、いきなり何を言い出すんだ。

 耳をおさえる僕の目に、顔を真っ赤に染めてうつむく彼女が映る。


 気がつくと、まわりの人たちが好奇な目を僕らに向けていた。

「なんだなんだ?」とざわついている。


 まずい、と思った僕は彼女の手を握り人混みをかき分けながら一気に駅の階段を駆けのぼっていった。

 勢いよく駆け出す僕らに周りの人たちはびっくりしながら身体をどけた。そしてその興味津々な視線を一身に浴びながら、ひたすら駅の出口を目指した。


 そうして、僕は彼女を連れたまま駅を飛び出していった。




「ハァハァハァ、ああ、びっくりした」


 駅の外はすっかり雪景色に変わっていた。

 僕は雪のかからない軒下に行って一呼吸する。

 まさかあんな場所で大きな声で叫ばれるとは思ってもみなかった。

 大勢の人から一斉に顔を向けられたのは初めての経験だった。

 思い出すだけでも緊張と恥ずかしさで顔が熱くなる。


 ふう、とため息をつくと彼女が声をかけてきた。


「あの……」

「はい?」


 見ると、チラチラと目線を下に向けている。

 気づけば僕は彼女の手を握りしめたままだった。


「おわあっ! ごごご、ごめん!」


 慌てて手を離す。

 ヤバい、これはヤバい。

 咄嗟の事とはいえ、彼女の手を握りしめて駅の外まで連れ出してしまった。


 けれども彼女はそんなことは気にも止めていないようで「いえ……」と言いながら握った手をモジモジさせていた。

 ハンカチで拭かれなくてよかったと思いながら、改めて彼女を見つめる。


 やっぱり、あの子だ。

 どこをどう見てもあの子だ。


 そして思う。

「夢の中で会った」という僕の言葉を否定しないということは、彼女も同じ夢見ているんじゃないかと。

「あんなにもはしたない女じゃない」ということは、同じ夢を共有しているんじゃないかと。

 まあ、キスをしただけで「はしたない」というのもなんだとは思うが。


「あ、あの……」


 落ち着いたところで、僕は彼女に尋ねた。


「は、はい!」


 声が異様に甲高かった。

 今度はなんだか彼女のほうが緊張しているようだった。


「さっきの言葉なんだけど……」

「ひゃい!?」


 ひゃいってなんだ、ひゃいって。


「僕たち、もしかして同じ夢を見てる?」


 その瞬間、彼女は顔を真っ赤に染めてうつむいてしまった。

 恥ずかしがり屋なのかなんなのか。夢とのギャップがあまりにも激しい。

 夢の中だと、あんなにも積極的だったのに。

 ……って、何を思いだしてるんだ僕は。


「どんな?」


 彼女はうつむきながら、上目づかいで聞いてきた。


「どんなって……」


 答えようにも、答えていいのかわからない内容だ。

 とりあえず、当たり障りのない部分だけを伝える。


「ええと、場所はわからないけど、どこか真っ白い部屋の中にいて」

「うん」

「それで君が僕の目の前にいて」

「うん」

「君はダボダボのパジャマを着てて……」

「……う、うん」

「それで、その……ええと、君が……」

「私が……その……キ、キスをして……」


 言いにくい部分を言ってくれた。


「そ、そう。それで、二人で見つめ合って……」

「それから、私があなたを……押し倒して……」


 は?


「それで、さらにキスをして……」


 ち、ちょっと待て。

 僕の夢は「見つめ合って」で終わっている。

 続きがあるのか?


「私があなたの服に手をかけて……あなたが私のフロントホックのブラを……」

「ちょ、ストーップ!」


 僕は慌てて彼女の言葉を停止させた。

 まずい。

 これ以上はまずい。

 なんだかわからないがこの先を聞いたらヤバいと思った。


 僕は手で彼女の言葉を遮りながら言った。


「ご、ごめん。君の言ってる意味がわかったよ」

「え?」

「僕の夢はね、“キスで見つめ合って”で終わってるんだ」

「……?」


 一瞬きょとんとするも、すぐに「あ」と気がついたのか、とたんに頭から湯気が出る(ように見える)ほど真っ赤になって小さくなっていった。


「ごごご、ごめんなさい! ごめんなさい!」


 そう言って何度も何度も謝ってくる。


「いや、別に謝ってもらうほどのことじゃ……」


 ぶっちゃけ、夢の続きは気になった。

 けれども、今の僕にはとても受け止めきれそうもない。


「知らなかったとはいえ、大変失礼しました! でも、信じてください! 私、普段からあんなことするような女じゃありませんから! 絶対、しませんから!」

「う、うん」

「相手があなただったからってだけですから!」

「僕だったから?」

「ああああ、ちが、違うんです! あの、あの! そういう意味じゃなくって!」


 その必死さがなんだかとても可愛かった。


「う、うん。言いたいことはわかるよ。夢の中だからっていうのもあるもんね」

「し、信じてくれます?」

「うん」


 僕の言葉に、彼女は心からホッとした表情を見せた。

 そんな彼女の姿に、なんだか僕も嬉しくなった。


 夢の中でしか会えなかった彼女。

 キスをするだけで、言葉を発しなかった彼女。


 それが今、目の前にいる。

 それだけで僕はすっごく幸せだった。


「それにしても不思議だね。会ったこともない君と同じ夢を見てるなんて」

「そうですね。不思議ですね」

「こういうのって、小説や映画の中だけだと思ってた」

「私も。でも現実に起きてる……んですよね?」

「うん。本当に不思議だ」



 僕らはそれきり黙ったまま冬空を見上げた。

 雪はどんどん強さを増している。

 これはもう、学校に行くのは無理だろう。

 僕は彼女に顔を向けて尋ねた。


「ねえ。僕は今日、自主休校するけど君はどうする?」

「え? サボるんですか?」

「サボりじゃないよ、自発的に休むだけだよ」

「意味、一緒じゃないですか」


 クスクスと笑う彼女に、僕もクックッと笑った。

 なぜだろう、初めて会ったのに初めてじゃない感覚。

 やっぱり夢で会ってるからだろうか。

 すでに彼女とは旧知の仲のような気がした。


「じゃあ私も……自主休校しちゃおうかな」


 有名女学園の生徒とは思えない発言に、プッと吹き出す。


「ダメだよ、サボりは」

「サボりじゃありません、自主休校です」

「あ、そっか」

「それで、あなたはどうするんです?」

「そうだなー。外は寒いし、家には帰れないし。カフェでまったりしようかな」

「カ、カフェでまったり……!」


 その瞬間、目を輝かせて身を乗り出す彼女。


「私、そういうの一度してみたかったんです! ついていっていいですか!?」

「も、もちろん。おすすめの場所、紹介するよ」

「わあ、楽しみです」


 嬉しそうに微笑む彼女の姿に、僕はずっと尋ねたかった言葉を投げかけた。


「ねえ、君の名前、教えてよ」

「私の名前?」

「うん、ずっと知りたかったんだ」

「いいですよ。あなたの名前を教えてくれたら」

「僕の名前?」

「はい、私もずっと知りたかったから」

「君の名前を聞いたら教えるよ」

「え、ずるい」

「ずるくない」

「じゃあ、せーので言い合います?」

「うん、いいよ」

「言わないのはナシですからね?」

「わかった」


 そうしてお互いに見つめ合って「せーの!」と叫ぶ。



 この瞬間彼女の口から出た名前は、僕の心に優しく響いた。

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