僕は、まだ見ぬ君に恋をする

 親同士が決めた婚約だった。


「良家のお嬢さんだから」という理由で、知りもしない顔も見たことない相手と婚約した。


 そこに“愛”なんてなかった。

 “恋”なんて、当然芽生えなかった。

 やめてくれとしか思えなかった。


「文通から始めましょう」と言ってきたのは、向こうからだ。

 僕は心から嫌悪感をにじませた。


 向こうはすでに僕を受け入れている。

 親同士が勝手に決めたこの運命を素直に受け止めている。


 反吐(へど)が出そうだった。


 なぜ抵抗しないのか。

 なぜ反抗しようとしないのか。


 僕と彼女。

 お互いに「NO」と言えば、わかってくれるかもしれないじゃないか。


 しかし彼女は手紙で伝えてきた。

「まずはあなたのことを知りたい」と。

「あなたのことを知ってからじゃないと、YESかNOかもわからない」と。


 もっともだと思った。

 確かに、最初から「嫌だ」と決めつけるのはよくない。

 だから僕は手紙で「わかった」と伝えた。

「手紙を読んで僕のことを嫌いになってくれ」と。

 できうるならば僕自身、彼女の事を手紙を読んで嫌いになりたい。そう願った。



 僕はまず、身体的特徴ばかりを手紙に書き記した。

 自分の生年月日、身長、体重、髪型、髪の毛の色、目の大きさ、眉、鼻、顎の形……etc.


 写真を送れば一発なのだが、もともと破談にする予定の相手にそんなものを送る気にはなれなかった。

 見てくれだけを気にする女なら、これだけでじゅうぶん嫌になるはずだ。

 正直、自慢できるような外見ではなかった。


 しかし、彼女からの返事の手紙は予想に反したものだった。


「教えてくれて、ありがとう」


 礼を言われた。

 体の特徴を書き連ねただけの手紙に、礼を言ってきたのだ。


 対する彼女の手紙も似たような内容だった。


 自分の容姿、身長、体重、体型、髪の長さやその色……etc.


 およそ触れられたくないであろうことまで、事細かに書き連ねていた。

 僕自身、同じ内容のものを送っているにも関わらず、それを見て鼻で笑った。


「教えてくれてありがとう」


 皮肉を込めて、そう手紙を送った。



     ※



 それからというもの、僕と彼女の奇妙な文通が始まった。

 親しくもない者同士の文章だけの交流。

 内容はとてもシンプルなものだった。


「あれが好き、これが好き」

「あれが嫌い、これが嫌い」


 お互いに自分の好きなもの、嫌いなものをのべつ幕なしに並べ立てていった。

 他人行儀な書き出しなど一切なく、思いついた内容を端的に述べていく。


 多い時には十数行。

 短い時には一行だけ。


 それでも彼女は「教えてくれてありがとう」と喜び、代わりに自分の好きなもの、嫌いなものを書いてくれた。



 不思議な女性だった。


 可能な限りありとあらゆるものを書いていったにも関わらず、何一つかぶらなかった。

 好きな食べ物も、好きな映画も、好きな音楽も。

 彼女との共通点は皆無だった。

 それなのに、なぜか親近感がわいた。

 好奇心といってもいい。


 彼女について詳しく知りたい。

 もっと深く知りたい。

 そう思うようになっていた。


 そうやって、お互いに手紙を送り続けていくうちに、気がつけばそのやりとりは百通を超えていた。


 僕はいつしか、彼女の手紙を待ち遠しく感じられるようになっていた。



     ※



 異変が起こったのは、文通を初めて半年ほど経った頃だ。


 急に彼女からの手紙が届かなくなった。

 わけもなく、突然に。


「何があった?」


 気にはなったものの、彼女からの手紙が来ないのに何度も手紙を送りつけるのは気が引けて、僕は気長に待った。

 けれども、待てど暮らせど彼女からの手紙は来ない。


 不安になった。

 あれだけ毎日のように続けていた手紙のやりとりが急に途絶えたのだ。

 彼女の身に何かあったのかもしれない。


 しかし、確かめる勇気はなかった。

 きっと旅行にでも行っているのだろう。

 無理矢理そう思うことにした。



 ところが、そんなある雨の日の晩。

 父から重大な内容を聞かされた。


「どうやら、先方は具合がよくないらしい」

「は?」

「ひどい高熱で、毎晩うなされているそうだ」


 ひどい高熱?

 毎晩うなされている?

 僕はその言葉を聞いて思わず父に詰め寄った。


「な、なんで!? なにがあった!?」

「詳しいことはわからん。だが、かなり衰弱しているとのことだ」


 かなり衰弱……。

 僕の脳裏に嫌な予感が走る。


「この件に関しては向こうのご両親から手紙を預かっている。お前には……」


 父の言葉を最後まで聞かず、僕は家を飛び出していた。



 会わないと……!

 なんでもいいから、とにかく会わないと……!



 それだけを考え、車を走らせた。

 ずっともらい続けていた手紙の住所を思い浮かべながら。

 何度も何度ももらっていた手紙だ。住所に関しては暗記するほど覚えている。


 簡単に行ける距離ではなかったが、そんなもの構いはしなかった。



 どれくらい走っただろう。


 彼女の屋敷にたどり着く頃には雨も上がり、空もだいぶ明るくなっていた。


 広い屋敷だった。

 使用人でも雇っているのではないかと思えるほどの広さだった。

 しばらく呆然と佇(たたず)んでいたが、すぐに我にかえり玄関先のチャイムを鳴らす。

 出てきたのは、清楚な雰囲気の漂う中年女性だった。


「あ、あの……」


 名前を名乗ろうとすると、その女性は僕を見て声を上げた。


「あらまあ! 娘の婚約者の方ですね!」


 どうやら彼女の母親らしい。

 手紙で感じる彼女の優しさが具現化したような、物腰の柔らかい女性だった。


「まあまあまあ、ようこそお越しに。遠路はるばるお疲れでしょう?」

「え、と。彼女は……彼女は無事なんですか!?」


 余計な挨拶など一切無視し、開口一番そう尋ねる。

 すると母親はきょとんとした顔を見せ、すぐあとにクスクスと笑いだした。


「ふふふ、そう。あなたのお父様に手紙を送ったのだけれど、読まずに飛び出したのね。娘の言う通り、優しいお方」

「……?」

「どうぞ、こちらに」


 母親に連れられて屋敷の中に足を踏み入れる。

 中は外観と比べてとても質素なものだった。

 調度品と呼ばれるようなものは一切なく、がらんどうとしている。

 広い割には少し寂しい屋敷だ。


 そんな中、二階へと案内されて奥の扉の前に立たされると、母親はコンコンと扉をノックをした。


「はい」


 中からは若い女性の声。

 促されるまま中に入ると、そこにはベッドに腰かけるパジャマ姿の女の人がいた。


「あ」


 目と目が合う。

 その瞬間、僕の心がキュッと高鳴った。

 想像した通り……いや、想像した以上に綺麗な女性だった。


「はじめまして」


 ペコリとお辞儀をする彼女に対し、僕も「はじめまして」と言ってお辞儀を返す。


「いつもお手紙ありがとうございます。楽しく拝見してますわ」

「こ、こちらこそ……。毎日、楽しく読ませてもらっています」

「こんな恰好でごめんなさい。まさかいきなり訪問されるとは思わなくて……」

「いえ……、いきなり押しかけてすいません。というか、病気だとうかがったのですが……」

「あ、はい。少し風邪をひいてしまいまして」

「か、風邪?」

「お薬を飲んで休みましたので、回復しました。まさかご心配してこちらまで?」


 風邪?

 ただの風邪?

 父はかなり衰弱してると言っていたのに……。


 ポカンとしていると、入り口付近で会話を聞いていた彼女の母親がクスクスと笑い出した。


「本当に、お父様そっくり。あなたのお父様には『かなり衰弱してますが、ただの風邪ですからご心配なく』と、手紙を送ったのですのよ」


 そこでハッと気がついた。

 確かに、僕は父の言葉を最後まで聞かずに飛び出していた。

 そうか。なんてことはない、ただの風邪だったんだ。

 風邪といってもあなどることは出来ないけれど、それでも重篤な病気と勘違いしていた自分が急に恥ずかしくなった。


「あ、あの……」


 しどろもどろになりながら自分の失態を嘆いていると、彼女が口を開いた。


「そんなところでお立ちになられてないで、こちらへどうぞ」

「あ、はい……」


 誘われるがまま彼女の隣に座る。

 ふんわりと良い匂いがした。


「心配をおかけしてしまったみたいでごめんなさい。わざわざ来てくれて本当にありがとう」

「いえ……。結局、僕の早とちりだったわけで……」


 本当に恥ずかしい。

 一刻も早く立ち去りたい。


 必死で帰る言い訳を考えていると、近くの机の上に今まで僕が送った手紙がきれいに積まれているのが目についた。

 この半年間、送り続けた僕の手紙だ。

 こうして見ると、ずいぶんたくさんある。

 あれだけの量の手紙を送ったということは、反対に僕も同じだけの手紙を受けとったということだ。

 今までたくさんやり取りをしていたのだな、と改めて思った。


 手紙を見つめる僕の目線に気づいてか、彼女は言った。


「ふふ。私、あなたのことならなんでも知ってますのよ」

「な、なんでも?」

「全部ではないですけど……少なくとも、他の誰よりも」


 そう言って頬を赤らめる姿に胸がときめく。


「カレーが好き。シチューは嫌い。肉が好き。魚は嫌い」


 彼女は顔を赤らめながらそう言った。

 かつて僕が書いて送った手紙の内容だ。

 まさか全部覚えているのだろうか。


「少年マンガが好き。絵本は嫌い。大河ドラマが好き。サスペンスドラマは嫌い」


 次々と出てくる僕の好きなもの、嫌いなもの。

 それを聞きながら、僕も負けじと彼女からもらった手紙の中身を伝えた。


「僕も、きみのことはよく知っている。恋愛映画が好き。アクション映画は嫌い。クラシックが好き。激しい曲は嫌い」


 ふふふ、と彼女は笑った。


「キャンプが好き。虫は嫌い。山が好き。海は嫌い」

「少女マンガが好き。青年マンガは嫌い。天体観測が好き。占いは嫌い」


 お互いにお互いの事を語り合う。

 初めて会うのに、初めてじゃない感覚。

 まるで旧知の知り合いのように、僕らの距離がグッと縮まった気がした。


「車が好き。電車が好き。飛行機が好き」

「図鑑が好き。絵を描くのが好き。動物が好き」


 言い合ってるうちに、なんだかおかしくなって僕らは笑った。

 愉快だった。

 こんなに楽しいと思ったのはいつ以来だろう。

 部屋中に僕らの笑い声が響き合った。


「やっぱり、あなたは思った通りの人」


 彼女はふと、そんなことを言った。


「思った通りの人?」

「優しくて、楽しくて、面白い方」

「そ、そう?」

「あの。わたしの好きなもの、もう一つ追加していいですか?」

「なんですか?」

「……あなた」


 ああ、ダメだ。

 この瞬間、僕は気づいてしまった。

 僕のほうこそ、いつしか彼女を好きになっていたということに。

 他愛のない手紙のやりとりで、僕はまだ見ぬ彼女に恋をしていたということに。


 僕は、恥ずかしそうにうつむく彼女に言った。


「じゃあ僕も好きなもの、追加していい?」

「はい」

「きみ」


 キュッと頬を赤く染める彼女を見て、嬉しさが込み上げる。


 僕の中の好きなものリストに新たに加えられた彼女の名前。

 それは決して変わることはないだろう。


 隣で微笑む彼女を見て、僕はそう確信していた。

 


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