五、秋風

 放課後。

 穏やかな夕暮れにほんの少しだけ悲しくなった。秋の風が頬にあたり、長い髪を揺らす。

 何でこんなに喋っちゃうんだろう

 何で道を間違えるんだろう

 うつむきながら、一人で帰る。そして、

 何で、考えちゃうんだろう

 授業中、いつにも増して勉強は身に入らず、親がいなくなったらどうしよう。またいじめられたらどうしよう。そんな不安や悩みが尽きなかった。

 そして木葉を置いて帰ってきてしまった。意識から完全に抜けていたのである。


 いつもの帰り道。風が吹く。夜子は秋が好きだった。

 通りかかった八百屋で一個だけ痛んだ林檎が置いてあるのを見つけた。気がつくとそれを手に取って買っていた。何かに取り残されたような自分が悲しかった。


 これは夜子がまだ小学生の頃の話だ。新学期になってクラスで係りを決めるときに、夜子は友達があまりいない子と二人で生き物係をやることになった。それは最後に残った係りだった。クラスで話し合って金魚を飼いたいということになったので、ちょうどそのとき家で金魚を飼っていたその子が次の日、金魚を五匹持ってきた。ていねいに水槽とポンプまで用意してくれた。最初はクラスのみんなも喜んでいたのだが、すぐに見向きもしなくなった。

 ある日の放課後。夜子が水を取り替えたあと、水面で金魚と遊んでいると、その子が教えてくれた。

「素手で触ると魚は火傷しちゃうからね」

 理由もていねいに教えてくれた。人間と魚とでは体温に差があるかららしい。

 夜子も喋らない子どもだったが、その子もあまり喋らない。そんな感じだから二人が仲良くなるということには至らなかったが、ときどき一緒に帰ったりするようにはなっていた。その子は名前を雪絵といった。目立つ子ではないけれど、いつも笑顔でいる素直な子だった。それ故に男子たちに馬鹿にされることも少なくはなかったのだが。

 ある朝、教室に入ると水槽の周りに何人かの男子が集まっていた。水槽のポンプに金魚を巻き込ませて遊んでいたのだ。夜子は慌ててポンプを止めた。小型水槽用のかんたんなエアーポンプだったが、金魚の口元が少し欠けてしまった。それでも少しの間は泳いでいたものの、やがてお腹を上に向けて死んでしまった。

「あーあ、おい、生き物係!」

 悔しさと悲しさの中で、夜子はできるだけ自分が動くようにした。どうしてかはわからないけれど、それしかできないと思った。

 休み時間に夜子は、雪絵と二人で死んでしまった金魚を校庭の隅の土に埋めた。そこにはすでに墓標が二つ並んでいた。これで死んでしまったのは三匹目だ。ここに来て間もなく、二匹が死んでしまった。

 「もう死なせない」

 そう思っていたのに。

 雪絵は何も言わずに黙って金魚を埋めた。夜子はその横顔を見れなかった。

 結局、冬を迎えることなく金魚は五匹とも死んでしまった。やがて二学期の係り活動は終了した。

 せっかく家から持ってきてもらったのに、と夜子は申し訳ない気持ちと自分に対する無力感でいっぱいになった。接点のなくなった二人はそれから話すこともなくなってしまった。当然、一緒に帰ることもない。それどころか相変わらず男子にからかわれている雪絵の姿を見ても、ただ黙っていることしかできなかった。苦しいのをただ必死で堪えていた。

 その学年の終わりに文集を作ることになった。できあがった文集の最後のページに、自由に記述する欄があり、一言ずつ寄せられていた。夜子は、このあとクラスも変わり、もう話すこともないであろう雪絵の書いた欄を見つけた。そこには、

 「係活動が楽しかった」

 と書かれていた。もちろん、何の係か、何学期かまではわからない。でも夜子はそれを見て、救われた気持ちになった。


 それ以来、秋が来るたびに思い出す。

 どんな話をして、学校では何があって、どんな毎日だったかもあまりよく覚えてはいないけれど。

 秋の風に当たる度に、懐かしくて切ない気持ちになるのだった。

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