四、寂寞
「いってきます」
少し低いこもった声でそう言うと、
「え、何? あ、いってらっしゃい」
居間の窓際に置いてある鉢植えに水をやりながら、夜子の母はその猫のようにまるくなった後ろ姿に向かって言った。夜子は母と二人暮らしだった。剣道部に入ると聞かされたときも心配だった。夜子は中学ではパソコン部で運動もあまり得意ではなかったからだ。最初は運動部を考えていたのだが状況をよく知っていた母は文化部を勧めた。
何とかやっている夜子を見て安堵するというのが習慣になってしまったようだ。心配はなくはないが、いつもどおりの後ろ姿をこのときも笑顔で見送った。本当は強い子だと、そう信じていた。異変には気づかない。
「今日も遅い!」
「ごめん」
外ではまたいつものやり取り。でも今日は少しだけ様子が違う。
「15分待ったよ」
木葉は不機嫌そうにそう言った。
いつもどおりの風景。
見覚えのある通学路。
街路樹が風に枝葉を揺らせる。
隙間から光がこぼれる。
葉が落ちたら剪定しよう。時間をかけて、ゆっくりと。誰もいない景色の中で。
梯子をつかって、よくきれない剪定バサミで。ひとつずつ、あのやり方で。
そのために、私はたくさん準備をしてきたのだから。
見えない声がそう言った。
季節は秋を迎えていた。
並んで歩く二人。
「夜寝る前に布団の中で本を読んだり携帯に触るのよくないんだって」
「そうなんだ」
他愛もないやりとり。どうやら昨日どこかで調べたらしい。そして、いつもの交差点に差し掛かる。
「こっち、こっち!」
夜子は、渡る必要のない横断歩道を渡ろうとしてしまった。
木葉がこの日、慌てたのは、
何で今日はよくしゃべるのか。
何でどうでもいい場所を間違えるのか。
そして、何で、下を見てる。
試合にもほとんど出されたことがない。成績もそれほどよくはない。それは知っている。だけど歩くときはいつもどこか遠くを見ていた。話しかけても届かないような、手を伸ばしても届かないような。そんな姿に木葉はどこか惹かれていた。
どうして
些細なことのはずなのに、涙がこぼれそうになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます