第一章 発病

一、甲

 戦う

 戦わない

 朝食をトーストにするか、ご飯と味噌汁にするかくらいの感覚で夜子は鞄を手に取った。

 いってきます

 見えない何かにそう告げると、表では異形の何かが待ち構えていた。

「遅い!」

 予想通りの光景を受け止め、少しだけ上から、

 ごめん

 口元が少し動くだけの対応が、夜子のそれであることを木葉はよく知っていた。

 八十庭高校二年、剣道部。

 同じく二年、茶道部。

 クラスも部活も違う二人は知り合ったきっかけもよく覚えていない。でもそれは友達として些細なことだと、そのつがいは言った。

 私は何で見えるのだろう

 私は何で違うのだろう

 夜子の見えない声。


 八月も終わりが近づいていた。

 夏の空から取りこぼされたみたいに、どこかで蝉が鳴いている。

 二人が並んで歩く。

 空を見上げる夜子。

 まだ衰えない日差しに、おそらく出さないといけないであろう、今日一日分の労力を少しだけ垣間見た。

 心でため息をつき、目を伏せた。

 それをいつものように、木葉は隣りで見流した。

 いつも通りの通学路。

 いつも通りの静けさ。

 風に木立が揺れる。

 私は何で見えるのだろう

 私は何で願うのだろう


 平穏はいつも、救いの余地もなく崩れる。

 「ここまで、おいで」

 見えないそんな何かの声が聞こえたような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る