第1話 闇夜の救世主

001 紫夜の日常

 大学の春休みが明け、紫夜しやは大学三年生となり、今日から前期の登校日だ。

 朝七時、紫夜は大学に行く支度の中、テレビを点けてニュース番組にチャンネルを変えた。毎朝、今朝までに入ってきたニュースを頭に入れるのは親から刻み込まれ小学生から続けてきた彼の日課だ。彼が大学生になり、アパートでの一人暮らしになっても、これは変わらない。

 『今月から様々な商品の値上げが相次ぎ、一部業界では利益に大幅な影響がすでに出ているとの見方を示し――――』

 流れてくるニュースは経済、政治、芸能など。こうした朝のニュースを見ている人たちは何を思うか。

(今日は何も流れてこない・・・。昨日は何も起きてない)

 紫夜は流れてくるニュースを見て、そう思っていた。

 大学に行く支度をしながら、朝のニュースを見てそんな思いにふけっていると、登校の時間が近づいてきた。今日は前期の初日ということもあり、オリエンテーションのみ、その後は所属している工学研究会の経過発表がある。彼は事前に学校から送られてきたアンケートや発表のためのプレゼン資料をリュックサックに詰める。

 紫夜は大学に行くことが億劫になったことは一度もない。大学の講義は子供の頃から大好きだった機械のことばかり、サークルも同じ趣味の仲間が集い切磋琢磨している。個人的のは興味のない現代文や古典の授業やスクールカーストに囚われ空気を常に読んで周りの顔を伺いながら生活していた高校までの学生生活と比べて、とても居心地がよい。

(やっと学校が始まる。楽しみだなぁ!)

 準備が終えた紫夜は自室のあるアパートを後にする。


 大学までは自室のあるアパートから徒歩約五分で着く駅で電車に乗り、約十分ほどで着く駅のすぐそばににある。紫夜は大学のそばにある駅へ向かう電車に乗ると、音楽プレーヤーやスマートフォンを取り出した。普段、登校中の彼は最近流行りの音楽を聴きながら、電車の中でスマートフォンで今日の講義の資料に目を通したり、ニュースアプリやSNSで流れてきたニュースを読みながら過ごす。

 彼が通っている大学は東京学院大学。都内にある国公立大学で工学のみならず、文学、法学、教育学、経済学、理学、情報科学、医学、農学など多くの幅広い分野の研究科・学部があり、全ての研究科・学部のキャンパスは同じ敷地内に存在している。偏差値も倍率も高く、入試は大変だが、合格したならその努力は確実に報われるといっていいほどのキャンパスライフが待っている。敷地は広く、最近改装された綺麗なキャンパスや品ぞろえも豊富な学生生協、古いものから最新の本や論文が閲覧できる図書館、全てのサークルに部屋が割り当てられるほどのクラブハウス、ほとんどの研究科が博士課程を有しアカデミック志向の講義やゼミは大変有意義だ。紫夜はここの大学を非常に気に入っていた。みんな学習意欲や向上心が強く、頭もよくて、性格もいい人たちばかりだ。それに学校の先生や設備もとても充実している。中学時代にどんな辛いことにも耐えて、必死に勉強して、高偏差値の高校へ入学してからも勉強を続けて、今ここにいる。春休みが終わり、ようやく再開するキャンパスライフに紫夜は心をときめかせていた。

 大学近くの駅に電車が着くと、彼は電車から降りて、オリエンテーション会場となる講義室のあるキャンパスに向かう。


 オリエンテーションを終えた紫夜は工学研究会の部室があるクラブハウスへ向かった。クラブハウスの部室に着くと、部室の鍵はもうすでに開いている。

「お~い、入っていいぞ!」

 部室の中から威勢のいい声が聞こえてくる。紫夜は部室のドアを開け、中に入ると、そこには眼鏡をかけた猫背の長身の男性がいた。

「おぉ、山海か。春休みは元気にしてたか?」

「部長、そんなこと聞かなくても春休み中は何度もここで会ってたじゃないですか」

 その眼鏡をかけた猫背の長身の男性こそが工学研究会の部長、松木隼人まつきはやとだ。紫夜と同じく東京学院大学の工学部で、今年から四年生。気さくで面倒見がよく、紫夜もそのフランクな性格からとても頼れる先輩と思っている。

「まぁな。今日は俺たちのグループの経過発表だけど、ちゃんと資料とか用意してきたか?」

「もちろんです。部長こそ大丈夫ですか?」

「あぁ、もちろん。見てくれよ! これ!」

 松木はカバンから何やら取り出し、紫夜に取り出したものを見せた。

「話してたタービンのサンプルひとまず出来たんだ! 春休み中部室に籠って作ってたかいがあったよ」

「へぇ~、こんな形になるんですね。結構最初の設計からだいぶ変わりましたね」

「いやぁ~、あれから色々と計算しては試作してを繰り返したら、この形に落ち着いたよ」

 松木はジェット機が大好きで、工学研究会ではジェットエンジンの研究を主に行っている。今は数あるジェットエンジンの中でも現在主流となっているターボファンエンジンを自作し、卒業までに完全オリジナルの稼働できるターボファンエンジンの完成を目指している。

「他のパーツの進捗はどうですか?」

「いや、結構ギリギリ。教授にも卒研はこれでいいって言われたし、学校にいる時間はとにかくエンジンの作成に当てるよ」

「俺も何か手伝えることがあれば、手伝いますので遠慮なくいってくださいね!」

「お! 嬉しいよ! ヤバくなったらヘルプ頼むかも。いつもありがとな!」

「いえいえ。俺もいつも部長には頼りきりですし。それにあの夢聞いたら尚更ですよ」

「ん? こないだ話したアレか。そうそう、自分が作ったものが空を飛ぶ姿を見たいし、それで人を運んでみたい。そういう開発の仕事に早くつけるように学生のうちに成果出しておきたいって」

「俺はとにかく色んな機械や仕組みが知りたいから工学やってますけど、部長はちゃんと眩しいくらいキラキラした夢があって、それに向けて今全力で努力している。だから本気で応援したくなって」

「お、そう言われると嬉しいね。俺も山海の分野の広さや知識量は見習わなきゃって思うよ」

 そんな話をしていると、他の工学研究会のメンバーが続々と部室にやってきた。

「さて、そろそろ発表の準備始めるか! よし、みんな! 準備よろしく!」

「はい! わかりました!」

 工学研究会の部室は経過発表会の準備で慌ただしくなった。


 工学研究会の部員十六名が揃い、経過発表会の準備が整った。

「さて、始めるぞ! 進行よろしく!」

 松木は進行役の部員に経過発表会を始めるよう頼んだ。

「はい。さて、今年度一回目の経過発表会を行います! 今回はBグループの発表になりますね。それでは、Bグループの皆さん、発表お願いします」

「はい! では、まず部長の私、松木から発表をさせていただきます」

 松木はパソコンを操作し、部室のスクリーンにプロジェクターを用いて、写真や計算式、解説が入ったスライドを提示した。

「二月の経過発表のときから、主にファンの羽の角度を調整を行いました。調整の詳細はスライドにある通りで――――」

 紫夜は自分の発表のことを考えつつも、松木の発表を聞いていた。

(やっぱりこの人はすごいな。夢に向かってエネルギッシュで、こんな細かいところにも全力で取り組んでて)

 松木の発表している研究の経過報告の内容はとてもレベルが高い。その内容は大学四年生というよりも大学院クラス、勉強も研究もとにかく必死に取り組んだのが垣間見える。常人なら簡単に諦めるほどの細かいことや難しいこともめげずにとことん追求し、それでありながら柔軟に課題を解決したり、アイディアを出している。紫夜は松木のことを本当に天才であると思っている。それと同時に

(自分にこんなことは出来ないよ)

 松木の凄さに強い劣等感も覚えていた。同じ各部、同じサークルに所属していながら、一学年違うものの、そのレベルの高さに自分は全く追いつけないことを実感している。紫夜には来年ここまでの研究が出来るようになる未来が全くイメージ出来なかった。

「それでは、以上で私の発表を終わります。最後までありがとうございました!」

 松木の経過発表が終わり、部員から拍手が起きる。発表を終えた松木は紫夜に近寄り、

「次はお前だ。頑張れよ!」

 そう言いながら紫夜の背中を叩く。

「はい、頑張ります」

 紫夜は笑顔で返事をした。資料を持って、発表者の席に着いた紫夜は進行役の学生にアイコンタクトでもう発表出来ることを伝えた。

「では、続いてBグループ、山海さんの発表になります。山海さんお願いします」

「はい。それでは、経過発表を行います。今回は前回から研究テーマを変更しました。テーマは、鋼材の強度と軽量化に関する研究です。その内容はというと―――」

 紫夜の発表を真剣に聞く部員たち。しかし、どこか心配した様子で松木は紫夜の発表を聞いていた。


 経過発表会は工学研究会のBグループである紫夜と松木、他の二人のメンバーの発表をもって終了した。

(はぁ、終わった。発表前はいけると思ったけど、いざ発表してみるとショボかったな・・・。このテーマじゃダメだ。変えないと)

 紫夜は発表を終えて、達成感を感じていた。だが、同時に悔しさのような感情も感じている。本日のサークル活動は経過発表会のみで、それが終わると参加していた部員たちは、それぞれ部室から出て帰宅したり、部室に留まって話し合いをしていたり、各々が自由に行動する中、紫夜は松木に肩を叩かれた。

「なぁ、ちょっといいか?」

「はい、構いませんけど」

 紫夜は返事をした後、松木に連れられ他の部員たちに話が聞かれないよう、部室の隅に移動した。すると、松木は紫夜に話し始める。

「今回は鋼材か。やっぱりやりたいこと決まらないのか?」

「あ、はい・・・」

 紫夜はどこか後ろめたい表情で返事をした。

(この人にはすぐバレちゃうか・・・)

「短期間で全く別の分野のことをこれだけまとめてくるのは、すげぇよ。労力かけてることはもちろんよく伝わってるよ。内容のレベルも全然低くない。俺はこんなこと出来ないぐらいすごいよ。たださ、少しでもやりたいと思ったことに今まで以上に取り組んでみてもいいんじゃないか? こないだの電波や電動工具のやつとか、まだまだやれると思う。今は全然進まなくてもいいから、もっと深くやってみたらどうだ? それがダメなら他の視点や分野から見てみたりとか」

「そうですね、検討してみます・・・」

 紫夜は経過発表会で発表する研究テーマと内容をほとんど毎回、全く異なる分野のものに変更している。彼は経過発表会などで松木を始めとした一部の優秀な部員の発表を見る度に、自分がとても劣っていることを痛感させられ、今研究している内容ではだめだと思い込み、テーマや内容をガラリと変えてしまう。紫夜は決して能力がないわけではなく、松木の言う通りあらゆる分野の内容をすぐ吸収し、比較的高い水準で研究成果をまとめ、ときには部品や機械などを自作するなど、サークル内ではどちらかといえば優秀な部類だ。それでも、毎回一部の部員に敵わないことを痛感し、他の分野の研究なら行けるのではないかと研究テーマや内容を変更する。今回の経過発表を終えた紫夜は、松木の発表内容に圧倒され、すでに鋼材をテーマとした研究を諦めることを考えていた。どこか落ち込んだ様子を見せた紫夜の背中を松木はポンと叩いた後、

「お前が俺のことを手伝ってくれるように、俺もお前の力になる。いつでも相談してくれ! 俺もお前のことは全力で応援してる!」

 松木は明るい声でそう紫夜に声をかけた。

「ありがとうございます。そうですね、何かあれば相談します」

 返事をして、紫夜は松木に頭を下げた。松木には見えなかったが、そのときの紫夜の顔はとても悔しそうな表情をしていた。紫夜はその後、紫夜は部室のジャンクパーツ置き場にある鉄板や鉄の塊などをリュックサックの中に入れて部室を後にした。そのまま学校を出た紫夜は自宅のアパートに向かった。


 紫夜は自宅のアパートに着き、自室の鍵を開けようとしたところ、

「さんかーいくん!」

 と栗色の髪の毛の女性に声をかけられ、

「あ、河合さん」

 と紫夜は返事をした。

 彼女は河合優莉かわいゆうり。紫夜と同じ東京学院大学に通う女子大生だが、紫夜と違い、彼女は教育学部の三年生。見た目は栗色に染めたロングヘアと整った顔立ちをし、今どきの女子大生といった感じの落ち着きながらも可愛らしい服装をしている。紫夜とは借りているアパートの部屋が隣同士で入居時から仲良くしている。

「久しぶりだね! 私は春休み中ずっと実家にいたけど、山海君は?」

「俺は逆にずっとこのアパートにいたよ。バイトもあったし」

「え~! こらこら! ちゃんとたまには実家に帰るんだよ? ご両親に元気な顔見せなきゃダメだよ~」

「うん、そうだね。今度の休みには帰ろうかな」

「ホントかな~? そういってこの前の長期休みも帰らなかったし」

「帰るってば(笑)」

「そっか! じゃあ、今回は信じる!」

「なんか俺河合さんに信用されてないみたい」

「そんなことないよ~! そういえば、学校どうだった?」

「オリエンテーションとサークルだけだったし、特に何にも」

「そっか。うちもオリエンテーションだけだったけど、時間割渡されてさ、そしたら統計の授業があって、も~ホント萎えた」

 と優莉は落ち込んだ様子を見せた。

「統計か~。結構面白いんんだどね」

「山海君はそういうの得意そうだよね。こっちは入試でやっと数学とはお別れだ~ってなったのに!」

「でも、卒業研究とかで必要になるんだろうし、ちゃんと勉強してきなよ」

「まぁね~。やりたいテーマ的に必要になりそうだから、今のうちに勉強するに越したことはないんだけどね」

「ちなみにどんなテーマなの?」

「ん? 今のところ、いじめられた子が大学生ぐらいになると、どんな影響が出るのかっていうのを卒業研究でやろうかな~ってところ」

 いじめという言葉を聞いた紫夜は、胸にチクリと針を指すような痛みを感じた。

「へぇ~。なんかちゃんとしてるというか真面目なテーマだね」

「なんか馬鹿にされてない?」

「いやいや! 全然そんなことないよ!」

「ほんと~? まぁ、でも、ホントにやりたいテーマなんだ! アンケートを使う研究でね、調査対象は大学生なんだけど、ネガティブな面を見るんじゃないの。いじめられても大学に来られるぐらいになった人たちって、絶対普通の人たちよりもすごいところあると思うんだ! それにいじめられた子たちに希望を与えたいっていうのもあるし」

「すごい・・・。素敵な研究だと思うな」

「そう? ありがとう! これからゼミ選び始まるんだけど、いじめとかそういうの研究している先生の研究室入るつもり!」

「そこまでちゃんと考えてるなら、希望する研究室に入れると思うよ。頑張ってね!」

「うん! ありがとう!」

 と優莉は紫夜に満面の笑みを見せた。

「なんか話に付き合わせてごめんね」

「いやいや、全然そんなことないよ。そういえば、ちょっと今日うるさくなるかもしれないから、先に謝っておく。ごめんね!」

「大丈夫大丈夫!こっちも時々友達呼んで宅飲みしてて迷惑かけてるだろうし、気にしないでね!」

「ありがとう。じゃあ、河合さん、またね!」

「うん! じゃあね~!」

 とお互いに手を振り、二人はそれぞれ自室に入った。


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