第一章 6
二限目の社会の授業がそろそろ終わる。この後は十五分の休憩時間を挟んで、三限目が始まるようになっている。先生からどこの病院かを聞き出すには、この休憩時間を活用するべきだ。一限と二限の間の小休憩で遥にも伝えておいたので、この社会の授業が終わった瞬間、先生のところへ一緒に向かう手筈になっている。だが。計画はこれで良いとして、問題はこっちだ。
社会の教科書に目を落とす。
算数も社会も、授業の内容が全く頭に入ってこなかった! どうしよう。これは非常にまずい。前回のテストがなんとかぎりぎりで、次同じような点数を取ったらお小遣いを減らすと言われているのに。大好きな漫画の週刊誌も今まで通りに買えなくなってしまう。それだけは絶対に阻止しなければならない。かくなる上は。遥に全部教えてもらおう。普段は天然でおちゃらけたやつだが、あいつは勉強もできるからな……考えてみると、ああ見えてある程度なんでも出来るよな。中学や高校では生徒会長を務めるような人間になるんだろう。ぼくとは大違いだ。なんか世界って不公平だな……いや、でもそう悲観するには早計だ! あいつは運動が全く出来ない! そうだ、運動能力はぼくのほうが勝ってる! それだけは、勝ってる……はぁ、自分で考えててなんだか悲しくなってきた。
沈んだ気分を払拭してくれるかのように、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。途端に静かだった教室がざわざわとうるさくなると共に、ぼくはその中で緩んだ気持ちを引き締めた。
「よし、では今日の社会はここまで。今日までやってきた『日本と世界のつながり』についてはこれで終わりだ。次の授業ではみんなのお待ちかね! 今までのところをテストするぞ」
教室内がブーイングの嵐に包まれた。先生はそんな様子を気にすることなく「挨拶を交わそうか」と言って、日直が号令をかける。挨拶を済ませた後、教科書を机の引き出しへ乱暴に片付け、替わりに筆記ボードとペンを取り出す。その後、遥の席へと向かう。
「やぁ、あっくん。さっきぶりー」
前回の小休憩の時と変わらずへらへらとしている。内心、自分に責任があると責めているだろうに。なのにずっと明るく振る舞って。本当に……
すごいやつだよ、おまえは。
「ん、なんてー?」
いや、何でもないよ。さあ、いくぞ。
ぼくたちは教室を出て、先生を追いかける。先生がちょうど階段に差し掛かったところで、ぼくたちは追いついた。
「先生!」
遥が声をかける。先生は振り向いて少し首を傾げながら、
「お、二人とも。どうしたんだ?」
筆記ボードへ速筆する。
沙紀さんの入院した病院を教えてほしい。
「それは朝も言った通り、みんなで寄せ書きを書こうと――」
「私、沙紀ちゃんとは親友なんです! だから、沙紀ちゃんのことが本当に心配で心配で……」
遥が俯く。そしてその表情を悔しそうに歪めながら続ける。
「それにもし、あの時。あの時私が……」
助けることが出来ていれば、こんな事にはならなかった。恐らくそう言葉が紡がれていくはずだったのだろうが、遥の言葉は続かなかった。その瞳に涙を溜めて、こぼれ落ちないよう必死に我慢している。
その様子を黙って真剣に見ていた先生は、
「……仕方がない。二人にだけは教えよう。ただ、他の子達には内緒だぞ」
懐からおもむろに手帳を取り出し、パラパラとページをめくった。
驚いた事に沙紀の入院している病院は、ぼくもよく行く県立の総合病院だった。そこの501号室。ちょうどいい。明日はぼくの定期検診の日だから、同時にお見舞いにも行けそうだ。
ぼくは万が一忘れてしまわないよう、筆記ボードに501と記入しておいた。
「ありがとう、ございます」
遥がささやくようなか細い声を絞り出すと、
「何があったかは聞かないが、沙紀の力になってあげてくれ」
先生は遥の肩に手を置いて、優しく言葉をかけた。そしてひらひらと手を振りながら、階段を降りていった。
「これで、沙紀ちゃんのお見舞いにいけるね」
どうやら持ち直したようだ。そんなに我慢しなくても良いのに。辛いときは泣いてもいいんだ。それでも遥は周りのことを想ってか、泣かない。彼女があの事件から立ち直って以降ずっと。そんな誰よりも優しい君だからこそ、ぼくは――
「ん? あっくん?」
気付けば先生がやっていたように、遥の肩に手を置いていた。急に顔が熱くなり、すぐに手を戻す。
な、なんでもないよ。それよりもこれで沙紀のお見舞いにいけるな!
「んー、それさっき私言ったじゃーん」
そ、そうだったか……。
ごまかし笑いをして続ける。
そういえば明日その病院に行くんだ。いつも母さんが連れてってくれるんだけど、遥も一緒に行こう。
「あぁ、明日は月に一回行ってる定期検診の日なんだね。わかった! 今日帰ったら早速ママに言うねー!」
ぼくも母さんに伝えておくよ。さぁ、教室に戻ろうか。
「はーい!」
良かった。先ほどのことは何とか誤魔化せたようだ。しかし我ながらなんということを……あぁー! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい思い出しただけで顔から火が出そうだどこかに穴はないものかくそう見当たらないそうだなければ作ればいい今から校庭にでも行って地面を掘って隠れれば少しましになるだろうかいやそんなことしたら全校生徒の笑いものに……ぬわあぁぁー!
はっ、と我に返る。冷静に、冷静に。こんなのぼくのキャラじゃない。いつものように思考を巡らせろ……そうだ! この際もう一つの問題の方も、遥に相談しておこう。
いつの間にか先に教室に戻ろうとしていた遥の肩をつつく。
「んー?」
悪い、遥。話が変わるが、最近授業が全然わからなくて。おまえ頭良いし、良かったら教えてくれないか?
「そんなことくらいお安い御用ですよー……あ!」
遥は急に意地の悪い表情を浮かべて続ける。
「最近駅前に洋菓子専門店ができたんだよねー。そこの『コクうま! まろやか卵プリン』で手を打とうじゃないか!」
……現金なやつめ。
顔を引きつらせながらも、快諾するほかなかった。
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