第一章 5

 翌日。令和元年十一月二十九日金曜日。


 あれから母さんにこってりとしぼられた後、その日にあったことを話した。これがまずかった。タイミング最悪。どうやら母さんは、ぼくが遅くなった理由をでっちあげたと思ったようで、そこからまたお説教が始まってしまった。もちろん、話の内容など信じてもらえなかった。母さんに話すのが一番だと思っていたが、こうなった以上他に信じてくれる人を探すしかない。誰が話を信じてくれる? 先生に相談するのがいいか? いや、結局先生にも適当にあしらわれて終わりだろう。どうしてこうも大人はぼくたち子供の話をまともに聞いてくれないのか。子供はこうあるべき、というくだらない固定観念が無意識のうちに染み着いているのだろうか。理不尽だ。理不尽すぎる。でも同時に、この理不尽を何度も経験していく中で、子供は大人へと成長していくのかもしれない。


 小学校の階段を重い足取りで登りながらため息をつく。


 ……もしそうなら、ぼくは大人になんかなりたくないな。固定観念に縛られた人生なんて、ただ息苦しいだけだ。それでもやっぱり人は縛られてしまう。みんなが右を向けば、自分も右を向かないといけない。逆にみんなが左を向けば、同様に。この波に逆らってしまえば、淘汰される。なんだそれ。


 少しイライラしながら、自分の教室がある三階の廊下を歩く。既に学校に到着していた同級生たちが、廊下のあちこちでクラス関係なしに輪を作り、親し気にしゃべっている。ぼくはそれを尻目に見ながら、あることに気付く。


 そうだ。一人いる。大人に成り切れていない大人が。定職に就かず、我が道を行く彼――千代崎賢人が。まぁ、なんだ。こうやって表現すると非常に残念な人間のようで滅茶苦茶失礼だが、そこはあのおじさんだから許してくれるだろう。ともかく、おじさんならもしかしたら相談に乗ってくれるかもしれない。でもおじさん結構頭良いし、昨日のおまわりさんのような結論に至るかもしれない……。よし、おじさんに相談する前に、ある程度情報を集めよう。問題はどうやって情報を集めるか、だが……。


 どうするか思案しつつ、教室の滑りの悪い引き戸を強引に開けて入った時、友達と笑顔でしゃべっていた遥と目が合った。普段に似合わず真面目な表情になった彼女は、その友達に断りを入れてぼくの方へ駆け寄ってくる。


「あっくん、おはよう。昨日どうだった?」


 親に話してどうだったか、ということだろう。首を横に振る。


「あちゃー。あっくんもか。私も帰ってから話してみたんだけど、まるで取り合ってくれなかったよ。そんな嘘みたいなこと言ってないで、早く宿題しなさい! だってさ。嘘じゃないのにね……」


 遥は少し悲しそうな表情を浮かべた。


遥。おじさんに相談してみるのはどうだろうか。

「おじさん……うん、おじさんならちゃんと話聞いてくれそうだね! 相談してみよー! 今日行く?」

そうしたいのは山々だが、おじさんにも信じてもらえなかったら終わりだ。もう少し情報を集めてから相談してみるのはどうだろう?

「うーん、そうだねぇ。流石におじさんなら信じてくれそうだけど……でもやっぱり昨日の二の舞は嫌だし。情報集めよ!」

よし、決定だ。問題はどうやって情報を集めるかなんだが……。

「そんなの決まってるじゃん! 聞き込みでしょ、聞き込み! 眼鏡の似合う紳士なオジサマとその相棒もよく聞き込みしてるでしょ?」

……ぼくはよく知らないけど、ドラマの話か?

「うん、そうそうー。ママが好きで、一緒によく見てるの」


 遥は真面目な表情を崩して、にへら、と笑う。


 確かに。情報収集をしようと思ったら、公園の周りの家に一軒ずつ聞いていくしかないか。もしかしたら窓越しにその様子を見ていた人もいるかもしれないし。


じゃあ今日の放課後、聞き込み調査だ。ただ昨日のように――


 軽くあしらわれて終わり、となることも覚悟しておけよ。と伝えようとしたのだが。始業の予鈴が邪魔に入って、遥は「じゃあまた後で」と言って自分の席に戻ってしまった。ぼくも仕方なく自分の席に腰を下ろす。と同時に黒板の横の引き戸が開いて、先生が教室に入ってきた。日直当番の号令で、挨拶を交わす。


「みんなおはよう。今日はお休みの子はいないかな?」


 やんちゃな同級生が手を上げて、先生に答える。


「先生! 沙紀ちゃんが居ません!」


 伏見沙紀。高角先生の取り巻きその三。ぼくの三つ前の席に座る、物静かで優しい子だ。遥とは大の仲良し。今まで休んだところを見たことがないのに、今日に限って休むなんて珍しい。本人も皆勤賞が取れると良いな、と言って頑張っていたのだが。


「ああ、沙紀については聞いている。しばらく学校を休むことになった」


 教室内にどよめきが起こる。同級生の一人が手を上げて、先生に問いかける。


「先生、沙紀ちゃんはなんで休むんですか?」


 先生は沈黙する。言うべきか、言わずにいるべきか悩んでいるようだ。先程までのざわめきがいつの間にか収まって、みんなが先生を見つめる。そんな様子を見て、先生は仕方が無さそうに口を開く。


「沙紀はちょっとした事故に巻き込まれて、ショックを受けている。大事を取って、しばらく入院するそうだ」


 再び教室がざわつく。そんな中遥を見ると、彼女は先生の言葉を受け止め、ただ一点を見つめて目を見開いていた。おそらく遥の頭にも、あの可能性が浮かんだのだろう。昨日の誘拐された少女——あれは伏見 沙紀ではなかったのか、と。遥は俯き、顔を歪める。きっと遥は今、自分を責めているだろう。なぜあの時助けられなかったのか。もっと違う対応をしていれば、結果は良いものになっていたのではないか。ぼくも遥を助けられなかった時、同じように思った。思って思って、感情が歪んでいって。暴走してしまった。遥は決して同じ過ちを冒して欲しくない。必ず遥を助ける。


 さて。遥のことは大事だが、今回の事件についての思考を進めていく。


 昨日の少女は伏見 沙紀である可能性が高い。聞き込みと同様に、彼女に話を聞くことも選択肢に入れておくべきだろう。問題は、沙紀が入院している病院をどうやって特定すれば……。うーむ。


「先生! みんなでお見舞いに行こうよ! きっと沙紀ちゃんも早く良くなるでしょ?」


 先生は困ったように、


「行きたいのは分かるけど、全員でお見舞いに行ったら病室に入りきれなくて迷惑になるだろ。だからみんなで寄せ書きを書くのはどうだ? 先生が責任を持って届けるからな」


 はっ、と思考が開ける。なぜこんな簡単なことに気付かなかったんだ。先生は病院を知っている。当然だ。沙紀の親から「娘が入院する」という連絡が来た時に、病院についても聞いているに決まっているじゃないか。よし、決まりだ。病院は先生に聞こう。遥にも相談して、手伝ってもらおう……自分を責めるよりも沙紀のために行動した方が、彼女のためにもなるだろうから。


 未だ静まらない教室に、先生は手を叩いて教室を収める。


「――さぁ、静かに。この話はとりあえずお終いだ。同じ教室の仲間が居なくて寂しいが、その分しっかり皆が勉強しないとな。一限目、算数を始めるぞ」


 クラスメートの嫌そうな声が先生に向けられる中、ぼくは黙って教科書を開く。チャンスは二限目が終わった後だ。

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