気付けばわりと敵だらけ(2)




「ルートは頭に入ったな? 歩道がある通りと比較的交通量の少ない裏通りを選んだつもりだが、くれぐれも事故には注意しろよ」


 戦う陸上部(関口顧問の弁)は、これから初のロードワークに出る。

 密かに楽しみにしていたこともあって、上々な気分で顧問の諸注意に耳を傾けて――――

いるはずだった。本来ならば。  


 そうはさせてくれない原因が複数というのもなかなか笑えるじゃありませんか、と半ばヤケクソで彩香は口の端をつり上げる。 

 この自分にしてはここ最近、実に波乱に満ちた生活を送っているような気がする。

 もちろん良い意味ではなく。


 先ほどもなんだかんだで「あれ? いつの間にかキューピッド作戦成功してるじゃん。ラッキー」と棚ぼた的にまんまと二人を残してこれたことに途中で気付き、機嫌よく足取り軽やかに部室へと向かったのも束の間。  

  

 程なくして追いついた爽やかモテ男が普通に質問を繰り返そうとしてきたのには参ったが、とにかく笑ってごまかし逃げまわり、物言いたげに睨んでくる柚葉にも(後が怖いが)あえて気付かないふりをし、外の騒音ガンくれ下級生たちにはもちろん完全スルーを決め込んだ。


 それらすべてを避けてホッと一息ついて陣取った最前列に――

あろうことか諸悪の根源――変態長身がいたのである。


 これでは前門の虎後門の狼ではないか。

 いやそれを言うなら前後どころではなく、もっとあちらこちらに魑魅魍魎たちもいる気がするが。


「全員きっちり並んで走る必要はないが、なるべく一人にはなるなよ。くれぐれも安全最優先でな。質問がなければ以上だ。じゃあ軽く行ってこーい」 


 パンと手のひらを打ち鳴らして行動開始を告げた関口顧問の前から、皆ばらばらと立ち上がる。


 陸部黒ジャージについた芝を払いながら心なしか楽しそうにグラウンド外へ向かう部員たちを尻目に、げんなり重い空気を背負ったまま彩香がぐりんと隣を振り仰いだ。


「……なあーんでもういるんスかあ? あと一時間はお勉強してるはずですよね? 特進クラスの?」

「あっれー? 彩香ちゃん、何か今日も元気に怒ってるー?」


 あと一時間は顔を見ずに済むはずだったのだ。怒らずにいられるか。

 しかも毎度毎度よく飽きずにそんな軽薄な笑みを貼り付けられるモンだな、と逆に感心する。

 どう見ても好意的ではない相手にさえ無駄に笑顔を振りまくとは、さすがタラシ族といったところか。


「今日の最後、半分自習みたいなモンだったからワケ話して抜けてきた。外走るのお初だし? やっぱり道は把握しときたいじゃん?」

「そんなの……喜んで道案内したい女の子が山ほどいるんじゃないスか?」


(っていうか瑶子さんいるし。後日あらためて二人で周ればいいだけじゃん。デートついでにでもさ)


「そんなことしてると大学落ちますよ」


 つーか落ちろ、人生の挫折というものを味わってみやがれこの完璧人間め、と心の中で毒づきながらすっくと立ち上がる。

 そのままグラウンド端に移動しつつある部員たちを追ってズカズカ歩き出したところに。


「あれ、心配してくれちゃってる? 嬉しいねえ」


 早々と並び立つ気配がしたと思ったら、突然、大きな手のひらにわしゃわしゃと頭を撫でられた。

 一瞬の空白の後、がばりと額を押さえ、ひょえっ!と真横に飛び退いてしまっていた。


「ばっ……! な……っ! だっ、だから不用意に触んないでくれるっ!?」


 なぜか火照る頬を扇ぎながら、そのまますかさず周囲を警戒する。


 幸いこの様子を目に留めた人間はいなかったようだが、先日の後輩モブたちの誤解や瑶子の視線のこともある。

 誰の目にどのような形で映るかわからないのだから、やはり異性――特にこの危険人物からは早々に離れなければなるまい。


 単に何も考えてないのだろうが、何かというとすぐ触ってくる相手だ。

 また第三者に妙な勘ぐりをされたらたまったものではない。


(あたしを恋愛分野そっちの世界に巻き込むんじゃねーわ! ……ったくもうっ)


 額の上でわずかにずれたハチマキを直しながら、決意も新たに速度を上げる。

 こんな変態からはさっさと離れて他の皆と合流せねば。

 そしてロードワークに出るのだ。


 というか柚葉はどこに行ったのだろう?と、つい数分前までは自分のほうが逃げ回っていたことも忘れてキョロキョロと周辺を見回す彩香に、


「ねね、彩香ちゃんだけなんでいつもハチマキしてんの? みんな大会本番とかにしかしないって聞いたけど?」


 当然おとなしく置き去りにされるはずもなく、またもや難なく追いついてきた翔が喜々として額を指差してきた。    


「気合です」

「気合か。いいねえ」 


 親友探しを中断せずにぶっきらぼうに応える彩香にぷっと噴き出し、一呼吸だけ置いて翔が続ける。


「つーか、彩香ちゃんってさ」


 意識の半分以上を親友探しに向けてはいたが、微妙に空気の変わった長身変態にはさすがに気付いた。

 今度は何を言い出すんだコイツは……と意識だけで軽く警戒していると、慎重に言葉を選ぶような空白の後、やや声を落として翔が口を開いた。



「――――それ、本名だよね?」


 

 想定外すぎる問いかけに思わず足を止め、まともに振り仰いでしまう。


「はいぃぃ?」


 まさか偽名を使っている?とでも言いたいのだろうか。


 自分は一体どういう人間に――何者に見えているのだ?

 どこぞのスパイ的な何かか?

 華やかな夜の街に出没する源氏名持ちのおねーさん的な何かとか? ……いやいやさすがにとんでもなく似合わなすぎる。 


 では何だ?

 名前が本名か、というのはいったい――


「んーと、特別なあだ名とか――何か、あったりした? 仲良い友達とかには何て呼ばれてた?」

「え、別に……。普通に名前か、苗字の一文字とかで……。てか、なんで?」


 驚きのあまり敬語も忘れて瞬きを繰り返してしまう。

 そんな彩香に軽くため息をついたかと思うと、にっと口の端を上げて翔が見下ろしてきた。


「……や。そっか。ならいい。気のせいだった」

「???」


「何でもない、何でもなーい」

「!? だ、だからっ気安く触んないでって……!」


 わしわしと頭を撫でてくる手を退けようと四苦八苦していると、どこか清涼な気配を背後に感じる。


「まさかまた西野に俺の悪口吹き込んでる?」


 怒ったような困ったような呆れたような、それこそ微妙な表情で爽やか王子が腕組みして立っていた。


「おっ、沖田くん!」

「あら侑クン。気になる? 気になる?」

「おまえなー」


 懲りずに意味ありげな笑みを作って振り向く翔をひと睨みして、侑希がクイと親指を背後に向ける。  


「気になるけど、今は早く出ないと。ホラ、いい加減部長に怒られ――」


「いつまでダベってんだ、そこー!? 早杉! 沖田!」 


 突如グラウンド端から響く陸上部主将香川の罵声。

 あまりのタイムリーさに侑希の肩が若干ビクついた。


「オラ行くぞっ。おまえらが動かねーと女子集団も出発しねーだろが!」


 ちょうど男二人の陰になって見えなかったのだろう。

 運良く怒鳴られずに済んだ彩香は、そんな注意の仕方があるかい……と思いながらも、これ幸いと素知らぬ顔でイケメンどもから離れる。


「あ、はい部長っ。今行きますっ」

「香川ちゃん、怒ってばっかだとハゲるよー?」    


 すでに駆けだしている侑希の背中を見送り、しょーがねえなあとばかりに翔ものんびりと歩きだした。

 どうも無駄に熱くなりやすい香川部長を、面白がって突付いて楽しんでいるフシがある。


「ああ!? じゃハゲたらおまえのせいだからな? 責任取れよ? 早杉」

「ええ? 俺、香川ちゃんの嫁確定?」

「さっさと行けオラァァァ!」

「きゃー」


 どこまで演技かわからない蹴りをひらりと躱して、そのまま残りの男子数名と一緒にグラウンド外へ駆け出して行く。

 ぶつぶつこぼしながら香川も後に続いた。



「やっと行ったね」


 にぎやかに出発していった男子集団をクスクス見送りながら、瑶子と柚葉がそれぞれ自転車を引いて近くに歩み寄ってきた。

 姿が見えないと思っていたら、駐輪場に居たらしい。


 公道を走る部員たちのお目付け役を言い渡されたのだと、そういえば言っていた。

 一年マネージャー候補の女子たちは顧問と留守番なのだろう。

 あからさまに不貞腐れている彼女らに同情しつつも苦笑を浮かべていると、女子部部長と話し終えたらしい瑶子がこちらを振り返った。


「じゃ、先行くから。高瀬さん、女子のほうお願いね」

「はい」

「西野さんも、あんまり無理しないで頑張ってね。一年生を間に挟んで、様子見ながらゆっくりでいいから最後尾辺りを走ってくれると嬉しいかな」

「う……は、はいっ。了解しましたっ」


 思わずぴんと背筋が伸び、しゅたっと敬礼してしまう。

 綺麗で優しいいつもどおりの笑顔に、正直かなりホッとしていた。 

  

 先日の視線も、やはり気にしすぎるほどのことでもなかったらしい。


「ほら彩香。あたしたちも行こ」

「あ、ああ、うん」


 すぐ隣に立っていた柚葉に軽く肘で突かれ、我に返る。すでに女子部員のほとんども出発していた。

 親友のいつの間にか直っていたらしい機嫌にさらにホッとして軽快に走り出しかけた、まさにそのタイミングで。    


「――さっきの話は後でゆっくり聞かせてもらうから。部活の後にでも、ね」


 恐ろしいほど冷静に抑えられた滑らかな声色で、背後から呼び掛けられた。


(ひょえーーーーーーっ! やっぱ忘れてくれてるワケなかったか!)


「さ……さっきの話とは……」


 恐る恐るぎこちなく振り返った彩香の視線の先には――


「侑くんに、何、訊いてたって?」


 整いすぎているだけに、凄絶に美しく怖い微笑みがそこにはあった。






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