気付けばわりと敵だらけ(3)




「だからって無理やりくっつけようとしないで!」


 珍しく少しだけ張り上げた柚葉の声は、だが誰にも拾われることなく歓声の中に紛れた。


 体育館いっぱいにひっきりなしに響く、パスを呼ぶ声とボールの弾む音。歓声とホイッスル。

 目の前の人垣――女子生徒たちの向こう。

 体育館ステージ側のコートでは、2年E組対F組男子によるバスケ試合の真っ最中である。


 女子は女子で入口側のスペースを使ってマット運動をしている時間なのだが、すぐ横でイケメン王子の爽やかプレーを見せられては身が入るはずもない。

 順番待ちの暇な女子に混ざってマット上で練習中の女生徒まで気もそぞろになりだすのにそう時間はかからなかった。  


「あ、あのぅ……」

「彩香」


 沖田侑希の勇姿には目もくれずに、目の前の大和撫子は静かに、だがかなり怒っている。 


「今のままでじゅうぶんだから、ってあたし彩香に言ったよね?」

「そ、それは…………い、言いました……ハイ」


 結局昨日は、部活後も帰宅途中ものらりくらりと柚葉の追及を躱し、夜の電話もメールもスルーしてしまったため、翌日一時限目の体育真っ只中にこうして冷たい床に正座のうえ、魔の尋問を受けることとなったのである。


 経験上、ここまで目の据わった親友からは、さすがにもう逃げることは叶わない。

 観念し項垂れたまま冷や汗ダラダラ垂れ流し状態の彩香を、涼しげに上から見下ろして柚葉が口を開く。


「お願いだからそっとしといて、とも言ったよね?」

「す、スイマセン」 

「あたしが勝手に、一方的にずっと好きなだけだから。これ以上は本当に、お願い」


 だから無駄に仲を取り持とうなどとしてくれるな、と。

 懇願(というか脅し?)されているのは、わかる。わかるが――。

 儚げでたおやかなはずの大和撫子が、般若一歩手前の形相に見えるのは気のせいだろうか。

 ひーーーーっ!と胸中で悲鳴を上げながら、彩香はあきらめ悪くちろりと目だけを上げた。


「い、いや……でも『一方的に』じゃなく両想いだったわけでしょ?(人違いじゃなければ……。) 突っ付いてみたら沖田君だって思い出すかも……しれないし。そ、そしたらっほら――」


「思い出してくれても、昔の気持ちに戻れるとは限らないんだよ?」


 言い聞かせるように、柚葉が静かに遮った。


 そして。

 そのまま思いのほか静かな表情を人垣の向こうに向ける。


「それに、たぶん侑くん……もう他に好きなヒトがいる」


「……え」


 思いもよらない親友の推測に、「まさか」という考えしか浮かばなかった。


「そ、そんな……他に好きな、って」


 こんなに長い間、柚葉を待たせておいて?

 ここまで想われていながら?

 子どものころの口約束なんて普通に時効だと柚葉は笑ってあきらめているけれど……。


 ざわつく胸の内を抑えこむように、強くジャージの喉元を握りこむ。


 そんな彩香にようやく視線を戻し、ふっと柚葉が笑った。


「あれからもう十年近く経つんだよ? 普通に、ありえる話でしょ?」


「――」


 殊のほか落ち着き払った物言いに、彩香の思考はすっかり停止してしまう。


「それがハッキリわかっちゃったら、辛いじゃない……。彼に気まずい思いさせたくないし、あたし自身すぐに吹っ切ることも……できないだろうし。だったら今のまま――ただの部員同士としてでもいいから、優しい侑くんの側にいたいなあって」


「柚葉……」

「だから、このままでいいって言ったの。わかってくれる?」


 反問する隙も見出だせないくらい、綺麗に悲しげに柚葉が微笑んだ。


「……ね、彩香? そっとしておいて?」


(柚葉も怖いんだ……)


 年月とともに、ひとの想いも変わる。もちろん変わらないものもあるだろうけど。

 でも、不確かなそれに縋ることを柚葉は躊躇い、沖田侑希の気持ちが明らかになることを恐れた。

 本当は死ぬほど好きなくせに。彼の気持ちまで慮って……。

 なんてことだ。健気すぎて涙が出そうだ。


「…………った」 

「え?」


 ぼそりと吐き捨てた彩香に聞こえないとばかりに耳を寄せてくる柚葉。

 そこに、一瞬だけキッと睨みをきかせてやる。


「わかった! でも本心は違うからね!?」

「え、う……うん?」


 こうなったら表向きだけでも彼女の想いは尊重せねばなるまい。

 自称キューピッドとしては甚だ不満だが。   


「柚葉がいくら遠慮したってモテ男に好きな人なんていないかもしれないしっ! 本当はガンガン体当りして誰よりも幸せになってほしいんだからね!?」


 本当は少しもあきらめてほしくなどない。遠慮なんてもってのほかだ。

 他人など端からなぎ倒して踏み越えて、誰よりも誰よりも幸せになってほしいのだ。


「てゆーか! 沖田くんにもしホントに誰かいるんだったら相手もろとも張り倒してやりたい。腹立つっ!」


 握り拳をがっちり固め黄色い歓声に負けず劣らず吠え盛る彩香をひとしきり呆然と眺めていた柚葉に、ようやく満面の笑みが宿る。


「ありがと。やっぱり彩香大好き」


 一気に破顔した柚葉にぽんっと両肩を軽く叩かれ、そのまま二人でストンと床に腰を下ろした。


「だから、ね」


 そのまま肩を組むように、すかさず柚葉の綺麗な笑顔が近付いてきたと思ったら、


「だから――――絶交させるようなこと、しないでね?」


 再び般若降臨。


「う……っ」


 もうこれ以上は本当に何もしてくれるなと暗に告げているのだ。

 やけにドスの利いた声で、可愛く小首を傾げながら。


「あれ? 彩香、お返事は?」


 親友の心の奥底の小さな願いに気付けた以前に。

 昨日と同じ、かくも美しく恐ろしい笑顔でこうして迫られたら。


「は……はい」


 本心はどうあれ、ここはもううなずいておくしかなかった。







  ◇ ◇ ◇







 ひとの気持ちとは難しい。


 見目良い人間はどうしたって得だ。絶対イイ思いをしているに違いない。

 ずっとそう思ってきた。

 ある意味万能なんじゃないか、とさえどこかで信じ込んでいたかもしれない。

 ずるい、という僻みも存分に込めて。


 常に自信に満ちあふれているは、何の焦りも不安も悲しみもなく大した苦労もせず安々と世間の荒波を越えていき、そして当たり前のように幸せを掴み取れるのだろう、と。


 ――だがもちろん、そればかりなわけはなくて。

 いくら容姿が整って輝いていても、悲しんだり悩んだり不安を覚えたり、何かをひどく怖がっていたり……泣けるほどに嬉しいと感じることがあったり――。

 人間なのだからそんな感情だって当たり前に持っていたのに。


(今は他に好きなヒトがいるかも、なんて……柚葉があんなふうに思ってたなんて……)


 他のコに向いているかもしれない沖田侑希の気持ちを知ってしまうと辛いのだと、悲しげに笑ってみせた親友。


 言われてみれば、永遠に変わらない想いなんて確かに無いのかもしれない。

 どんなに好きだと思っても、約束し合っても。

 「心変わり」と言ってしまうと何やら身も蓋もないし、無駄に軽薄な要素も上乗せされるような気がして、あまり当てはめたくない言葉ではあるのだが。 

   

(っていうか、そもそも沖田侑希の場合は「心変わり」以前に「ど忘れ」っぽいよなあ?)


 そんなことをグルグル考えながら跳んでいたため、またしても高跳びバーを落下させてしまった。これも、至極当然の結果である。

 まあ今後の課題としてはとりあえず柚葉に隠れてどう暗躍するかだな(言うこと聞く気ゼロ)、とため息をつきながら再びバーを支柱にセットする。

  

「惜しかったね、今の」


 スタート地点に駆け戻ろうとしたところに、各種競技練習を見回り中だった三年生マネージャー篠原瑶子が声を掛けてきた。


 今日のキラキラ笑顔も見惚れるほどに美しい。そっちの気は断じて無いが、眼福には違いない。

 柚葉が大和撫子的な日本人形なら、瑶子は艶やかなフランス人形といったところか。


 内心でどうでもいい例えを付け加えて満足していると、軽く微笑んだまま瑶子がついと顔を寄せてきた。


「西野さん。何か悩みごとあるでしょう?」

「うっ……わ、わかりますか、やはし……」

「うん、さっき変顔で跳んでたから」

「へ、変って……」


 こちらの美人もなかなか無自覚にキツイことを言う。

 どーせね、と心中でつぶやき意味なく笑ってごまかしながら、そういえば瑶子もあのモブたちに詰め寄った際、結構な迫力で凄んでいたなと思い出す。


(綺麗どころって怒るとホントに怖いんだなあ。なまじ美人だから凄みが増すというか……)


 なるほど、道理で自分はどんなに怒ってるつもりでも相手(変態とかモブとか)に響かないわけだ。

 ――けっ、放っとけや!

 ストンと腑に落ちるも、すかさず一人ツッコミを入れてしまう自分が悲しい。

 ガックリ肩を落とすと同時に、ふと思ってしまった。


(瑶子さんも、そうなのかな? ……こんなに綺麗なヒトでも、やっぱり不安になったり悲しんだりするんだろうか?) 


 相手がだから、確かに不安になる要素は山ほどあるような気がする。

 そう気付いて思わず眉根を寄せた時には、なぜか素直な疑問が口をついて出てしまっていた。


「いいんですか? 彼氏があんなんで――」

「え?」

「……って、ああああっ、すっすすいませんっ!」


 いくら何でも直截的すぎて失礼だろ馬鹿っ!という自身への罵倒も、実際手遅れだった。

 驚いたように瑶子が目を見開いている。


「西野さん……『あんな』って?」

「え、ええといやその……変態というか、女タラシというか……じゃなくって! すいませんすいません正直でホント……っ! そ、そのアレですよ。瑶子さんならもっと立派な殿方がこう……な、なんというかっ!」


 フォローにも撤回にもなっていないドタバタを呆然と眺めていた瑶子の口元に、ゆっくり、だがはっきりと笑みが宿る。

 少しだけはにかむように彼女は目を細めた。


「大丈夫。あたしがちゃんと好きだから」

「――」

「それにね、翔は女タラシなんかじゃないのよ? 嫌になるくらい真面目なひと」


 つい先日の沖田侑希と同じことを言いながら、瑶子はこの上なく綺麗な笑顔を浮かべていた。

 真面目云々については一考の余地があると思うが、本当にあの早杉翔のことが好きなんだなあ、と思うとなぜか胸が熱くなった。


 彼を想い、幸せそうに微笑む彼女が本当に綺麗で……。

 やっぱり同じなのだ。柚葉も瑶子も。

 片思いだろうと両思いだろうと、大好きな相手がいる。

 とにかく心の底から想ってやまない――――そんな相手がいる彼女たちを、少しだけ羨ましいと感じてしまった。


(くっ……。ガラにもなく「貰いキュン」してしまったゼ!) 

           

「西野さんは?」 


 不覚にも何と乙女な感情を抱いてしまったのだ自分!と打ちひしがれていると、微笑みは絶やさないまま声だけひそめて瑶子が耳打ちしてくる。


「え?」 

 

「誰かそういう人とか、いないの?」

「えっ!? あっあああたしはそういうのはっ!」

「どうして?」

「ど、どうして……って、そっちの分野は超ーーーーお呼びじゃないんで!」

「?」


 長い睫毛のパッチリお目々で綺麗に首を傾げられても、無いモンは無いんですっ!

 しかもそれどころじゃないし!

 こんな自分なんかのことよりも大事な親友の幸せをなんとかしなければ!


 心の雄叫びとともに今一番の問題点を思い出していた。


 そう。

 いくら何もするなと懇願されても、柚葉に幸せになってほしい思いは揺るがない。

 怒られない範囲で(バレないように)他に何かできることはないか、考えなければ。 


 だからそれどころではないのだ。



 ……ないというのに――――事件は起きてしまったのである。 





  

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