キューピッド(自称)不発……




「おや、お二人サン。こんな薄暗い所で仲睦まじくーう」


 ドアの隙間からひょっこり頭を出して、早杉翔がにまっと口の端を上げた。

 脱力のあまり項垂れてフルフル肩を震わせる彩香に気付いたものの、


「あれ? 彩香ちゃん何か超怒ってねえ? なんで? なんで? もしかして侑とイイ感じなところを邪魔されて怒ってるーう?」


 悪びれなく宣い続けるから始末に終えない。

 絶対わざと頃合い見計らって邪魔しに来てるだろ!?と思ってしまう。


「違うわーーー!! けど、どーして! どーしてアンタはこう……いつもいつもいっつも大事な場面で湧いて出るかなあぁっ」

「ごめんごめん。んじゃ続けて? 俺サマ静かに見てるから」

「もういい。帰るっ」


 盛り上がった気分と勇気を返してほしい。モノには気力と順序とタイミングが必要なのだ。

 わざわざコイツに聞かせてやる義理もねーしなっ、チッ!と胸中で毒づいて大股で用具室を出て行こうとしたところ、侑希のわずかにあわてたような声が上がった。


「え、西野。さっきの話って――?」

「またにするっ。バイバイ沖田くん」

「ばいばーーーい」

「うざっ!!(おめーじゃねーよ!)」


 振り向くことなくバッサリ切って、彩香は長身の真横を通り抜ける。   

 そうだこちらも早いとこ柚葉と合流しなければ、と、もしかしたら自分を探しているかもしれない親友の存在を思い出した。


 とっとと着替えてて気分転換にサーティ◯ンにでも駆け込もう。 

 本当は真っ直ぐ帰宅して夕食準備に取りかからねばならないところだが、アイス1カップくらい許されるだろう。 

 

 なんともゲンキンなひらめきと、少しばかり軽くなった気分を伴って足早に用具室を後にしたのであった。







 ◇ ◇ ◇







「んーーいいねえ。相変わらず元気元気。――で? 何の話だって?」


 ドカドカと尊大な音を立てて遠ざかっていく小柄な背中を見届けきってから、わずかに笑みを残したまま早杉翔は用具室の奥を振り返った。 


「誰のせいで聞きそびれたと……? まったく、いいところでさ……」

「ごめんごめん、わーるかったって」   


 大げさなため息を吐いて睨みつけてくる幼馴染に薄く軽い謝罪を述べながら、まーまーと手のひらをはためかせて歩み寄る。     


「つーか何の話でもいいけどおまえ、そういうのはさっさとコクってからにしろよ」


「そ……そうだ、それ! もしかして翔、俺と西野の仲をどうにかしようとしてない!?」

「あ、バレた? だーって好きなコに好きとも言えない侑クンが不憫で不憫で……。放っといたら他の女の子たちに迫られて侑クン埋まっちゃう! 窒息死! 圧死!」

 

「……なに余計なことしてくれちゃってるかなー。そういう変な気遣いとか要らないから」


 わざとらしさ満載の泣き真似にひとしきり白い目を向けた後、それにしても――と少しだけ抑えた声音で侑希がつぶやいた。


「――西野、何言いかけてたんだろ?」


「んー? 二人っきりで大事な話とくりゃあ、いつものパターンじゃねーの? 『好きです。付き合ってください』ってやつ」


 はいはいオメデトウさん、つーかほれ早く着替えて帰んべよ、と軽く笑いながら踵を返す。

 徐々に日が長くなってきたとはいえ、十九時近くともなると外は薄暗い。

 そのうち「早く帰れ」と顧問や当直の職員なんかも回ってくるのだ。捕まると若干面倒くさい。


「いや、なんか昔の――引っ越す前がどうの……って、言ってたんだけど」


 記憶を手繰りながらの珍しく歯切れの悪い侑希の言葉に、先導するように出口に向かっていた翔の背中がぴたりと止まった。   


「――え」


 振り返った先、薄ぼんやりとした蛍光灯の下では、侑希が伏し目がちに何かを考え込んでいる。   

 片手ですっぽり額を覆い、痛みをこらえるようにわずかに眉根を寄せて。 


「侑……」

「そういう話、西野としたおぼえはないんだよね。昨日もいきなり初恋がどうとか言いだしてたし。もしかして……」 


 ふいに何かに思い当たったように手のひらを浮かせ、そのまま真っ直ぐに濃茶の瞳を向けてくる。   


「昔の俺を知ってるのかな? もしかして西野がその……?」


「や。名前が違う」          


 混乱とわずかな期待が入り混じった瞳から、思わず視線を逸らしてしまっていた。

 そんな自分に軽く眉をしかめ、小さく息をついてから、翔はあらためて侑希に向かう。    


「……聞いてた名前じゃねえ」


 静かな抑えた声で言い直され、侑希が微かにうつむいた。

 唇に微かに笑みを宿して。   


「……うん、だよね。そんな偶然、あるわけないか……」


「やっぱ、まだ思い出さねーか?」

「うん」


「…………」

「……ま、しょうがないね。――さっ、帰ろうか」   


 少しだけ肩をすくめて、侑希は笑った。

 言うが早いかさっさと翔を追い越し、出口へと向かっている。 


「……」 


 ――『だって、思い出せないものはしょうがないじゃん。その子だって、もう待ってるわけないよ』

  

 鼓膜に蘇る侑希の言葉。

 事ある毎に、この一つ年下の幼馴染はそう言って気遣ってくれた。

 この九年、ずっと――。

 だからもういいのだと、気にするなと。 

 罪悪感に押しつぶされそうだった翔をさらりと救い、こうして本当に何でもないことのように彼は笑ってみせるのだ。 


 けれど――


「ああぁホラ……っ、またそうやって気にする!」


 すっかり黙り込んでしまった翔に気付いて、侑希が大股で引き返してきた。 


「もういいって。ていうか何度も言うけどは翔のせいなんかじゃないって――」

「…………すまん、侑」


 突然の謝罪に一瞬だけ面食らう侑希。


 ――が、直ぐさま呆れたように翔へと詰め寄り始める。   


「……ヒトの話聞く気ある? 謝る必要ないって何度言っ――」

「おまえがいくらそう言ってくれても、俺が取り返し付かねーことしたのは事実だ」


「だから、そうじゃないって……」

「何かしねえと許されねえ気もするし、思い出せるモンなら思い出させてやりてえ。今さら……なのかもしんねえけどな」


 抑えた声で、しかし淀みなく紡がれる言葉に、思わず侑希が目を瞠る。 


「いや……翔の気持ちは嬉しいけど……でも何か無理っぽいし。いいんだって、もう! それに昔は昔、今は今だろ」


「……」


「俺、西野やめて昔の子どうしても追っかけなきゃ駄目なの? 違うだろ?」

「…………おう」


「今は西野とくっつけようとしてくれてんだろ? ――やめてほしいけど!」

「……どっちだよ」


「もう謝るな、気も遣うなってこと! だったら金遣ってラーメン奢ってもらったほうがよっぽど嬉しいんだけど?」


 腕組みしてフンと満足気に鼻を鳴らす侑希の顔を、ただ呆然と見返すしかなかった。  


 爽やか王子だ何だと騒がれているくせに、こういうエラく頑固なところは昔から変わらない。  

 自分の気持ちをひたすら真っ直ぐに押し通してるように見えて、いつのまにか相手の気持ちまで晴れやかにしてしまっているのだから質が悪い。


 なんて才能だ、と白旗を揚げざるを得ないではないか。


 まあ当人にはまるで自覚はなく、自分が勝手にそう感じているだけなのだろうが、と知らずため息とともに笑みがこぼれていた。


「おう……。じゃ食ってくか。親父さんの分は?」

「今日は泊まり。だから心置きなく奢って」


 ほら行くよ、と今度こそズカズカと出口へ足を向ける背中を、笑いながらゆっくり追う。

 パチンと照明を消しながら、そうだ、とつぶやいて侑希が振り返った。


「それでもう完全にオーケーだから! 気を遣って無理やり西野とくっつけようとかはするなよ? 余計なお世話だからな? いいな?」

「えー」

「えー、じゃなくっ」






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