わかっちゃいたけどモブ凄し(2)
そんな程度になら、早杉翔という人物について認識はでき上がりつつあった。
少しずつわかってきては、いた…………のだが――。
「でも、わっっかんない! それでなんであたし、こうやって運ばれてるワケ!?」
先ほどから何ら変わらない体勢に、ついに彩香が暴れて振り返る。
「だーって彩香ちゃん、放したらまた噛みつきに戻りそうで。殺傷能力そんなに無さそうだけど、問題起こしたらさすがにヤバいっしょ?」
「猛獣扱いするなー! ていうか名前で呼ばないでよっ!」
やっぱり
いくらタラシ族の習性とはいえ、自分の彼女の目の前でこうも易々と他の女に触って(ジャージの襟だけど)これる神経が謎だ。
(瑶子さんだって嫌な気持ちになるに決まってんじゃん! ちょっとは女心というものを――)
気まずい思いで(何であたしが!)ちらり隣を窺うと、一点の曇りもない極上の笑みをたたえた瑶子と視線が合った。
まるで気にしてなさそうな様子に、少なからずげんなり肩が落ちる。
彼氏が彼氏なら彼女も彼女ってか……。似た者カポーということか?
(待てよ……そもそも二人の中では、あたし「女」というカテゴリーにさえ入ってない、とか? この見てくれからして「小動物」としか思えず安心、とか……。あ、ありえる……)
「はーい、到着」
謎が解けたかと思いきや、かえって微妙な面持ちで黙りこんだ彩香の体が、ぽてっと芝の上に置かれた。
すぐ真横には、同じように芝に座り込んでスパイクの調整をしていたらしい爽やか王子の姿。と、その他お馴染みの短距離の面々。
「?」
なんでここに到着?という思いで一瞬、沖田侑希と顔を見合わせる。
何か尋ねようにも運んできた張本人は、すでに数メートル離れたあたりで部長の香川、瑶子を含めた数人の部員たちと何やら真剣な顔で話し込んでいた。
今日は火曜。
専門技術練習メニューのためハイジャンの日だ。
入部して間もない翔が細部まで把握しきれておらず、うっかり普通に短距離メンバーの中に自分を落としていったのかもしれない。
彼自身もまた顧問のお達しで短距離種目に組み込まれており、同種目メンバーの顔だけはいち早く把握していたために一団の中にすんなり放って行けた、ということでもあるのだろう。
…………が。
(だからってよりによってモテ男のすぐ隣に置いてくとか、ナイわー)
隣に座った(座らされた)だけで、やはりモブたちが睨んできていた。
瑶子の注意が効いているのか騒ぎ立てることはしないが、刺さる視線がかなり痛い。
これなら面と向かってチビだ何だと罵声を浴びせられてたほうが遥かにマシなんですけど?と胸中で長身にクレーム入れながら、せめて侑希からは離れようと腰を上げかけたところへ。
「マネージャーの言うとおりだよ」
隣からいつもどおり爽やかで優しげな表情が向けられていた。
「――え?」
「西野は頑張りすぎ。気にしないで放っとけばいいんだよあんなの」
モブにうるさいと怒鳴り散らした件らしい。
ということはやはりこの大声のせいで(?)この辺りにいた部員たちにもほぼ丸聞こえだったのだ。
「だってうるさいじゃん。実際集中できないし」
「けど一人で矢面に立つことないよ。みんなや先生だって居るんだし。まあ、今は居ないけど」
ぐるりと見回して関口顧問が今日は目の届く範囲に居ないことを確認している侑希。
彼の言うこともまあ……もっともであるわけで。
後先考えずしゃしゃり出てしまったせいでかえって問題を起こしかけたことを思い出し、あらためて反省する。
「す、すんません……」
「西野らしいけどね」
そのハチマキといい、と額を指差しながら侑希が声を立てて笑った。
相変わらず無駄に笑顔がまぶしい。
「沖田くんさー、なんでそう優しくてイイやつ?」
「え?」
「あのコたちにも全然怒ってないっぽいし。一番迷惑被ってんの沖田くんだと思うんだけど?」
いくら応援してくれてるとはいえ、あれだけ騒がれたら鬱陶しいわ集中力切れるわでそうとう走りに支障が出ていると思うのだが。
実際そこらへんはどうなのだろう。
まさかインターハイクラスの実力者にはせいぜい小鳥のさえずりくらいにしか聞こえない、とかいうレベルだろうか。
「んー……まあメンタル鍛える良い障害物だと思うことにしてる。影響あるかどうかはその時の調子にもよるし」
「そのキラキラ笑顔から察するに、今すごく調子がいい、と?」
「――まあね」
よくぞ気付いてくれたとばかりに、向けられた笑顔がなおいっそうまぶしいものになる。
よほど心身ともに充実した良い状態なのだろう。
この様子だと今年もいいトコロまで行くんだろうな、と仲間として誇らしいような嬉しいような思いが込み上げ、彩香の口元も自然に緩んだ。
(けど、ちょいと笑顔の安売りしすぎだぞ王子よ。まあ別にあたしはファンじゃないから、買いませんし貰いませんけどね? そういうのはとっとと柚葉を思い出して、彼女だけに振りまいてほしいんだがなー)
心の中でくどくど小言を付け加えていると、ふとキューピッドが目を覚ました。
(――ひょっとして今って、チャンスじゃない?)
絶対に余計なことはしないでね?と釘を刺してきた柚葉は、マネージャー志望の一年生たちに何かの指導中なのか、今このグラウンドには……見あたらない。
そうだ自分には使命があった!とさらに用心深く周囲を見回しつつ、彩香は侑希ににじり寄る。
(柚葉のこと、本当に忘れてるのかどうかだけでも確かめられないかな……? 本当はすぐにでもくっついてほしいけど)
「沖田くん、訊きたいことがある」
「ん?」
「初恋っていつだった?」
「……えっ?」
よほど意外な質問だったのか、珍しく間の抜けた声を発して侑希は瞬きを繰り返した。
心なしか頬にほんのり赤みが差してきたようにも見える。
「初恋だってば。いくつの時? どんな子?」
「え……な、何……いきなり?」
顔を赤らめ上ずった声で後ずさりしそうな勢いの爽やかイケメン。
へー珍しいこともあるもんだ、普段あんだけキャーキャー騒がれても平然としてるのに、とどこか意外な思いで眺めつつ彩香もにじり寄る姿勢は変えない。
「憶えてる? 憶えてない? どっち?」
「に、西野……ちょっ、ちちち近い」
(おおっ何か動揺している! 恋愛にまるで興味がないわけではなさそう! よっしゃ揺さぶるなら今だ! とっととくっついて幸せになってもらう! 柚葉が何と言おうと纏まっちまえばオールオッケー!)
「どうなの? 思い出して! 初恋だよ初恋!」
「う、うーん……いつ、だったかな……?」
ずずずいっと迫ってくる彩香にたじろぎながらも顎に手を当てて生真面目に考え始める侑希。
そのポーズのまま十数秒が経過したところで、彩香はおもいっきり胸中で舌打ちした。
(そんなに悩まないと出てこないって……どう解釈したらいいんだ!? 誰が初なのかもすんなり思い出せないほど恋多き幼児だったのか? 柚葉は何番目だコラ!?)
「だーーーっもう! ぶっちゃけさァ、今でも好き? その――」
「俺はね、小学校ん時の養護教諭かな」
真横から脳天気とも言える明るい声がした。
見るとすぐ側に、にんまり顔の早杉翔が膝に頬杖をついて胡座をかいている。
聞いてねーよとツッコむべきか余計な話に発展させないためにもスルーするか、一瞬迷う。
「ああ、保健室の大谷先生? 強かったねー」
(って、アンタもにこやかに話を繋いでんじゃねーよ沖田ああぁ!!)
「なー。あのヘッドロックはやべえよな」
「あ、でもそれは掛けられたことないかも」
ガックリ芝に両手をついて肩を震わせている横で、思い出話に花が咲き始めてしまった。
小学生にヘッドロックを仕掛ける養護教諭とかどうなんだ?と薄っすら考えたが、ここで口を開くとますます脱線しそうなので我慢に我慢を重ねる。自分エライ。
「で? 彩香ちゃんは?」
ひとしきりうなずき合って満足したのか、翔がぐりんと首を回して口を開いた。
「……は?」
「初恋。いつ?」
(ばっ……)
結果、ますます脱力して蹲り、睨みつけた芝にそのまま悪態をつきたくなってしまった。
(ばかやろーーーーーー! アンタらと恋話に興じたかったわけじゃなくっ!! 沖田王子に柚葉のことを確かめようとしただけでっ!)
脳内荒れ狂う嵐だったがそれをここでもらすわけにもいかない。
どうしてくれようかと悶々とした表情で頭を抱え込む彩香に、翔がポンと手のひらを打った。
「あ。ひょっとして今がそう?
「違うっっっつってんでしょ!!」
気付いた時にはおもいきり体当たりしたあげくに、口元を塞ぎそうな勢いで襟元を掴みにかかっていた。
(邪魔するだけじゃ飽き足らず、
鼻息荒く睨みつけたところで、またもやこの大声が注目を集めてしまっていたことに気付いた。
こ、これはイカン……と、ぽかんと目を見開く侑希や他の部員たちの視線から逃げるように、集団から少しだけ離れた場所に勘違い野郎を引きずる。
「だから……っ! あたしは、別にっ、好きじゃ、ないっっ!」
念のため声を抑えながらも、少しの聞き間違えもないようにはっきりキッパリ告げてやる。
「まーたまたあ。この期に及んで照れちゃって」
「……殴っていいスか? っていうか邪魔しないでくれる!? すっごい大事な話してたんだけど、今っ」
「ずいぶんだなー。彩香ちゃんを助けに入ったのに」
「はあ?」
「よしよし侑にイイ感じで迫ってるなあ……って見てたんだけど、さすがにそろそろマズイかなー?って」
何を言っているのだこいつは?と思わず眉根が寄ってしまう。
しかも、どうあっても自分が沖田ラブという前提が覆らないらしい。
「積極的なのは良いんだけど、もうちょい時と場所考えたほうがいいかもね」
言いながら翔が、彩香の目線を促すようにくいくいと背後の一点を指してみせた。
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