かくして、激動の新年度は幕をあける(4)




(や……やばいかも)


 こんな低身長で幼児体型の見るからにちんちくりんな女が彼らに擦り寄って歩いている……と、もし周囲に誤解されようものなら。


(いや待てよ? すでにどう見られているのかというと――)


 ハッとしてちろりと黄色い声の発生源に視線を巡らせかけ、彩香は心底後悔した。


(うーーーっわ怖い怖い怖い! 「信じられない、なんであの程度で一緒に歩いてるわけ? まったく釣り合ってなくない?」って目が言ってるよ。口ほどにモノ言ってるよおおお)


 被害妄想が少しも含まれていないとは言えないが、感じ取った思いにほぼ間違いはないだろう。

 自らを取り巻く痛いほどの空気に、思わずげんなりと空を仰ぐ。


 はいはいわかります邪魔なんですね。

 素晴らしいツーショットを期待する皆様のお目汚しになってはイカンですね。

 その視界から今すぐ退いて差し上げますとも。


 そんな思いで、なるべく不自然に見えないように歩くスピードを落とし始めた。


 とはいえ、思わず胸中で唸ったほど実際怖くはないのだが。

 睨みつけられたので反射的に目を逸らしはしたものの、怯えているわけではないし狼狽えているわけでもない。


 ただ――――面倒くさい。

 この一言に尽きる。


 ため息とともにうつむいた表情から微かに笑みがこぼれた。


(だから……キャラじゃないんだって。それに、身の程ちゃんとわきまえてますって)

 

 昨日親友としたばかりの恋愛談義を思い起こしていた。


 そういう敵意めいたものを向けられるほど光り輝く何かなどこれっぽっちも持っていないし、心身ともに女らしくもない。

 そんな分野で対抗心を燃やすほどのエネルギーもまるで湧いてこない。


 ゆえに、マジ面倒くさい。


「西野? どした?」


 自分たちから徐々に遅れだす彩香に気付き、侑希が歩みを止めて振り返った。


「…………」


 自然な流れを狙ったフレームアウトがMr.爽やかの気遣いの所為であっけなく中断され、思わず顔を背けて舌打ちしてしまう。

 

(わざわざ律儀に止まってくれるなよ。ったくこの爽やかなモテ男はよっ)


 トロトロ追いつくまで待たせるのも何だか悪い気がして、仕方なくスピードアップする。


(そんな気遣い要らんから、早く柚葉を思い出してくっついたげてよ! 彼女を幸せにしたってくれよ!)


 頼むよ!という切実な思いとは裏腹につい恨めしげな視線を向けてしまうが、見つめ返す侑希の視線はただひたすら優しく爽やかだった。

 片や変態のモテ男、何が楽しいのか先ほどから一度もニンマリ顔を絶やさない。


「ごめんごめん、俺ら速すぎたか。彩香ちゃん小っさいから付いて来んのも大変だよねえ。コンパスの差もあるし」

「はいっ!?」


 ドス声とともにぐりんと睨み上げた表情にぶはっと噴き出し、ほんっと反応素直だなーと翔が心底可笑しそうに肩を震わせた。

 いくら先輩とはいえ失礼にも程があるだろテメェ!とオブラートに包まず詰め寄ろうとしたまさにその瞬間。


 これ、何かの祟りですか? 呪いですか?


 そう真面目に考えたくなるほどの不幸が彩香を襲った。


「いったあぁ……」


 平坦な地面のどこにどう足を取られたのか、気付いた時には正面から見事にすっ転んでしまっていた。

 左肘と右膝に軽い痛み。

 いやそれよりも、と彩香は内心がっくり項垂れた。

 ヨレヨレな上に土にまみれた制服は、やはり再度クリーニングに出される運命のようである。


(うう、出費があ……。お母さんゴメン) 

 

 やだーとクスクス笑う可愛らしい声があちこちから聞こえるなか、二日続けて地面に転がっている自分が無性に悲しく思えてくる。


(やだー、はこっちだよ)


 ツイてない。

 自分はそんなに何か……悪いことでもしたのだろうか。


 これは何かの報いか、誰かの呪いか、とツキの無さを嘆かずにはいられない。

 それとも単に神様に嫌われ、意地悪される人種として生まれついてしまったのだろうか。

 きっとそれだフンわかったよ好きにしてくれよ、と恥ずかしさと不貞腐れのあまり地べたに伏したまましばらくあきらめの境地に身を委ねていた。

 いっそこのまま誰か穴掘って埋めてくれ、とさえ思ってしまったところに――


 耳元でザッ……と固くならされた土を踏みしめる音がした。


「大丈夫? ほら、手」

「……!」


 気付くと、地面すれすれに片膝を落とした沖田侑希に腕を引かれる形で上体を抱え起こされていた。

 

「だっだだ大丈夫! じ、自分で……お、起きっ」


 周囲の嘲笑が一気に攻撃色を帯びた視線に変わったのを感じ、少しでも彼から離れようと試みるが、わたわた腕だけで軽く後退するのが精一杯だった。


「あー、膝擦り剥いちゃったな」


 辺りの禍々しい気配にまったく気付いていないのか、驚きで固まり未だ立とうとしない彩香をあくまで爽やかに心配してくる。


(や、ヤメてくれ。怖くなくたって睨まれたくないんだよ。これ以上面倒くさい状況を作らんでくれっ!)

 

 冷や汗かきながら、爽やか王子からなおもジリジリ後ずさろうとする背後で、呑気な声が響いた。


「よっく転ぶなあ」


「!?」


 侑希と同様いつの間に数歩引き返して来ていたのか、彩香のすぐ後ろには浅くしゃがみこんだ長身の姿。

 

「すごくね? どんな才能? 陸部なのに?」

「う……うっさい!」


 妙に感心したように眺め下ろしてくる翔に思わず噛みつきかけ、ふと目を瞠る。

 しゃがみこんだ彼の体によって遮られる形となり、一番強烈なテニスコートからの視線が直に突き刺さってくることはなくなっていた。


(偶然、だよね……?)


 まさかと思いながらもホッとしつつ、だがしっかり渋面は作ったままでようやく彩香は立ち上がった。


「きっ昨日はっ転んだんじゃなく! 変なモノに躓いただけだしっ」


 悪態は付きながらも、たとえ無意識であろうと偶然であろうと盾となってくれた長身に、不本意ながら微々たるものであるが感謝の念が湧いてくる。

 口から出る言葉の内容はともかく、面倒な雰囲気を抜け出す契機をくれたのに変わりはない。


「昨日?」


 遅れて立ち上がり、ぱたぱたと制服の汚れを叩く彩香と翔の顔を見比べて侑希が不思議そうに聞き返した。


「ああ。昨日公園で押し倒されてさー」


 親指で彩香を指し示し、にんまりと翔が笑う。


「え?」

「ちょ……馬鹿じゃない!? な、何言って――」


 確かに腹の上には転がってしまったが、あれはそういった類のものでは断じてなくっ……!


「翔はまったく……。大丈夫だよ西野。信じてないから」


 困ったような呆れたような表情を変態に向けた後、苦笑まじりに侑希が彩香に目線を戻した。

 えーいやーん侑くん信じてーぇ、とかなり空耳であってほしい情けない声が聞こえてくるが、やはりこれも現実のものらしい。


「……沖田くん。幼馴染か何か知らないけど一刻も早く縁切ったほうがいいよ? 感化される前に」

「うん、そこは俺もそう思うんだよね」


 あっさりと事も無げに同意され、またしても背後から「えーひでー! ワタシを捨てるのっ侑くんっ!?」と内容だけ悲壮感たっぷりな明るい声が上がる。


 笑いながら大げさにしなを作る長身男にいよいよ目眩が本格化してきて、彩香はよろりらと歩きだした。

 一瞬とはいえ奴に感謝してしまったことすら情けなく思えてくる。


「駄目だ、頭おかしくなりそう……。ごめん、先行くね沖田くん」

「うん」

「えー同じ場所に行くんだから一緒に行こうよー、彩香ちゃーん」

「うざっ!!」


 キレのある即答を大音量でかまし、ドスドスとこれまたボリューム大な効果音を伴って大股で立ち去っていく小柄な彩香に、やはりこらえ切れず翔は大爆笑しつづけた。







 ◇ ◇ ◇







「うーん、いいなあ、なんかいいなあ、面白ぇなあ」


 ようやく笑いがおさまってきたころ。

 目尻の涙を払い、愉しげな表情を残したまま低く抑えた声で早杉翔はつぶやいた。


「――アレかぁ。おまえが好きな子って」


「うん」


 すでに遥か遠くにある小柄で威勢のいい後ろ姿に目を細め、まぶしそうに侑希が微笑む。


「見てると元気になる」


「なるほど。確かにあのパワーは半端ねえ」


 同様に目で追ってくいと口の端を上げる。

 さーてどうしたもんか……と密かに考えながら、翔はゆったりと腕組みした。






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