かくして、激動の新年度は幕をあける(3)
(デカいし、そういうことか!? コイツのせいで自分がクビになるかもしれないってこと!?)
突然背後から怒鳴り迫られたにもかかわらず、ゆったり半分だけ振り返りかけて翔は宙を仰いだ。
「んー? や、違うと思うけど……でもハイジャンか。面白そうだな」
「何いぃぃぃ!?」
「んけど、彩香ちゃん?」
ふっと目を細め、幾分柔らかくなった笑顔で翔が真っ直ぐ見下ろしてくる。
「仮にそうだとしてもさ、もしもの交代劇は同じ女の子が入ってきた場合っしょ? そもそも俺、敵にはならんじゃん?」
一言一言優しくしっかり言い聞かせるような声が、なぜか大きく耳に響いた。
その理由について考えるより早く。
関口とのあの短いやり取りを聞いてよくそこまで正確に事情を把握できたものだと、微かな驚きさえ湧き起こる。
「だから、怒るのやめて放して?」
整った笑顔をにかっと崩し、彼はそう告げた。
冗談ではなく鼻先数センチの至近距離から。
「!?」
何たることか、いつの間にか引っ掴んでいたネクタイを無意識に強い力で自身へと引き寄せていたらしい。
正気に戻ったその一瞬、嫌味なくらい整った顔を超アップで拝むことになり、またしても彩香は目眩に襲われた。
「はっ早く言ってよ馬鹿っ! 変態っ!」
放り出す勢いでネイビータイを手放し、八つ当たり以外の何ものでもない怒鳴り声をあげて後ずさる。
(何っっなのホントにもう! 調子狂うんだけどコイツ!)
「えええぇ、俺が怒られるトコなの? ここ」
ホントに怒りっぽいなーと笑いながら踵を返す翔の襟元に、今さらながら『G』と彫られたシンプルな銀バッジが見て取れた。
皆、着用を義務付けられているいぶし銀の組章である。
(3-G、ね……。G……Gって――)
侑希に並んで再び歩きだしたその長身の背中を複雑な思いで眺めつつ、何とは無しに胸中でつぶやきかけ、
「Gっ!?」
一瞬で彩香は石と化した。
記憶が正しければ確か……と徐々に青ざめながら脳内を掘り起こし始める。
(特進クラスのG!? 変態なのにG!?)
「ああ、うん。翔は二年からGだから。凄いよね」
突然の奇声だったにもかかわらず、直ぐさま彩香の驚愕の原因に思い至り、侑希はまるで自分のことのように誇らしげに笑った。
G、Hは国公立大、難関私立大への進学希望者が振り分けられる特別枠クラスのはずである。
もちろん希望したからといって誰でも入れるわけではなく、成績上位者の中でも特に優秀な生徒のみ――さらには選抜テストや面接といった校内選考なども経たうえ――で編成されるのだと、年度末の進級進路説明会で聞いたおぼえがある。
毎年超難関大学への挑戦者を輩出し脅威の合格率を誇って止まないという――――要するに名門藤川洸陵の中でも殊更抜きん出た者たちが集うエリートクラスだ。
その二クラスのうち、確かGは理系クラスである。
「おまえだって行けんべよ。つか何でFなんだよ」
同様にブレザーに付けられた侑希の組章を見遣り、信じらんねえと翔が顔をしかめている。
「勉強ばっかなんて嫌だ。まだまだ走りたいし」
「相変わらずだなあ……。おっ。彩香ちゃんもFじゃん」
「…………」
すでに何も反応できないくらいポカーンである。
わざわざ振り返って確認してくれなくても、という意識がわずかに頭をもたげかけたが、結局言葉にするまでには至らない。
異次元すぎてもはや踏み込んではいけない領域の人間に出会ってしまった気がする。
「俺様」発言するだけあって半端じゃなく頭が良いらしい、ということはわかった。
だがそうなると……逆にますますわからない問題が出てくる。
(それこそ部活なんてやってる場合じゃないのでは……?)
「んだから、『ほぼ毎日遅刻して部活行くことになるけど?』っつったら、グッチがそれでもいいっつーワケよ」
「それは凄いね」
「俺、愛されちゃってる? ヤバい?」
一般クラスより断然履修科目も必要単位も多く、そのため拘束時間が毎日一時限分長いのだ。
当然終わりも遅くなる。(年度初日の今日は別だったらしいが)
加えて皆7コマきっちりがっつりどっぷりハイレベルな授業を受けるだけでは飽き足らないのか、放課後は超有名進学塾に直行あるいは家庭教師の待つ自宅に直帰のため、当然帰宅部もしくは名前だけどこぞの部に所属して幽霊部員、という生活に明け暮れている――のだとばかり思っていた。
少なくともそれがG、Hクラスに対する彩香の認識だった。
……のだが。
鬼畜戦法の発案者たるウチの顧問が名ばかりの部員を良しとするとはとうてい思えず、今回の勧誘もこの長身男に何らかの才を見出し、実のある過程(練習)を経たうえでのさらなる飛躍と成果(結果)を期待してのものであろうことは言うまでもない。(たぶん……)
それゆえ、つい眉を寄せるほど心配になってしまう。
グッチ先生、大丈夫か?と。
こんなことして、もし万が一、超有望生徒が入試で躓くなどということになったら――ひいては今年度の難関大学進学率を下回らせることにでもなったら……懲戒モノなのではないだろうか。
大人の事情に聡いわけではなくとも、それくらいの暗い想定はできてしまう。
まあ良からぬことばかりつい考えてしまう自分の悪いクセでもあるのだが、と肩をすくめかけ、彩香はふいに浮かんだある現実にハッとした。
(――するってーと、つまりアレじゃん)
よせばいいのに先を歩く長身の背中にガンくれ再開である。
コイツも沖田侑希同様、頭よし運動神経よし見た目よしなモテ男というわけか。(……変態だけど)
類は友を呼んでしまった、というわけだな。(変態だけど!)
しかもムカつくくらいの高身長ときたもんだ。(これが一番許せないんだがっ!)
柚葉情報によると176センチあるという侑希よりも、さらにデカく見える。
見上げるしかできないので定かではないが、おそらく180はゆうに超えているだろう。
一度も染めたことありませんと言わんばかりの黒々とした短髪以外はとにかくチャラそうにしか見えないし、言動と醸し出す雰囲気はきっとおそらく間違いなくタラシという種族特有のものと思われる。
なぜ選考規定に「品性」という項目が盛り込まれないんだ!?
と、関係者たちの耳元でおもいきり叫んでやりたい。
(ちきしょう、変態の分際で……)
女の子好きと豪語してたし、侑希ほどではないにしても人気もあるらしいし、さぞ人生楽しかろう。
与える奴には二物も三物も大サービスしてくれちゃってる神様はやはり贔屓がお得意のようである。
気付いてはいけないことに気付いてしまい、ひきつった薄ら笑いを浮かべてやはり何らかの報復(八つ当たりともいう)をしてやりたいと思い始めたところに。
サワサワとある種の――掴みどころがないが憶えだけはやたらある――気配を感じ、彩香は顔を上げた。
こちらに向かってくるのは、ランニング中のどこぞの部の女子小集団。
確かスキー部だったか、とつらつらとメンツを眺めながら彩香は記憶をたどる。
紺色の学校ジャージに身を包んで走る彼女たちの掛け声が、近付いてくるにつれて小さくなっているのはやはり気のせいではないらしい。
すれ違いざまあわてふためいて目線を伏せたり、乱れた髪の毛を直したり、頬を赤らめて何やらヒソヒソ囁き合ったり……と、もし自分が指導者だったら「ふざけんな! もう十周追加だ!」とキレたくなるような実に色気付いた走りっぷりである。
よく見るとそればかりではなく、すでにテニスコートや遠くのグラウンドに居る他の運動部員たちまでそわそわ、チラチラと視線を向けてきていた。
――当然、前を歩くこの男どもに。
熱い視線どころかあちこちから「ヤダ今日もカッコいい」「えっ隣の背高い人だれっ」「見たことなくない?」という悲鳴めいた声が聞こえてくるのは……おそらくたぶんきっと気のせいだ、と思うことにする。
だってどの部も熱心に練習に励んでいるはずで――――
「きゃー! こっち見たーっ!」
小脇にラケットやボールケースを抱えたまま飛び跳ねんばかりに大音量ではしゃぐ女子テニス部員たちの姿に、脱力のあまりつんのめりそうになってしまった。
(まあ……今さら驚きはしないけど。でも……みんな真面目に部活しようよ)
沖田侑希が明らかに練習そっちのけの他部生にまで騒がれ、こうしてクラブハウスまでの道を移動中、そしてランニング中も見送られるのも、もうだいぶ慣れた風情といえばいえるのだが。
それに加えて――気のせいではないらしいことがやはりもう一つ。
真横のネットに張り付くように群がるテニス部員も、遠巻きにだが明らかに熱い視線を送ってきているその他諸々の部活生も、あとは帰るだけのはずなのになぜか後ろをうろうろしている帰宅部生も、いつもより確実に多い。
(やっぱり
柚葉情報の正しさにあらためて感心するとともに早杉翔をひと睨みし、明日の入学式以降いったいどうなるんだろう……と思わず眉根を寄せる。
当の男どもは、どこ吹く風とばかりに談笑しながらテニスコート横を抜けきり、すでに第一グラウンド脇へと差し掛かっていた。
陸上部が使用する第二グラウンドは、敷地内北西――校舎を出た後、講堂・体育館の並びを抜け、テニスコート横を通り過ぎ、サッカー部と野球部が使用する広大な第一グラウンドをさらに越えた先――に位置する。
学術面のみならずスポーツにも力を入れているだけあって、藤川洸陵高校では通常は校舎の内外にかかわらずどの部も活動スペースに困ることはなく、これでもかというほど設備も整っている。
ただ我が陸上部においては、第二は少々狭いことと校舎から一番遠いことが難点といえば難点であるのだが、陸部なら練習がてら走れということでもあるのだろう。
どのみち二つのグラウンドの中間地点に建つクラブハウスに立ち寄らないことには、用具の管理や出し入れもままならないし、着替えもできない。
そこからさらにわずかばかり歩かされたところで特に不満も湧かない。
他部とともに第一グラウンドに詰め込まれてスライディングや硬球の直撃をくらうよりは、少しばかり長い距離を移動させられるほうが遥かに平和というものだ。
そう。問題は距離ではない。
距離的な不満はないのだが……。
近くに学校一のイケメンがいるというだけで、興味、興奮、羨望、嫉妬の入り混じったこのテの注目を否応なしに浴びせられるのは、慣れたとはいえやはり――鬱陶しくて仕方がない。
しかも騒がれる対象が増えたとあっては、陸部全体としても由々しき問題ではなかろうか。
(けど……)
先を歩く彼らにあらためて視線を向ける。
(確かに絵になるもんなあ二人とも。背高いし顔は良いし)
決して面と向かっては言ってやりたくないことを思いながら、またもやふつふつとこみ上げてくる何か。
(……幼馴染で揃ってイケメンとかありえないだろ。ったく、どんだけ世の中不公平なんだよっ)
後ろから蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られるが、そこはグッと堪らえてなんとか妄想だけで我慢する。
憮然としたままため息をつきかけ、なぜか突然――いや、遅いくらいなのだろうが――自分の妙な立ち位置を自覚してしまった。
成り行きとはいえ、わざわざこんなモテ男どもの後ろにくっついて部室に向かう必要は――――なかったのではないだろうか。
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