爽やかイケメンと大和撫子な美少女(1)
「高志」「敢為」「至誠」を校訓に掲げ、全校生徒698名(予定)、教員及び職員74名を擁する私立藤川洸陵高校。
創立以来県下ナンバー1私学として君臨し続けているこの学舎は、国公立大・有名私大への進学率は文句なく常にトップクラス。さらに一昔前はスポーツ界、政財界、芸能界へも著名人を輩出していたという、いわゆる「名門」と謳われる近隣各県でもそれなりに名の知れた高校なのである。
だが。
そんな素晴らしい誰もが羨む有名私立も、実際に蓋を開けてみると……まあ、いろいろ……それはもうピンからキリまで居るわけで。
◇ ◇ ◇
新年度初日の朝。
荘厳かつ威風堂々たる佇まいの校舎本館、東側に位置する階段に、だかだかだかと足音が響く。
「ち……っきしょー、変態め……っ!」
時折すれ違う生徒の視線も
大きく膨れたスポーツショルダーバッグと学校指定の黒鞄がドサリと音を立てて床に置かれる。
これでもかというほど乱れきっている呼吸。
クリーニング直後のはずなのに、濃紺色のブレザーとグレーのプリーツスカートは心なしかイイ感じにヨタって見えるし、ブラウスの中は今すぐ着替えたいくらい汗だくで大惨事になっている。
銀のダブルストライプの入ったボルドー地のリボンタイも、どこでどうなったのか明らかに傾いたまま首からぶら下がっている。
鼻息まで荒いのは決して怒りのせいだけではなかった。
荒い呼吸のまま、だが前髪をしっかり元どおりに下ろすことは忘れず腕時計に目を落とすと、8:23。
時間的にはギリギリだったが、思いのほかまだ廊下を行き来したり友達と話し込んだりしている生徒が多い。
両手で両膝を強く支え、肩でゼーハー息をしながら、西野彩香は「よし間に合ったあ!」と心の中で高々とガッツポーズを掲げた。
もし陸上部で鍛えていなかったら完全に遅刻だったと思えるほど、新学期初日から派手に寝坊してしまったのだ。
電車の中以外はこの大荷物でひたすら全力疾走した自分を、我ながらよく間に合ったものだと褒めてやりたい。
結局昨日は夜になっても興奮が収まらず、家族からは五月蝿いとどやされ呆れられ、貴重な睡眠にも少なからず支障が出た。
よって、アラームをセットし損なったのも、朝食を食いっぱぐれたのも、柚葉と登校することが叶わなかったのも、自分の不注意のせいなどでは断じてなく(……世の中には責任転嫁という素晴らしい言葉がある)、全部何もかも昨日のアイツのせいだ、変態のせいなのだ!――と、爽快な朝にそぐわぬ豪快な怒りが今日もまたこの小柄な身体の内側で渦巻いているのである。
(ああ……マズい)
ついでに、なんで二年生の教室が最上階なんだよっバカッ!と、つい別な怒りまですべて奴におっ被せたくなってきた。
本館(別名、南棟)と東棟は、一階を校長室、職員室、事務室、保健室など教職員密度の高い部屋が占めており、二階には三年生の教室、三階に一年生、四階に二年――ってちょっと待て!おかしくないか!?何だこの並びはっ!と衝動的に叫びたくなってしまうような教室配置となっている。
不思議なことに昨年度は――一階層分少なかったためか――ちっとも気にならなかったが、当事者となったら話は別だ。
四階分も上らねばならない立場になって初めて上に物申したい気分になってくるとともに、歴代の二年生たちに「お疲れ様でした」と今心から言いたい。……自分だけだろうか?
まあ、教室配置云々まで
真面目な話これはアレか?
……うん、ひょっとしたらなかなかイイ線いってるかも、と思わず自分の考えにうなずいてみる。
ようやく平常時の呼吸を取り戻せてきたことを自覚し、彩香は足元に視線を落とした。
学生鞄と共に置かれた、黒地メッシュに白の"FUJIKAWA-KORYO TRACK AND FIELD"のロゴ入りスポーツバッグ。
その持ち手にゆっくり手を伸ばし、細く長い息を吐き出してそのまま一緒にしゃがみ込む。
(いかんな……やっぱスタミナが……)
去年陸上を始めたばかりというのも確かに関係あるのだろうが、良いところまでいくのに最後の最後で競り負けてしまう原因の一つはスタミナ不足だと顧問から散々言われてきたし、ゴール寸前で明らかにバテているのを自覚できてしまうほどその指摘にも賛同できる。
けれど。
(食べて練習して頑張るのみ! デカくならないのはあたしのせいじゃないし!)
体格のせいにして早々にあきらめることだけはしたくない。
とにかくできることやるべきことは全部やる。それで駄目なら……その後で考える。
あきらめるのは本当の最後でいい。
勉強、その他諸々に関しては素晴らしく潔くあきらめの良さを発揮するのが常ながら、殊、陸上に関してはえらく前向きになれるのだ。
(それに……)
やらざるを得ない理由もある。
とりあえずスタミナをどうにかして短距離を頑張らないことには、走高跳種目から撤退させられてしまう。
この低身長でほとんど無理やりハイジャンチームに入れてもらった際、提示された条件だ。
(絶対……跳んでやる……!)
鼻息荒くメラメラと意気込んだところに、8:25を告げる予鈴が高らかに鳴り響いた。
「おっと」
教室目前で遅刻判定されることはないのだが、とにかく中に入らねばとバッグの持ち手を引っ掴んで立ち上がる。
何はともあれ、新年度、新クラス。
目線をあらためて上方へ向け、『2-F』と書かれたルームプレートを確認する。
ようやく口元に笑みが宿り、彩香は元気よく教室ドアをスライドさせた。
怒り一色の朝ではない。
良いことも一つ、あったのだ。
「遅いーーーっ!」
予鈴直後で未だざわつく教室に足を踏み入れるや否や、正面から勢いよく誰かに抱きつかれて思わず二歩ほど後退する。
頬にはさらさらロングヘアの感触。確かめるまでもなく親友の高瀬柚葉である。
「び、びっくりしたあ……」
人前で臆面もなく抱きついてくるという大和撫子の所業に少なからず驚きつつも、彩香は笑顔で言を継ぐ。
「おはよ。ごめん、寝坊~」
「もーっ、ギリギリまで待ってたのに!」
あはははーと笑ってごまかす締まりのない謝罪も、いつになくピシャリと一蹴されてしまった。
最寄り駅で待ち合わせて一緒に電車通学しているが、いつもの時間までに来なければ先に行く、という暗黙のルールが自分たちの間にはでき上がっていた。
が、今日は新学期初日。加えて緊張の新クラス発表!という一大イベントもあったためできれば一緒に登校したかった、という怒りなのだろう。
それに関してはまったく同感なため、彩香も殊更あの変態にムカついていたのであるが。
「でも嬉しいよー! 彩香ー」
「うんうん、嬉しいね」
よしよし、背中をぽんぽん、の世界だ。
昇降口に貼り出されていたクラス分け表の同じクラスの中に、またもや上下に続いた自分たちの名前を見つけた時は彩香も――一瞬だけ変態への怒りを忘れて――確かにこの上なく嬉しかった。
親友関係は中学一年からぶっ通し、昨年度も仲の良いところは周囲の友人たちや教師陣にも散々見せつけていたため、もはや一緒のクラスにはしてもらえないだろうと完全にあきらめていたのだ。
……とはいえ、さすがに教室に着くなり抱きつこうとまでは思わなかったが。
(ん?)
人並みの感覚(どうやらあったらしい……)を取り戻しつつ、そろりと周囲を見渡しかけた目が、前方黒板でぴたりと止まる。
『8:40~ 始業式。5分前には講堂へ。出席番号順に着席のこと』
「でえーーーーーっ! 今日は8:30じゃなかったのか!」
白チョークで整然と書かれた文字が、自分の読みが大きく外れていたことを示していた。
早く言ってよ、あの全力疾走は何だったんだ……とがっくり肩を落としかけたところに。
大きなぼやき声を聞きつけたのか、クスクス笑いながら見知った顔の男女三人が近付いてきた。
「おーっす。西野、新学期早々元気いいなあ?」
「相変わらず朝からレズってんなあ。うらやま!」
「ホント仲良いよね、あんたたちー」
昨年度に引き続き今年も一緒でヨロシク、な顔ぶれのようだ。
それだけのことなのに、なんとなく嬉しいような気恥ずかしいような妙な思いに駆られるのはなぜなのだろう。それなりにみんな仲が良かったからだろうか。
「はよー。へっ! 羨ましいか? この位置が」
今年もそんな良い雰囲気のクラスになるといいな、と暗に心に留め置きながら、彩香はいつもどおり明るく軽く彼らをあしらう。
「羨ましい! 替わってくれ!」
「却下! 言っとくけど、あたしを倒せるヤツにしか柚葉はやらんっ」
正確には『沖田くんにしか渡さん!』だが。
がっちりと大げさに柚葉と抱き合ったまま、空いた右手はすでにシッシッと邪魔者を追い払うポーズ。
彼女の幸せのために、なんとしても妙なハイエナどもは蹴散らさねばならない。
「
「変なヤツに渡すくらいならそれでいいんだよ。ねっ柚葉? 女二人で生きていこうねっ」
「それは……イヤかも」
「でえーーーっ! 裏切り者」
ギャハハハとにわかに沸く入口ドア周辺に、気が付くと他のクラスメイトたちも少しずつ集まって来ていた。当然「はじめまして」な顔ぶれも多い。いつの間にかちょっとした注目を集めてしまっていたらしい。
よろしくねーと挨拶と自己紹介めいたものがそこここで飛び交い始める様を見て、思わず目を細める。
とりあえず今年も無事に楽しく過ごせそうな気がした。
ほっと胸をなで下ろすと同時に、ふと目を瞠る。
「……柚葉?」
抱きついてきたままのこの親友が、そういえば先ほどから一向に離れる気配がない。
今さらながらある種の違和感をおぼえて、彩香は低く呼びかけた。
しかも気のせいでなければ、ごく微かにだが震え続けてさえいるような……。
「……どうしよう……彩香も、なんだけど……」
他の誰にも聞こえないくらい小さく、今にも泣き出しそうに震えるか細い声が、柚葉の口をついて出た。
「……ホントに……一緒になっちゃっ……ど、どうしよう……」
こんな至近距離にありながらも、気を抜くとうっかり拾い損ねてしまいそうな擦れ声と心なしかますます力が込められていくような気がする細腕から、ピーンとある答がはじき出された。
「って、え、まさか――?」
あわてすぎて怒りすぎて先ほどは気付かなかったが、もしや……と昇降口での記憶をたどる。
もちろんそこにあった全員分の名前など思い出せるはずもないが、もしかして……。貼り出されていた新クラス名簿の同じスペースに、
ひらめきをすべて察したのか柚葉がコクコクうなずくのとほぼ同時に、背後の教室ドアがガラリと開けられた。
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