八つ当たりタイム?




「なんっっなんだ、あいつはーーーーーーっ!?」


 もう何十回と口にしたまったく同じセリフをさらに遠慮なく叫び散らして、彩香はゼイゼイと息をした。


 あの後まもなく柚葉とも別れて帰宅し、すでに三時間は経過しているというのに、この怒りと混乱の入り混じった最大級の不機嫌はまるでとどまるところを知らない。


「信じらんない……信じらんない! 信じらんないっ!!」


 一声叫ぶ毎にベッド上でバウンドするか壁に枕をバスバス叩きつけているため、この自室を含め全体的に西野家がかなり埃っぽいことになっているだろうことは容易に推測できた。

 両親と姉が仕事から帰ってくるまでには軽く掃除しておこう、と心に決めるが、ぶっちゃけ今はそれどころではない。


「アイスがついてたなら口で言えっ! いきなり初対面の女子に触ってきて付いてたモノを断りもなく取ってったかと思えば、それを……っ」


 あの瞬間を思い出すだけで顔はみるみる赤く染まり、拳はぷるぷる震えてくる。


「女の顔に付いてたそれを、食うかフツーーーーーーっっ!?」


 おもいきり壁に投げつけられた憐れな枕は、重力に逆らえずついに床へと撃沈した。



(……めっちゃ笑ってたし!)


 肩で息をしながら、ぐしゃぐしゃになった頭の中をどうにか整理しようと、そのままゴロンとベッドに仰向けになる。


 あの時。

 こちらは顔を見るなり突然大爆笑されて、この上ないショックに見舞われていたというのに。

 現実が……アレ、である。 


 まあ、勘違いで勝手にショックを受けて沈んでいた自分も自分だが……と次第に目が据わり、またもやふつふつと怒りが湧いてくる。

 「アレ、なこと」に過ぎないのだろうが、その直前の衝撃と悲嘆が甚大だっただけに、なおさらそんな大きな勘違いをさせるに至ったヤツの紛らわしい言動とそのフォローにも弁解にもなっていない愚行が許せないのだ。


 ここまでくると、もう最初の自分の勘違いなど省みるに至らないものとして遥か彼方に追いやられている。


(……ん? でも待てよ?) 


 ふいに、帰りがけの柚葉との会話が蘇ってきた。




『確かあの人、ウチの学校の先輩だよ』

『え!?』


『1コ上の』

『ええっ!?』


『知らない? ちょっと人気あるヒトで』

『知らないし! ってかなんで柚葉は知ってんの?』


 沖田侑希以外にはまるで興味を示さないと思っていたのに。


『何度か沖田くんと一緒のとこ見かけたし……』

『えええっ!?』


 なんだ結局モテ男絡みか……(舌打ち)。……はっ!


『なんで爽やか王子の沖田くんとあの変態がっ!?』

『変態って……。でも、何か二人親しそうに話してたよ』

『えええええっっ!?』




 がばりっ、とベッド上に身を起こしていた。

 こ、これは……今後一年間の学校生活が危ぶまれる大問題ではなかろうか?


「アレが学校にいるってこと……? 1コ上ってことは今年も……明日からもまだいるってこと?」


 愕然と目を見開き、両手は無意識に頭を抱えていた。 


(……いやいや、そんな簡単にばったり出くわすこともないって)


 そうだ、あんな先輩今までまったく知らなかったくらいだし。

 も、もしすれ違ったりとかしても向こうは覚えてないかもしれないし……。


(でも、良い音させて殴っちゃったし忘れるワケなくない……?)


 いや、でも学年は違うし接点もないし、どうにか遭遇しないように上手く立ち回っとけば会うこともない――はず。

 この先ゴタゴタに発展する……などということもきっと……。


(でも……でも――――ええええぇ……)



 無理やり良い方へ考えダメ元で気分を上向けようとするが、なぜか冷や汗は止まらず、芽生えてしまったイヤな感覚は消えてくれそうにない。

 得てしてこういう嫌な予感というのは当たるものらしいが――。


 そこまで考えて、なぜか唐突に我に返る。


(ち、ちち違う違う違うっ! 被害を受けたのはこっちじゃん!)


 なぜこちらが悪いことをしたかのように「逃げ」を前提にしているのだ、自分は!?

 紛らわしい言動で精神的ショックを与えられたうえに、変態の毒牙にかかってしまったのだ。

 思わず引っ叩いてしまったことなど瑣末事ではないか。

 軽微な罪だ。うん、絶対自分は悪くないっ!……と心の雄叫びとともに力強くうなずいて、胸の前に握り拳を作る。


(人気あるだと? そうとう女慣れしてて、あんなこと無意識にやっちゃえて何とも思わないとか? そういえばかなり背も高そうだったし、確かにカッコよかった……)


「――じゃなくてっっ! しっかりしろ、あたし!!」


 一度ならず二度までも奴の外見の良さを認めてしまったあげく、その整った容姿をつい思い浮かべかけた自分を激しく叱咤する。

 ワケのわからない赤面と、そこに帯びた熱が引いてくれないどころか湯気まで立ち上らんばかりになっている意味不明な自身の現状に、もはや苛立ちは最高潮に達していた。


(超がつく女たらしか単に無神経なのか、それともただの大ボケか……いや、どれにしたって許せん。許してなるものか。奴は変態だ。変態なのだ。女の敵なのだっ!)


「い、いきなり触って取って食うなんて、どういうことだああああああああああっ!? しかもバニラ三分の一にしやがってーーーー!!」


 一気にまくしたて、呼吸困難に陥る一歩手前でようやく深呼吸することに成功する。


「……」


 叫び散らして、入り乱れた感情が収まったわけではない。

 やっぱり出くわしたら逃げようと決めたわけでも、素晴らしい報復手段が閃いたわけでもない。


(……でも――)


 吸い込んだ息を、わずかな間をおいて神妙な面持ちで深々と吐き出す。

 伏せられた目線はいつの間にか、力いっぱい引っ叩いてしまった右手に落とされていた。


(でも……あたしのことを…………この見た目を、笑ってたんじゃなかったんだ……)


 数瞬後にはまた、はたと思い出し再び大爆発することになるのだが――。

 ふとその時は、何とも形容し難い……上手く言葉にもできないような、そんな思いを彩香は抱えていた。






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