○○○○に遭遇してしまった日(3)




 モテ男――――沖田おきた侑希ゆうき。      

 同じ高校、同じ学年、同じ陸上部に所属する、爽やかを絵に描いたようなイケメンである。


 少しだけ色素の薄いやわらかそうな髪の毛に、濃茶の瞳を細めて笑う優しげな笑顔。たいていの女子はあっという間に恋に落ちるのだという。

 顔よし頭よし運動神経までよしときたら当然周囲が放っておくはずはなく、校内外問わず幅広い年齢層からラブコールが飛んでくるらしいが、特定の彼女ができたという話も聞かないし男が好き(!)というわけでもなさそうだ。

 とにかく浮いた噂がつゆほども流れてこないという奇跡のモテ男でもある。


 どっかの女子が王子様って例えてたな……とあまり興味のない彩香はのんびり日向ぼっこ(授業中)をしながら、キャピキャピとはしゃぐ声を聞いたものだった。


 が。

 何を隠そう親友の柚葉も彼に想いを寄せるひとり。

 黄色い声こそあげないものの、それはもう一途に、見ているこちらが泣けてくるくらいひたむきに彼を見つめているのだ。


「そろそろさ、見てるだけっての飽きてこない?」


 思わず本音がぽろりとこぼれてしまった。

 おっと? 声に出ちゃってたか、と気付くも時すでに遅し。


「えっ」


 まあよし、ぽろりついでに続けちゃえ、っていうかそのまま計画の一端にしてしまえ、といっそ開き直ることにする。


「今年こそはぜひとも告白にこぎ着けてはどうかと――」

「む、むりむりっ」


(やっぱな……)


 わかっちゃいたが予想どおりすぎる反応に、つい空を仰ぐ。



 ちょうど一年前の入学式で沖田侑希が新入生代表として登壇し挨拶した時。

 あちこちからどよめきと女子の黄色い歓声が上がったことにまず驚いたが、それ以上に――


 柚葉のあの時の表情が忘れられないのだ。


 中学一年で知り合って以来ずっと一緒にいるが、あんな……顔を赤らめ見開いた目を潤ませて言葉なく男子の姿に釘付けになる姿などお目にかかったことがない。

 これがフォーリンラブかっ、キターッ、ついに大親友のために一肌脱ぐときが来たか!と、つい喜びに打ち震えてしまったのを憶えている。


 こんな奥ゆかしい大和撫子、放っといたら実るはずの恋も絶対実らない。何が何でも成就させたるっ!と。

 思えばそこから「大親友を世界一幸せに」計画がスタートしたのだった。

 不運にもクラスは別だったため、これは何とかせねば! せめて放課後だけは同じ空間に放り込まねば!と、尻込みする柚葉を引きずるように――文字どおり引きずって――モテ男と同じ陸上部の門を叩いたのである。


 どちらかというと運動と縁の薄い柚葉ではあったが、彼目当ての入部希望者が山のようにいたなか、生来のまじめさと何ごとにもよく気がつく細かい仕事ぶりを買われ、一学年で一人だけというマネージャーのポジションを難なく獲得できたことを考えると、やはりあの時の自分エライ!と思ってしまう。


 練習が予想外にハードすぎて、ただモテ男目当てだけで入った女子たちはあっという間にほとんど脱落してしまったのは言うまでもなく、彩香自身もともと体を動かすことは好きだったしチビだけど跳ぶことの楽しさも知り得た。

 残った部員同士の関係もなかなか良好で、現状にはかなり満足している。

 ぎこちないながら柚葉も、部員同士としてはの君となんとか言葉を交わせているようだし。



(これで進級とともに同じクラスになって、もっと欲を言えば晴れて恋人同士になってくれたら、もう思い残すことはないのに……。嗚呼あああたしは柚葉の母親か? ばあちゃんか?)


 軽く陶酔しながらも何か違うぞと思い至り、ぐりんと頭を振って親友の顔を覗き込んだ。


「もーう、いいんじゃない? 一年見つめつづけたんだからさ」


 黙って物陰から見てないでぶつかっていきなよ、というのだ。


「え……ええと」


 お決まりの狼狽えたような反応に、ちっまだ駄目か、と心の中で軽く舌打ち。


「じゃあさ、明日もし同じクラスになれてたら頑張ってみるっての、どう?」


(我ながらナイス!)


 まあ、もし別クラスでもそのときはそのとき。何か別なエサでこうして背中を押すことになるとは思うが。

 心の中でへろっと舌を出しながら提案する横で、柚葉は伏し目がちに微笑んだ。


「……自信、ない」

「あーーーーのねえっ!」


 これまた何度目かの同じ応答にとうとうしびれを切らし、呆れたように、だが妙な迫力でもって詰め寄ってやる。

 10センチ以上も低い位置から凄まれたところで怖くも何ともないだろうが。


「柚葉が自信ないってんなら世の中の女子みーんな一歩も動けないんだよ? その辺わかってる? ん!?」

「だ、だからそれ大げさって……」

「いーーーや! そうなのっ!」


 とりあえず試みたであろう反論も容赦なくバッサリ切ってやる。


「学年は一緒、部活も一緒、おまけにキレイ! 他のコたちから見たらずいぶんいいポジションにいるわけだよ柚葉アンタは! これで動かないなんてチョー贅沢だよ? いくら沖田くんがモテるって言ったって――」

「『言ったって』?」

「そ……そんなの関係ないんだって! とにかくどーんとぶつかってみ?」

「……」


 結局は乱暴な結論に至るのもいつものパターンだ。

 『自信がない』という返答などまるきり無視してやっているため、である。

 まあ人間ヒトゴトだと思えばいくらでも何でも言えるものだとはいうが。


 それにしたってここまで急かさないでよ、と言わんばかりに、本来控えめな柚葉がそろりと反撃に出てくる。


「あ、彩香こそ……どーんとぶつかれるように早く好きな人見つけてよ。不公平だよ、いつもあたしばっかりこんな――」

「こっちのことはどうだっていいんだよ! それより自分のことを大事にしなさい、大事に! そんなんだから、せっかく美人なのに誕生日もクリスマスもあたしと過ごすハメになるんだからね!?」


「彩香イヤだったの?」

「イヤなわけないじゃん、大好きな親友と一緒にいて。……ってそうじゃなくて! 幸せになってほしいの、柚葉にはっ!」


 恋愛映画にブツクサ言ってたのは誰だ?と問いたくなるような力説ぶりに、柚葉もぱちくりと瞬きをしている。


「恋愛モノ、嫌いなんじゃ……?」

「それはそれっ!」


 単なる野次馬根性でこんな後押しをしているのではない。

 本当に幸せになってほしいのだ、彼女には。

 それは心からの願いだ。願いでもあり、そして恩返しなのだ。


「とにかく! 今年こそ、今年こそ! 一歩前へ! その根拠も説得力もない『ムリ』と『自信ない』、聞き飽きたし!」


 それだけ素晴らしい見てくれを持ちながらなぜ動かない!?


 彩香にとってはそこが最も不思議で不可解だった。

 コンプレックスの塊の自分がもし彼女の立場にあったなら……と、ありえないがおこがましいが考えてみるならば、やはりある程度は「自信」めいたものに守られながら一歩踏み出しているのではないだろうか、と思えるのだ。

 本当に想像するしかできない次元のことではあるのだが。 


(だって……こんなにキレイなんだよ? 性格だっていいし。みんな振り返ってくし……)



「あ……あのね、彩香」


 唸りだしそうな勢いで顔をしかめていた彩香に、何やら急にあらたまって柚葉が目線を伏せた。


「ん?」

「ええと……言いにくい、んだけどね? ……実は……あるの。根拠」



「………………へ?」



 短くはない沈黙の後、間抜けな声が出てしまった。


(いやいや……「てへ」とか可愛く小首を傾げてる場合じゃないぞ、柚葉よ……。何だそりゃ? 一歩踏み出せない――超モテの想い人に告白できない――理由が? 実はあっただと?)

 

 寝耳に水とはまさに今みたいな状況をいうのか、と呆然のあまりどうでもいいことすら頭をよぎっていく。


「ま、待って……。え? ……って何? そんなん今まで一言も――」

「うん。話したこと……ない」


 悪いと思っているのだろう。次第にうつむき加減になっていく柚葉。


「なっなな何それ! なんで? 今まで秘密に……なにゆえに!?」

「ご、ごめん」

「……」


 まさか『親友だと思ってたのは自分だけ』というパターンだろうか。

 この衝撃は、悪いがかなりデカい。

 ――が! 


「いや、いやいやいや! いい! 今は、置いとく!」


 これしきのことで凹んでなどいられない。

 親友を幸せに導くために超えなければならない試練が用意されているなら、そんなものの一つや二つ軽く跳び超えてみせようではないか。


「で!? 何なの? その『ムリ』の根拠って!」


 理由があるというのなら、まずはそれを聞かねば。

 聞かずして次の策を立てられようか。


「……話せば、長くなるんだけど」

「うん! 何?」


 柚葉と向かい合うような形で――つまり自分は後ろ向きに歩きながら、歩調を合わせたまま彼女に詰め寄る。一刻も早く聞き出したいのだ。

 どんどん鼻息の荒くなる彩香にさすがに観念したのか、うつむき加減なままだった柚葉がようやく申し訳なさそうに視線を上げた。


 ――と。

 口を開きかけた柚葉の目が、次の瞬間大きく見開かれる。


「あ、彩香、前っ! 危な――」 

「え」


 指差された前方――彩香にとっては後方だが――を振り向こうとしたその時。






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