○○○○に遭遇してしまった日(1)




「うー……何だかなあ」


 人混みに紛れて映画館を後にしながら、彩香はぽつりとぼやいた。    


 大掛かりな前宣伝の末、先月中旬に公開され評判も上々のとあるロードショー。本日三度目の上映終了直後のことである。


 翌日に始業式を控えた春休み最終日。

 部活も休みだし!明日から高二だし!休養をとりつつ英気を養っちゃおう!……と数日前から親友と約束していたことではある、のだが。


(英気を養うどころか、下降の一途をたどりつつあるこの気分をどうしたモンか……)


 行き交う人々からゆうに頭ひとつ分は低い身長で、体にそぐわぬ大きな背伸びをし、ぐりんと首を回してみるが――今しがたのつぶやきどおり気分は一向に晴れない。

 もちろん理由もわかっては、いる。


「なあに? やっぱり恋愛映画は観るんじゃなかったって?」


 不快もあらわな自身の隣から、ふわりとやわらかな声。

 腰まで伸ばした真っ直ぐな黒髪をさらりと揺らして、親友の柚葉ゆずはが微笑んでいた。


「うー……まあ、ぶっちゃけ……ハイ」

「でも、勝負は勝負だから」


 上機嫌に「ごめんね?」と言いつつ、白く細い指は顔の横で可愛く『チョキ』の形をとっている。


「そ、そりゃもう……ええ! 負けたのはワタクシですから? もう済んでしまったことをどうこう言ってもしょうがないってのはわかりマス……。わかっちゃいるんだけど……」     


 マズイ……とは思いながらも、声とともにいつの間にか作り上げていた握り拳が震えてきた。

 固められたその右手に不機嫌からくるパワーが徐々にみなぎっていくのを感じつつ――


「だけどあの時……っ、あの時『グー』さえ出してたらさーっ!」


 抑えきれず、ついに爆発バースト


 そう。ほんの数時間前にこの親友と争ってしたジャンケンで『グー』さえ出せていたら、今ごろは希望のコメディ映画を堪能して気分も上々――のはずであったのだ。

 奇しくも『パー』で敗れたため、柚葉の一押し『純愛ロマンス』とやらに頭を占拠され、約二時間固まって過ごす羽目になってしまったというわけである。


 こんなことなら部活が休みでも自主トレと称して走ってりゃよかったと思うが、そんな後悔ももちろん先に立たない。


「ああああああああっ『パー』をチョイスしたこの手が憎いいいっ!!」

「ちょ……っ」


 往来で突然立ち止まり叫ぶ彩香に、さすがにギョッとして柚葉。


「あ、ああ彩香ってばこんな所で……。そ、そこの公園でも寄って行こっか? ほら桜キレイだしさ。ね? お花見、お花見!」


 とりあえず他人ヒトの目もあるためあわてて宥めるか場所移動しなければ、という彼女の意図はわかる。わかった――が。


 残念ながらもう遅かった。

 もはや行き交う人々の注目は避けられないし、少しだけ発散させてもらう。


「ああああああぁっ! ムカつくー!」

「……」


 あきらめ眼で頭を抱える柚葉を尻目に、雄叫びながら日に焼けた色素の薄い短い髪をわしゃわしゃと掻き乱し――――

 そして突然思い立ってしまった。いつもどおりに。


「よしっ。こんな時にはやっぱアイス!」


 ぽん、と手のひらに『グー』を打つなり脚はスタートを切っていた。

 今の今まで不機嫌さだけで叫び散らしていたのがまるで嘘であったかのような軽快なフットワークと、100m競走で鍛えあげられた隙のない完璧なフォームで。

 大好物のアイスクリームただひとつを目指しながら――。


 「柚葉もはーやーくーー!」と叫びながら喜々として某アイスクリームショップに駆け込む姿に、遥か後方で親友が微妙に顔をひきつらせガックリと項垂れていたことなんて――――当然知る由もなかった。  







 ◇ ◇ ◇     







「んーっ、おいひーっ!」


 好物をゲットできたことで一変して上機嫌となり、そのまま踊るように公園の一角に足を踏み入れる。

 ……いや、もとい、本当に踊りながら歩いていた。しかも食べながら。

 アイス一本でこうも変われるのか、とゲンナリ後からついてきている親友の苦笑にはもちろんお構いなしである。


「やっぱトリプル大正解。ナイスチョイスあたし」


 心地良い春風に吹かれ、うーんと思わず声に出しながら晴れた空を仰ぎ見る。

 わずかにクセの入った軽すぎる髪の毛が、肩の上で短くも後ろに流れた。


 葉桜となりかけた樹々が優しい風にそよぎ、微かな葉ずれの音がやわらかく辺りに響いている。

 例年に比べるとやや早いが、そろそろ花見シーズンも幕を閉じるのだろう。それほど小さくはないこの公園内もかなり閑散としていた。

 もっとも、昼下がりの陽光を心地よく浴び、好物を手に親友と春休み最後の一日をのんびりと過ごすのに、人混みは無いに越したことはないのだが。


「でも、こんな天気のいい日に世の皆さんはどこ行ってんだろね?」


 もったいない、とつぶやいてチョコアイスにかぶりつく。

 突然「でも」から始まるセリフ構造にはあえて突っ込まずに、後ろを歩く柚葉は慎ましやかな微笑みを返した。


「あたしたちだって、さっきまで映画館にいたじゃない」

「ま……ね。うっ、ヤなこと思い出した」


 映画という言葉で再び不快感をあらわにする親友を見、柚葉は微笑をたたえたまま困ったように吐息する。


「彩香の恋愛モノ嫌いも相変わらずね。何がそんなにイヤ?」

「イヤっていうか……そもそも柚葉はともかく、あたしキャラじゃないじゃん。恋愛って」

「そうかなあ……?」


 きっぱりと言いきったセリフに、おっとりと、だが生真面目に首を傾げる柚葉。


「そうだよ! んでもって何がダメって、あのどう見ても不釣り合いって設定なクセに最後にはちゃっかりまとまっちゃう主人公たちがね。どう考えたって見た目悪いよりはイイほうがいいじゃん。さっきのアレなんてライバルの女のほうが美人だし性格だってイイのに、あの男どこ見てんだバカ」


 「バカ」と言われてもヒトそれぞれ好みというものがあるし、それ以前に演じていただけの俳優には何の罪もないわけで。

 苦手だ、キャラじゃない、と言いつつもしっかりキャラクター設定までつかんで先ほどの恋愛映画を観ていた彩香の身も蓋もない批評っぷりに、親友の頬がややひきつった。


「そ、そう。で……彩香のキャラじゃないってのはどこに繋がるの?」

「だからそれは――」


 言いかけて、はたと口をつぐんでしまった。

 『どこに』と言われても――――。

 本来モテるはずのない人種がああもたやすくハッピーエンドになる甘い設定が定石となっている『恋愛モノ』が気に食わないと言っていたつもりであり、さらにそんな歪んだ感情がどこに起因するのかというと……。


「『それは』?」


 やんわりと続きをせかすように復唱する柚葉。

 そんな彼女をちろりと見上げ、再度しばしの沈黙が訪れる。


「……それは――」

「?」


 レモンシャーベットを口元に置いたまま、きょとんと見つめ返す柚葉の長い黒髪がつややかに風に流れた。


 やがて――


「……やっぱ、わかんないよなぁ」


 『柚葉には』という後に続くはずだった言葉を呑み込んで、思わずため息。


「今さら、だけどね……」

「え? え、何が?」


 一方的に自己完結されて困るのは柚葉である。

 が、そのあわてようを見て取り、やっぱりな……とどこかほっとしつつ苦笑してしまった。


 これだから参ってしまうのだ、この親友には。


 自身の優美な容姿をひけらかすことなく、嫌味っぽく卑屈めいた物言いをすることもない。それどころかそんな外見の良し悪しなど初めから無関心、というフシさえある。


 自分が――こんな自分が、こんなふうに上手くこの親友と付き合い続けていられるのは、ひとえに彼女の清らかさゆえにかもしれない。心の底からそう思う。

 出会いからなんだかんだで五年目に突入する仲である。


「いーの、いーの! ずっとそのままでいてよ」


 眉間にシワを寄せてウンウンうなずきながら、ぽんぽんっと彼女の右肩を叩く。


 その表情と仕草に妙に年寄りくささを感じて、柚葉は黒目がちの瞳を細めて小さく噴き出した。


「変な彩香」


 そうして彼女は、綺麗に笑う――。





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