記憶の飛礫

ねさき。

キオクのツブテプロジェクト

「翔太さん、次が最後になります。どちらの年代の記憶をご所望ですか?」


「最後は決まっています。二〇二〇年の夏の記憶を」


「……かしこまりました。 それでは、いってらっしゃいませ」


「……ぐうっ……がっ……。」


頭に装着されたヘルメットのような装置の起動音と共に、男のうめき声が病室に響き渡った――



 君と同棲を始めてから最初の夏を迎えた。しかし残念なことに、今年は夏を存分に楽しむ事はできそうにない。

 それというのも、世界的なパンデミックを引き起こしているコロナウイルスの影響でまだ日本は自粛モード。そうなってくると夏というのは、うだる暑さが過ごしにくいただの気象変化へと成り下がってしまう。

 春の花見も行けなかった。

 世界的なパンデミックというのは、日本から四季の美しささえも奪ってしまうのか。こんな状態が続くのなら、喧嘩の一つや二つ起きてしまいそうなものだが……。

 しかし彼女はそんな事なんでもないかのように言うのだ。


「こうやって部屋でダラダラしながらアイス食べるのも夏の醍醐味だよね。美味し!」


 すると僕は不思議なことに、直前まで全く逆の事を考えていたにもかかわらず


「たしかにそうだね」


 と返してしまっている。それどころか、さらに続けて


「確かに考えてみたら、小学生の夏休みとかはクーラーガンガンに効かせた部屋で友達と集まってゲームするだけでも楽しかったもんだな。いつでもできるだろって話だよ」


 なんて言ってみたら、彼女は少し声量を上げて跳ねるように答える。


「それわかる! 夏休みって意外と夏っぽいことしないよね! 私も高校の時とか夏なのにカラオケかファミレスで話すばっかりだったもん。 いつでもできるのに! 今考えるともったいないなぁ……。」


「まあね。けどまあそれもいい思い出ではあるのかな」


「そうだね! 結局なにをするかじゃなくて誰とするかなんだろうね。だって翔太くんとならどこにいたって楽しいもん」


「それ恥ずかしくないの?」


「恥ずかしくない。ほんとの事だから。……あ、そうださっきの高校の話で思い出した、この間ひながさぁ――。」


 あ、スイッチ入った。

 これから長くてまとまりの無い彼女の話を聞かされるのだろう。いつもころころと話が変わるもんだから、僕は彼女の話を聞き漏らさないように注意するのが大変だ……それでも、僕はまた性懲りもなく、彼女と会話してしまうのだ。

 彼女の、ころころと変わる表情が大好きだから。


「あ、ごめん話過ぎたね。わたし話すの好きなくせにまとめるの苦手だから……。ごめんね、つまらないでしょ?」


「全然、ずっと聞いていられるよ」


「ほんとにー? ……ありがとう、翔太くんは優しいよ」


「そんなことないよ」


 本当にそんなことは無い。

 僕は元来、冷たい人間だ。無駄を嫌い、理屈の通ったことでしか物事を見れなければ、他人に関心を示そうなどと思いもしなかった人間だ。もしもこの世に法が無ければ、きっと僕は自分の利益の為に人を殺しているだろう。そう思える。

 しかし今の僕はどうだ。無駄話に花を咲かせて、無駄金を使い無駄なものを買う。そして君の健康を願っている。

 変えられてしまった……いや違う。自分で変わったんだ。君の傍で一緒に笑えるように。


「君だからだよ。不思議なことに、君といると僕は優しくなれるんだ」


 そう言うと君は、ふふっと笑みをこぼして言った。


「それ、恥ずかしくないの?」


「……恥ずかしくないよ。ほんとの事だから」


 僕は少し照れながらそう答える。

 すると君はくすぐったそうに笑った。

 その顔だ。その顔が、まるで木漏れ日のように揺らめいて、僕の冷たい心を溶かしてしまったのだ。


 僕は君の幸せを神に願いなどしない。その役目は僕のものだ、たとえ神でも渡さない。

 しかしこの世界は理不尽だ。寂しさを抱えた人間には悪意が生まれる。余裕を無くした人間では人を思えない。理不尽は理不尽を生む。そうだろう?

 いくら僕が君を想っていたとしても、理不尽とは防ぐ余地がないから理不尽だ。

 だから神様には、こう願おう。

 

“どうか世界中の人が、心安らかでありますように”


 そんなことを、本気で思っているんだ。



 それから一月がたった。

 国から出されていた外出自粛要請が解かれ、世界は活気を取り戻しつつあった。経済に大きな痛手を負ったのは事実だが、それはどの国でも同じ事。人はたくましく、そして恐ろしく鈍感だ。すぐに元に戻るさ。

 僕らも例に漏れず、通常通りの時間で仕事に向かうことができるようになった。


「それじゃ、行ってきます」


「うん、いってらっしゃーい! 気を付けてね。コロナ以外にも危険はたくさんあるんだから」


「そうだね。加奈も気を付けるんだよ?」


「うん、わかった。……あ、今日は私の方が帰り遅くなるかも」


「そうなの? わかった。それじゃたまには僕がご飯作っておくよ」


「えー! ほんとに!? 嬉しい! 今から帰るの楽しみ」


「まだ出勤すらしてないのに? ははは、気が早いな。……楽しみにしといて」


「うん!」


 僕は加奈の頭を撫でた後に、毎朝恒例のキスをして、玄関の扉を開けた。

(今夜はなにを作ろう。なにを作れば、加奈は喜ぶかな?)

 帰るのを楽しみにしているのは僕の方だった。



 その日の夜。ちょうど彼女の好きなカボチャのコロッケを作り終えた時だった。知らない番号から僕の携帯に着信があった。僕は何故だか胸騒ぎを感じながらその電話に出る。


「……はい、もしもし」


「平田翔太さんのお電話でお間違いないでしょうか?」


「はい、そうですが。どちら様ですか?」


「こちら神奈川警察署の者です。落ち着いて聞いてください。婚約者の加奈さんですが、帰宅中に事故に巻き込まれ――」


 彼女は帰らなかった。

 帰宅時に自動車事故に巻き込まれたらしい。彼女は信号を守り、横断歩道を渡っていたところに居眠り運転のトラックが突っ込んできた。人通りの多い時間帯だった事もあり、死者が八名にも及ぶ大事故だった。さらには運転手の呼気からはアルコールも検出されたとのことだ。


 ……なんだ、これは。

 

 気づいたら、携帯を持つ手を放していた。僕の元来持つ性格が、それが嘘でも夢でもないことをすぐに理解してしまったから。


「ああぁ……!……あああぁ…………」


 僕は恨んだ。

 加害者を、世界の理不尽を、自分の無力を。愛するものを失う痛みは、いとも簡単に僕から立ち上がる力を奪ってしまう。たとえ立ち上がれたとしても、それは何をしても振り払えない。

 どこまでも、ついてくる。君の笑顔が、君の声が、君の匂いが、君のぬくもりが。すべて痛みへと変わってしまった。

 ただ君を想いたいだけなのに。ただ君を、忘れたくないだけなのに。

 狂えたらよかった。狂えれば、いつまでも君と二人でまどろみの中で――。



 ――瞳を開けると、そこは病室だった。


「……ここは? 僕は……なにを? そうか、夢だったんだ。加奈が死ぬなんて夢だったんだ」


 自分の置かれている状況が理解できなかったが、夢を見ていたんだと安堵した。恐ろしい夢だった。……でもじゃあどこまで?どこまでが夢だったんだ?それに、なんだ?何か違和感がある。


「おはようございます。ご気分はいかがですか?」


 おそらく看護師さんだろう。白い服装の女性が話しかけてきた。僕は事故か病気でもしたのか?今の状況が掴めない。


「大丈夫です。……ここは? 僕は一体……」


「ゆっくりと、思い出してください。自分の事を、生い立ちからゆっくり」


「生い立ちから……?」


「ええ、ゆっくりと」


 その言葉に疑問を抱きながらも、言われた通りに自分の生い立ちを考えてみる。

 僕は母子家庭に生まれた。二人兄弟の次男だ。高校までは順当に進んで……大学には行ったんだっけ?……いや、行ってないんだ。そうだ、は高校卒業してすぐに飲食店に就職して、それから三年で辞めてしまって、タクシー運転手になって、七年間務めた後に、トラックの運転手になった。そしてそれから……それから……。ああ、そうだ。僕は……は……。


「記憶の整理は済んだか?」 


 そう言った男の声に、俺は絶望する。その声は、さっきまで俺が発していたはずの声だ。そして、理解した。


「俺は……俺は……奪ってしまったのか。こんなにも愛しい人を、君から奪ってしまったんだな、


「……そうだ。君が『自分は事故を起こさない』なんて勝手な気持ちでトラックの運転なんかしたからだ。僕の加奈は君の慢心に奪われた。確かに君にも事情はあった。毎日の仕事に対する疲れと不満。僕もわかっている。だけどわかっているだろう? 僕の記憶を見せたんだ、僕の怒りがどれほどのものか。僕の苦しみがどれほどのものか。」


「ああ……。あぁ……。分かってる、分かってる。俺は許されないことをした」


「ああ、そうだ。君の行動は許されないんだ。……だけど僕の記憶を見た君ならわかるはずだ。言ってくれ。君の口から、僕が望む言葉を」


 わかっている。ありきたりだが、今なら言える言葉がある。お互いの記憶を覗いた今なら。


「心から反省している。もう二度と、繰り返しはしない。もう二度と、絶対に……。」


 俺がそう言うと、せき止めていたものが崩れたように、翔太は泣いた。そしてまるで叫びのように言葉を零す。


「ああ、お願いだ。僕はもう、誰にも傷ついて欲しくないんだ。誰一人にも……」


 そして病室には、二人の男の嘆きが響いた。



 二〇二〇年の夏、コロナウイルスは世界で猛威を振るった。それに付随して起こった問題が、マスク等の買いだめや、自分本位の外出、そして会社ごとのウイルスへの対応の違いだった。それを受け、民間企業からある一つのプロジェクトが出され、それは大いに人々の関心を引き、政府の後押しさえも受けることとなった。それが――


 『キオクのツブテプロジェクト』


 それは人の痛みを、人に伝えるプロジェクトだった。

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