第2話 姉の願望というか妄想
実物を手元に置きたいタイプだからと、碧はオータムズのアルバムCDを数枚買い集めた。そして毎週土曜日のラジオ番組にときめく。そうしているうちに七月に入った。
湿度が不快に感じられる日が続いているが、庭の紫陽花は色あせてきて、花のかたまりは端の部分が茶色がかってきている。梅雨の終わりが見え始めた。
七月下旬には祝日がある。海の日だ。その前日に、オータムズの新作アルバムが発売されるのだ。碧は通販サイトで予約済みだった。
「お姉ちゃん、また一人でニヤニヤしてる」
制服姿で帰宅したばかりの瑠璃が言った。碧はふわふわのくせ毛なのだが、瑠璃は全く違って、高湿度をものともしない直毛だ。そのボブヘアは今日も広がらず、サラサラに額と両頬の横を流れていた。白いブラウス、紺のジャンバースカートの制服によく似合ってクラシカルな感じに見える。
「おおモガ、おかえりー」
余裕の笑みで碧は言葉を放つ。瑠璃の入学当初から、その制服姿を二十世紀前半のモダンガールみたいだと言っていたのだ。
「はいはい、昭和初期ね」
瑠璃も気にしないような返答をして台所の冷蔵庫へ向かった。麦茶を出してコップに注ぐ。
「なに、またオータムズ?」
「当り前じゃない。私がヒマな時他の事を考えると思う?」
その言葉に瑠璃はフッと噴き出した。麦茶をふく程ではない、静かな笑いだ。
碧のオータムズネタに慣れてきたのか、瑠璃の小言の数も減ってきていた。
「なんか、アルバム出すんだって?」
麦茶のコップを空にすると瑠璃が会話を続けた。
「おお、瑠璃までそれを知っているってことは、さてはアナタもファンに?」
「違うって。この前本屋さんに行ったらオータムズが表紙の情報誌が出てて、パラパラめくったらなんかそんな話が載ってた」
「瑠璃がそんな本を手に取るなんて珍しい」
「お姉ちゃんがオータムズオータムズってうるさいから気になるようになったの!」
「つまり私は無自覚に布教に成功したと?」
「あのねえ、布教ってコトバ、安易に使わないでよ。宗教をなんだと思ってるのさ」
「宗教に対して、特に何とも思ってないよ」
「……ん、まあそうだと思ってたよ。どうせその本お姉ちゃんも買ったんでしょ?」
「買ってないよ。わたし、オータムズは好きだけどオータムズのインタビューは嫌いなの。情報は慎重に選ぶのよ」
「ええ?なんだそりゃ。響ちゃんだったら好きなキャラが表紙だったらその本買っちゃうけどなあ。ファンってみんなそうだと思ってた」
「響子ちゃんが好きなのはアニメキャラでしょ?二次元と三次元では感情のぶつけ方が違うのよ」
響子というのは瑠璃の親友で、同級生のメガネ少女だ。長い髪をいつもフィッシュボーン編みにしていて、勉強の原動力をアニメで補給しているオタク娘でもある。
「ふーん、グッズとか買ったりしないの?ミュージシャンのってキャップとかタオルとか色々あるんじゃないの?」
「買わないわよ。第一、そーゆ―のってライブで使うもんでしょ?多分。わたしライブ行かないし、行きたくもないからよく知らんけど」
「あー人気あるからチケットとれないしね。行けたとしても人混み過ごそうだよね」
「うん……。まあそんな事よりさ」
碧は一瞬、瞳を曇らせたものの、すぐに笑顔になった。
「そんな事よりさ、アルバム出たらレビュー書こうと思って!」
「ああ、ネットの通販サイトのね。いいんじゃない?節度を保ってれば」
「そうすると、私のレビューが世界中に読まれる、と言いたいところだけどまあ、日本語だから日本人に主に読まれるわけね。その商品の検索すれば」
「それは、そうでしょう。今更何を……」
「つまり!確率としては!オータムズに読まれる可能性もあるわけよ!」
「ええ?ああ、そうだね。まあ確率レベルで言えば……」
「つまりオータムズが私のレビューの共感ボタンを押してくれるかもしれないよ!」
「ああ、うん確率で言えば……」
「ああ、インターネットって素晴らしい!」
こわごわと瑠璃が口を開いた。
「オータムズがエゴサ―チするの?バンドマンがそういうのってロックじゃ無くない?」
「可能性はゼロではないでしょ?私はそれに賭けるのよ!」
「仮に共感ボタンが押されても、名乗ってくるわけじゃないし、確かめようがなくない?」
「いいの!交流ができる可能性がある行動を起こせるだけでしあわせ!」
「…………」
瑠璃は碧の顔を呆気にとられて見つめると、やがてフッと寂しげに笑い、台所を出て行った。
「……着替える」
「何よその笑いは。憧れの人を夢見てることを笑うなんて失敬な」
瑠璃の背中に向かって言葉を投げる。
「はいはい」
瑠璃の足音が遠ざかっていくと碧は敷いていた座布団を引っ張り出し、二つ折りの枕にしてうつぶせに寝転んだ。
(レビューはなんて書こうかなあ。オータムズのアルバムだもの。きっといい曲ばかりよね。何曲かは聴いたことあるし)
考えるだけで胸が高鳴って来る。
(私の書き込んだレビューを、オータムズの誰かが、できれば章彦さんが読んでくれちゃったりして、それでもって心の支えになっちゃったりして、そして章彦さんがほかのメンバーに言うの。こんなに俺達の事を分かってくれるファンがいるんだから頑張ろうなって。そして私は出会ったことが無くても特別な存在になるのよ!)
そこまで妄想すると碧は、畳敷きの居間部分で足をジタバタしたのだった。
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