再び季節が巡っても

肥後妙子

第1話 姉妹の梅雨

 今年も半分を過ぎた。碧と瑠璃の住む関東平野もすっぽり梅雨に包まれた。雨がシトシト降って、湿気はジメジメの季節だけれど碧は上機嫌だった。何故なら、碧には『オータムズ』があるからだった。オータムズは今年デビュー10周年を迎えたロックバンドだ。碧は八か月ほど前からオータムズにすっかりほれ込んでしまった。あまりにも突然ハマったため、妹の瑠璃からは心配されるほどだった。


 瑠璃が心配するにもそれなりの訳がある。特に、碧の思い出し笑いが多くなった事がその理由だった。瑠璃いわく、悪だくみしている人に見えるとの事。

「お姉ちゃん、オータムズに対して何かたくらんでいるわけじゃないよね?ダメよ!ストーカーなんかになったら!」

 心配性の瑠璃がそう碧に注意したことがあった。それを碧は鼻で笑った。

「アンタ、想像力がありすぎ!私なんて沢山いるファンの一人なだけだってば」

そう妹に言い返したものの、こうも思った。

「想像力が豊かなのは姉妹揃ってだな。瑠璃も私みたいに楽しい方に想像力を使えばいいのに」


 瑠璃の立場で楽しい想像をするとなると何があるか。碧は考える。早速ひらめく。

(例えば、オータムズの章彦さんが私と結婚して、瑠璃の義兄になるとか)

想像するだけでニヤニヤしてしまう。顔をクッションにうずめて足をバタバタさせてしまう。ほぼ毎日、こんな風に想像力を使っているから、思い出し笑いが止まらなくなるのだ。

(あー想像するだけで人生バラ色!愛する人がいるってこんなに幸せな事なのね!オータムズ!存在してくれてありがとーッ)

こんな風に、碧の日常は、すっかりオータムズに染まっていた。


オータムズの名前の由来は、メンバーの四人が十月と十一月の秋のさなかに生まれたことによる。四人の名前はエレキギターの章彦、ボーカルでアコースティックギターも弾く智紀、ベースの雄大、ドラムの秀太郎で、苗字は公表されていない。それが碧を余計うずうずさせる。メンバーは四人とも大好きだが、片思いをしていると言い切れるのは、ギターの章彦に対してだった、

(あー私、章彦さんと結婚したらどんな苗字になるんだろうなあー)

公表されているプロフィールで妄想を膨らませては、楽しんでいる。


 出身地は分かった。毎週土曜日にバンドメンバーが交代でMCをしているラジオ番組で、四国出身と話していた。

(四国……香川県……うどん!)

「ああ、うどん。うどんが食べたい」

「お姉ちゃんったらまた、オータムズの事考えてたんでしょ」

 振り向くと瑠璃が立っていた。腕を組んで口を尖らせている。

「別にいいでしょ。何さいきなり」

「ドア開けっぱなしで独り言言ってるのはどうよ」

「あーそう。気にしないで。通気を良くしているだけだから」

「昨日のMC、ギターの人だったんでしょ」

「そう。あれ?あんたも聴いたの?」

「聴いてない。お姉ちゃんのふわあああっていう声が廊下通ったとき聞こえたから、舞い上がってるなあって思った」

「私、そんな声出してたっけ」

「気付いてないんかい。あのね、生身の人間を過度に崇めると後悔するからね!」

 フンッと小馬鹿にしたように鼻で笑うと瑠璃は自分の部屋へ行った。瑠璃はオータムズには全く興味を持たない。碧のハマり方に驚いていたうちは、メンバーの名前を訊いたりしてきたが、教えてもすぐ忘れてしまう。だから章彦のこともずっとギターの人と呼んでいた。碧の様子を見て、小言を言うのが瑠璃の日課になりつつあった。

「生身の人間を過度に崇めると後悔するからね!」は、瑠璃の良く使う文言だった。

(瑠璃ってミッションスクールに行ってるからあんな考え方するのよね)

 キリスト教では人間の神格化を禁じている。瑠璃は中高一貫の私立の女子校に通い始めて四年目の高校一年生だ。碧とは三つ違いだった。

(フンだ。キリスト教にかぶれちゃってさ。まあ、そのうち目が覚めるでしょ)

 碧はそう結論付けるとさっき瑠璃がやったのとそっくりにフンッと鼻で笑った。

(崇めてたっていいじゃない。崇拝できる人のいる喜びを瑠璃は分からないんだから。私が大学中退したことがあるから斜に構えて見てるせいよ)

 

ベッドカバーが掛かったベッドの上でごろんと寝返りを打つ。少し湿った肌にTシャツとクロップドパンツが巻き付いたようになったがすぐに離れた。今日は湿度の不快指数はそう高くない。

(ちゃんと通信制の短大に入学しなおして、頑張ってるんですからね!オータムズの音楽のお蔭で頑張れるんだから!)

 仰向けになると両足を揃えて上げてお腹の筋肉を鍛える運動を始めた。

(章彦さんはあんな綺麗な音を出せるんだからきっと優しい人。努力をしている人の支えになる曲を作ってるんだもの)

 碧の頭の中にラジオと同じトーンで話しかけてくる章彦の声が響く。がんばってるね、偉いねとそんな言葉に思えた。

(うん、章彦さん!私ここでちゃんと頑張ってるよ!)

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