第4話 悪役令嬢、ダダをこねる

「いや! いや! 魔法の訓練よりやりたいことがあるの!!」


 私は自室のベッドにもぐりこみながらそう叫ぶ。


 私には時間がない。

 乙女ゲームの内容を思い出さなければならない。

 死を避けられなかったときに楽に死ぬためにギロチンの開発をしなければならない。

 ギロチンを司法に採用してもらうために勉強をしなければならない。

 やらなければならないことが山ほどあった。


「わがままを言うのをやめなさい、マリアンヌ! 魔法が使えなければ王立魔法学術院へ入学できないんだぞ!」


 怒りより困惑が大きい顔でお父様が私を叱りつける。


「王立魔法学術院なんて入学できなくていい!」


 むしろ入学したくない。

 入学なんてしたら、出会ってしまう。自分の死の原因になる女に。


「急に何を言い出すんだ! そもそも魔法の訓練だってあんなに楽しみにしていただろうに!」


 私は少し涙目になりながら、駄々をこね続ける。

 精神は前世の記憶とともに18歳だったころのものを取り戻しつつある私だったけど、これまでマリアンヌとして生きてきた10年間は身体に刻まれているらしい。

 これまでめったなことでは叱られたことのなかったマリアンヌは、お父様の怒りの表情を見ただけで泣き出しそうな気持ちになっている。


 私とマリアンヌふたつの人格が混ざり合っている。そんな奇妙な感覚だ。


 お父様の向こうでは、お母様とばあやが困った顔で目を合わせている。

 お母様の横ではエドガーは少し気まずそうな顔をしている。


「今までこんなわがまま言ったことなかっただろう……」


 お父様が力なくそう言う。

 そう。マリアンヌは従順な子供だった。

 お父様やお母様の言うことに逆らったことなんてなかったし、エドガーが使用人に対して不満を見せれば、エドガーに並んでその使用人を叱責した。

 お父様とお母様、そしてエドガーがマリアンヌにとってはこの世界の規範だった。

『私』という前世の記憶が目覚めなければ、処刑場でもエドガーに従順に処刑を楽しんでいただろうし、処刑されている庶民のことを人とも思っていなかっただろう。

 私はその事実にぞっとしながら、お父様を精一杯にらみつける。


 しかし続く言葉は出てこない。

 やりたいことが、未来で自分が死ぬのを回避するためのことなのです、なんて言えるはずもなくて、私は困っていた。

 18歳の知能を手に入れたといえど、しょせんはこの程度なのである。


「何があったというんだ……やはり処刑場でよっぽど……」


 お父様がそう言いかけるとエドガーがうつむいた。


 私が処刑場で取り乱したことは御者から執事に、そしてお父様たちにも伝わっていた。

 その最中さなかに、ニコラ王子と出会ったことについて御者は心中に留め置くことにしたらしく、それに関してはお父様たちもエドガーも知らない。

 知られたら恐ろしい騒ぎになっていたはずだから、それでいい。


「お父様!」


 エドガーが一歩前に出てそう声を上げた。


「……僕がマリアンヌを説得します。少し二人きりにしてもらえませんか?」

「エドガー……」


 お父様は困った顔をした。


 エドガーは処刑場でのことで、責任と気まずさを感じているらしかった。

 本来のマリアンヌ、私という前世を持たないマリアンヌならあの時だってエドガーに同調しただろう。

 だからエドガーが気に病むことは一つもない。

 しいていうならエドガーは大本の性格がそもそもダメだっただけなのだ。


 お父様とお母様、ばあやが部屋を出て行く。エドガーが椅子を引っ張り出してベッドの横に腰かけた。


「……マリアンヌ、ごめんよ」


 エドガーは何に謝っているのだろう。

 たぶん本人にも分かっていないだろう。

 しかし処刑場での一件から『マリアンヌ』が大きく変わってしまったことはエドガーも分かっている。

 それをエドガーは理由は分からずとも責任には感じているらしい。


「魔法は楽しいよ、マリアンヌ。ほら」


 そう言ってエドガーは指先に火を灯して見せた。

 オレンジ色の心温まるような火はゆらゆらと揺れて部屋に影をつくりだした。


「今はまだ俺もこんな大きさの火しか作れないけど、鍛錬して、もっと大きな火を灯せるようになるんだ。君の魔法特性が何になるかは分からないけれど、きっと楽しいよ」

「…………」


 私の魔法特性なら訓練なんてしなくても分かっている。

 エドガーと同じく火だ。

 乙女ゲームで見た。

 ゲームのマリアンヌは主人公をいじめ倒す。その中で、火魔法を使って火の玉をヒロインにぶつけようとするのを、攻略対象の少年に阻まれるというイベントがあった。

 ……もちろん前世の記憶を手に入れた私はそんなことするつもりはない。

 悪行ポイントを稼いで死を早めるつもりはない。


 しかしそもそも乙女ゲームの舞台である王立魔法学術院へ行かなければ、主人公との接点はなくなるのではないか。

 そうすれば、処刑の未来もなくなるのではないか?

 私は今、そういう淡い期待をしている。


 しかし、それはそれで懸念はある。

 私が行かなくても王立魔法学術院へ行かなくても、エドガーはそしてニコラ王子は王立魔法学術院へ入学するはずだ。

 そして革命を引き起こす主人公と出会う。

 そうなると、私の処刑がなくなるだけでしかないのではないか?

 エドガーの処刑ルートやニコラ王子の王制廃止処刑ルートには進む可能性がまだある。


「…………」


 自分だけ救えるなら、それでいいと思えるほど、私はマリアンヌの人格を捨てられない。

 どんなに私から見て倫理的に問題のあるエドガーでも、マリアンヌにとっては大好きなお兄様なのだ。


『魔法の訓練をせずに王立魔法学術院へ行かない』

 最初は良い案だと思えたその選択肢は、こうして考えるとあまりに下策だ。


 私は王立魔法学術院へは入学しなければならない。

 入学した上で、エドガーの処刑ルート……そしてニコラ王子の処刑ルートを回避したい。

 それに王立魔法学術院はただ魔法を学ぶだけの場所ではない。

 他の貴族との交流を密に行ったり、政治に関わったりするための訓練場としての側面もある。

 処刑制度自体を変えようと思うのなら、どのみち王立魔法学術院へ行くのは必須なのだ。


 王立魔法学術院へ行かないことには、貴族としての表舞台にも立てない。


「……分かったわ、お兄様。私、魔法の訓練をします」

「分かってくれたんだね、マリアンヌ!」


 お兄様の顔が光り輝く。


「さあ、それじゃあ、さっそく勉強部屋に行こう。講師の先生が待っているよ」

「……ええ、行くわ、ばあや!」


 私がベッドから出ると、ばあやが部屋に入ってきた。

 ばあやがベッドにもぐりこんだせいで乱れてしまったドレスと髪を整えてくれる。

 今日のドレスは白色。まだ何色でもないという意味で、魔法の訓練の最初にふさわしい色だ。


「行ってきます、お兄様」

「ああ、健闘を祈るよ、マリアンヌ」


 お兄様はほっとした顔で私を見送った。

 そのどこか憎めない顔を見ると、やっぱり私はこの人を死なせたくないと思ってしまうのだった。

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