第3話 悪役令嬢と王子様

「はあ……はあ……はあ……走るの……キツイ……」


 思えばマリアンヌとして生まれてからは全力疾走なんてしたことがなかった。

 前世で走った記憶が体を動かしてくれたけれど、体の機能がついていかない。

 その上、この装飾過多なドレスだ。走りにくいったらありゃしない。


 走りついた先は、処刑場の人波の外、馬車の間だった。

 御者たちに見つからないようにしゃがみこみ、私は息を整えた。

 体が震えていた。恐怖で冷えているようだった。


 あの人はどうなっただろう。

 斧を二度も首に振り下ろされた人。

 さすがに死ねただろうか。


 苦しかった。

 人が苦しんで死ぬのを見た。それが苦しくて苦しくて仕方なかった。

 しかもそれは、私の未来の姿なのだ。

 そして場合によっては、エドガーの未来の姿でもある。


「……エドガー」


 10年間、いっしょに生きてきた私のお兄様。

 私には優しくて、少し意地悪で、そして庶民を人とも思っていない貴族のお兄様。

 前世の私はマリアンヌを見捨てるエドガーのことがあんまり好きではなかった。

 あの凄まじい悲鳴を聞いた後だと、いくらマリアンヌが悪役だからって死ぬのは少し可哀想だった。


 だけど今の私にとってエドガーはお兄様だ。

 いくらいけ好かないところがあっても、場合によっては私を見捨てるとしても、それでも私にとってはお兄様なのだ。


「……どうにか、どうにかしなくちゃ」


 このままでは駄目だ。

 私は死ぬ。場合によってはエドガーも死ぬ。苦しんで死ぬ。何かしらの方法でこの世界がたどるルートを変えないと。


 先ほど見たばかりの光景を思い出す。


「……ギロチン」


 あんなのはギロチンじゃない。

 私の知っている効率よく人を殺せるギロチンじゃない。


「……せめて、せめて、楽に死ねるギロチンだったら」


 私の知っているギロチンだったらまだ諦めは付いたかもしれない。

 だけどあんな処刑人の腕で苦しみが決まる死に方は嫌だ。

 そんなものに賭けたくない。


「……ギロチン」


 そこまで難しい仕組みだっただろうか、記憶に残るあれは。

 作ろうと思えば作れるのではないか。

 それをどうやって司法に採用させられるかまでは分からないけれど……楽に処刑を行えるなら、悪くないものじゃないだろうか。


「私……私、ギロチンを作る」

「ははは」


 私がぽつりと呟いた言葉に、誰かが笑った。


 顔を上げるとそこには紫の髪と紫の目をした少年が立っていた。

 少年の斜め後ろには張り付くように大柄で武骨な青年が立っている。


 少年の年齢は私と同じくらいだろうか、エドガーより豪奢なコートを着ている。

 より高位の貴族。いいえ、紫の髪に紫の目、この方は……。


「……殿下!?」


 この国の王族はみな紫の髪に紫の目をしているのだ。

 それが王族の証だ。

 お目にかかるのは初めてだったけれど、王太子が私と同じ年であることを私は知っていた。


「いかにも、我こそは第一王子ニコラである」


 聞き覚えのある名前だった。今生でも前世でも。

 そうだ。このニコラ王子も乙女ゲーム『革命聖女は処刑場に愛を謳う』の攻略対象だ。

 王政廃止ノーマルエンドではこの人も処刑されるはずだ……いや、あの乙女ゲームやっぱりちょっと人死にすぎじゃない?


「君はコデルリエ家のご令嬢だね」


 名乗るより先に殿下に指摘されてしまった。

 ああ、とんだ無作法だ。

 ばあやに知られたら悲しまれる。怒られるより悲しまれる。


「そ、そうです。私はマリアンヌ・ローズモンド・コデルリエです……どうしてそれを?」

「その首飾りはコデルリエ家に代々伝わるものだ」


 殿下の言葉に胸元を見る。今日のために特別にお母様からお借りしてきた真珠の首飾りが光っていた。


「君の母上が2年前に謁見にきたときにつけてらした」

「そ、そうですか……」


 それはお兄様の誕生日の時のことになるのだろう。

 上級貴族の子息は10歳になったとき、王城に上がって王族の方々にあいさつをする。

 私は置いていかれたから泣いて癇癪かんしゃくを起こしたのを覚えている。

 2年前のことだ。それを覚えているなんてニコラ王子の記憶力と観察力はずいぶんといいらしい。

 私よりも格段に。


「それで? ギロチンと言った? あの木の塊に首を設置して斧で切り落とす……あの原始的な物を作るって君は面白いことを言うのだね」

「……殿下は処刑をご覧になったことが?」

「10歳になれば誰でも処刑場への出入りが許される。そして下々の者に対してであれ、国がどのような裁きをしているか、それを見届けるのは王族の使命である」


 ニコラ王子は胸を張ってそう言った。


「本日は野暮用で少し遅れてしまったが……その様子だと初めての処刑を見てショックを受けてしまった……のかな?」


 ニコラ王子は少し労るような表情を見せた。


「……そのようなところです」


 さすがに未来でギロチンで死ぬので泣いてますとは言えない。

 あと場合によってはあなたも死にますついでに兄もです、とかもっと言えない。


「まあご婦人には刺激が強すぎるのも無理はないか……」


 ニコラ王子はひとり呟き始めた。

 私のことなどもう視界に入ってはいない。


 ちらりとニコラ王子の傍らの青年……恐らく護衛の人を見る。

 無表情で緩みのない空気をまといながら王子を見守っていた。


 ニコラ王子……どういうキャラクターだっただろうか。

 なんかもうズバリ王子様キャラって感じだったのは覚えてる。それ以外の印象が薄い。特に好きなキャラではなかったのだ。……我ながら不敬だな。

 とりあえず王政廃止ノーマルエンドでは毅然とした態度で処刑に挑んでいた。

 ……あれ? 私あの乙女ゲームのキャラ、死に様ばっかり記憶に残っている?


 ニコラ王子はしばしの間、思考を巡らせていたようだが、顔を上げて私を見た。


「ああ、すまない、考え込んでしまった」

「い、いいえ、私のことなどお気になさらず」

「今から処刑場に戻るというのも君には辛いだろう。馬車をいっしょに探してあげよう」


 ニコラ王子はしゃがみこんでいる私に手を差し伸べてきた。

 私はおずおずとその手を取り、立ち上がった。

 私と大差ない大きさの手から伝うぬくもりが、恐怖に冷えた体をあたためてくれるようだった。

 ニコラ王子は微笑んだ。10歳の幼い顔にどこか大人びた色が浮かんでいた。

 ……今の私には18歳だった頃の記憶がある。

 それを思うと10歳の子供に慰められ、手を取られるのはどこか気恥ずかしかった。


「コデルリエ家の馬車なら紋章で分かるだろう……さて、どこかな……」

「たしか……入り口の近くだった気がします」

「よし、歩こう」


 手を繋いだまま私たちは歩き出した。

 護衛は音もなくついてきていた。


 馬車に戻ると御者が馬車の汚れを布きれでぬぐっていた。

 作業に集中している御者は私たちの接近に気付かない。


 私はしばしそれを見つめる。

 改めて見ると、なんて豪華な馬車なんだろう。

 前世ではお目にかかることすらなかった馬車。

 数時間前まで当たり前のように乗っていた馬車が、今の自分には遠いものであるように思える。


 しかし隣にニコラ王子がいる状態で圧倒され続けているわけにもいかない。

 私は恐る恐る御者に声をかけた。


「……ただいま」

「マリアンヌお嬢様? ……と……お、王太子殿下!?」


 予定より早く戻ってきた私に御者は驚き、隣のニコラ王子に腰を抜かすほど驚いた。


「…………マリアンヌお嬢様がお世話をおかけしました! コデルリエ家を代表してお詫び申し上げます!」


 しばらく考えて何かを悟ったらしい御者は地面に頭がつくほどの勢いでニコラ王子に向かって平身低頭した。


「構わないよ。頭を上げてくれ」


 ニコラ王子は使用人である御者にも丁寧に接してくれた。


「それじゃあ機会があったらまた会おう。今度はギロチンの話でもしようか……君が嫌でなければね。さようなら、バラのように美しいマリアンヌ」


 最後に歯の浮くような台詞を置いて、ニコラ王子は軽やかに処刑場へと立ち去っていった。

 前世で言われていたら思わず鼻で笑ってしまっただろうけれど、ニコラ王子が言うとあまりにも形になっていた。

 思わず芽生える胸の苦しみは、しかし、ときめきのせいばかりではなかった。


「……ニコラ王子……」


 あの人も死ぬ。死んでしまう。あの痛くて苦しいやり方で、無惨に残酷に殺されてしまう。

 それがいやだった。


「……私、私が、知っている私が、なんとかしないと」


 私の肩の上にまた一つ命が乗っかってきた。

 エドガー、ニコラ王子、そしてマリアンヌ自身。

 全員の死を回避する道は、はたしてあるのだろうか。


 ときめきにはほど遠い息苦しさを覚えて、私は御者に馬車の中へと入れてもらう。

 ぐったりと椅子に体を横たえて、私は少し眠りについた。

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