第2話 悪役令嬢の前世

 私は前世、日本という国で生きていた。

 一般家庭で生まれ育ち、なんてことはない平凡な人生を送っていた。


 ある日、その平和な家の居間を女の悲鳴が支配した。


 女のつんざくような悲鳴はテレビから聞こえた。

 それは姉がやっていた乙女ゲームの音声だった。

 喉の奥から出るようなその声に、私は思わず読んでいた本を放り投げた。


「何今の!?」


 テレビには薄汚れた処刑場と流れていく赤い血が映し出されていた。


「ん? 断末魔?」


 姉はけろっとした顔でセーブをしていた。


「乙女ゲームって人とか死ぬの!?」

「人はわりと死ぬよ? 死別エンドとか」

「ヒロインも死ぬの!? あんな悲鳴上げて!?」


 その時の私には乙女ゲーの女子と言えばヒロインという思い込みがあった。


「いや、今死んだのは悪役令嬢、マリアンヌ・ローズモンド・コデルリエ。ライバルライバル」

「ライバルなら死んでも良いの!?」

「まあ、この『革命聖女は処刑場に愛を謳う』は主に流血表現のせいでR15になったからねー」

「怖っ!? 乙女ゲームの世界、怖っ!?」


 そしてそれをプレイしてるお姉ちゃんも怖かった。


 そして数日かけて、姉は居間で『革命聖女は処刑場に愛を謳う』の全ルートをクリアした。

 その間、私はマリアンヌ・ローズモンド・コデルリエや他のキャラの断末魔を聞かされ続けた。


 ノイローゼになるかと思った。




 そしてさらに数日後、私は事故に遭った。


 痛かった。

 四肢が千切れるような衝撃。力をなくしていく指先。遠のいていく意識。硬い地面。

 私は死んだ。18歳だった。




 それらを今、私は――マリアンヌ・ローズモンド・コデルリエはこの処刑場で思い出していた。




 私が泣きわめいている間にも百叩きは粛々と進行していた。

 もはや罪人の悲鳴は聞こえず、肉体が上下しているだけとなっていた。


「あ、あの人は死んでしまったの……?」


 私の声は震えていた。


「いいや、あれはまだ生きているみたいだね」


 目をこらしてお兄様――エドガール・フィリップ・コデルリエがそう言った。


 そうだ。エドガーも乙女ゲーの登場人物だった。

 攻略対象の一人。金髪碧眼がトレードマークのお高くとまった貴族の男。

 悪役令嬢の兄貴分として振る舞う鼻持ちならない男だったが、攻略ルートでは改心する男。

 しかしそのエドガールートでも悪役令嬢は死ぬ。むしろエドガーがマリアンヌを殺すことを許容することこそ貴族的意識との決別なのだ、と前世では姉が熱っぽく語っていた。


「……生きているの」


 あんな状況で、叩かれ続けて、まだ生きているというのか。

 死体にむち打つとはまさにあのことじゃないか。


 私もああやって殺されるのだろうか?

 こうして老若男女の熱狂の渦の中で断末魔を上げて死ぬ。


 10歳の誕生日には娯楽として鑑賞しに来た処刑場。

 そこでエドガーに貴族としてのあり方を学び、次第に悪役令嬢と呼ばれるまでの悪辣さを獲得していくマリアンヌ。

 それが祟って18歳の時に革命によって断罪される女。

 それがマリアンヌ・ローズモンド・コデルリエだ。


「……いや」


 そんなの嫌だ。

 あんな風に死にたくない。

 生きてるのかも死んでるのかも分からないぼろきれみたいになりたくない。

 前世みたいに痛い思いをして死ぬのは嫌だ。


 

 だけど私は『革命聖女は処刑場に愛を謳う』をプレイしていない。

 姉がやっているのを見ていただけだ。

 物語展開が気になったから、姉のプレイを見ながら、姉にいろいろ聞いたりはしたけど、プレイするまでには至らなかった。


 そもそも私はシミュレーションゲームが苦手なのだ。好きなのは落ちゲーとかだ。

 セーブデータを分けて保存してフラグを管理して……そんなの想像しただけで気が遠くなる。

 たとえゲームの内容を知っていたとして最適解を選べるようなプレイヤーじゃないのだ。


 だから悪役令嬢として死ぬ運命を回避するビジョンが私には見えない。


 主人公ヒロインに近付かなければ良いのか。

 ゲームの舞台である王立魔法学術院に入学しなければ良いのか。

 性格を清く正しく磨いていけば良いのか。


 案はいくらでも浮かぶけれど、そのどれもに確信が持てない。


 だったら世界の方を変える用意をするしかない。


 ……この世界はこういう世界だ。

 エドガーはあの罪人を人間ではないといった。

 人間を簡単に人間でなくしてしまうのが、この世界のルール。

 でも、それは前世の世界でもあったことで、このゲームはその頃の歴史をモチーフに作られている。


 だから変わる道はあるはずなのだ。

 人を苦しめずに処刑すると、人の死を見世物にはしないと、決めた経緯があったはずなのだ。

 死刑廃絶だって選んだ国はあるのだ。


 この世界の倫理観は私の持つものとはかけ離れていて、震えて泣いているのは私だけ。

 しかし、今まで10年間この世界で生きていた記憶のある私にも、こんな気持ちが芽生えるのだ。

 だとしたら、世界を変える方法はどこかにあるはずだ。


 罪人の肉を打つ音が聞こえる。

 もう反応が鈍くなった。

 さすがに死んだのかもしれない。

 私は唾を飲んで吐き気をおさえた。


 罪人の肉体は乱雑に引きずられステージから退場していった。




「ほうら、次はギロチンだ」


 エドガーは楽しそうに笑った。

 ギロチン。知っている。木の台に首を固定して、両脇の柱の上に刃を装填して、それを首に降り下ろす……なんだ苦しまない死に方もこの世界にはあるじゃないか。

 私は居住まいを正した。

 知らねばならない。

 どういう基準で刑罰が選ばれるかを。

 せめてギロチンで死ねるくらいの振る舞いをしなければならない。


 そう思っていたのに、運ばれてきたのは木の塊だった。


「…………?」


 かろうじて窪みがある。きっとあそこに首を置くのだろう。それは分かる。

 だけど、嫌な予感がする。あれはあんなのは私の知っているギロチンではない。


 二人目の罪人は現れた。

 ボロ布をまとった痩身の男は死んだ目で、ふらついた足元で、木の塊に向かう。


 そして黒衣の処刑人は斧を手に取った。


「ひっ……」


 斧は余韻も何もなく振り下ろされた。

 刃が骨にぶつかる鈍い音がした。

 罪人がジタバタと体を動かした。

 生きている。まだ生きている。首に中途半端に刃物が突き刺さった状態で生きている。

 悲鳴こそ聞こえないが、それはまだ生きている。苦悶の表情が見える。

 目を白黒とさせて口を半開きにして体からは徐々に力が抜けて、だけど、まだ、生きている。


「へたくそめ」


 隣のエドガーが吐き捨てるようにそう言った。

 それが罪人への慈悲ではなく娯楽への苦情であることはその声の調子で分かった。


 同じような罵声がステージに飛び、そしてどこからともなく石が投げ込まれた。

 石は処刑人の腕に当たった。

 処刑人は痛そうな顔で斧を再び振り上げた。

 さっきより力のない斧が罪人の首に向かう。


「いや……」


 フラフラと降ろされたその斧は、罪人の首に再び食い込み、首を切るのにはあたわなかった。


「いやああああ!」


 私は大きく悲鳴を上げて、ステージに背を向けて、その場から走り去った。


「マリアンヌ!?」


 さすがのお兄様からも焦った声が聞こえたけれど、私は振り返ることなく走り続けた。

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