連載版

第1話 『悪役令嬢』の誕生日

「もういや! こんなの見ていられない! 人間を何だと思っているの!」

「マリアンヌ! 落ち着きなさい!」


 涙を青い目に溜め、金髪を振り乱し少女が泣きわめく。

 同じく金髪碧眼の少年が私の体を優しく抱き留める。


「大丈夫。大丈夫だよ、マリアンヌ! !」

「……ひどい、ひどいわ、エドガーお兄様」


 頭がくらくらするのを抑えながら、私は泣き叫び続ける。

 そうこうしている間にも私達の目の前では、見るもおぞましいことが行われていた。


 血で汚れた床。冷徹な目の黒衣の男。

 台に固定された薄汚れた男。

 黒衣の男が振り上げるのは、重たい木の棍棒。


 多くの民衆が目を輝かせてそれを見ている。

 ああ、なんてむごい光景だろう。


 罪人の百叩き、なんて。


「……こんなの人間がやることじゃない……」


 私は手で顔を覆った。


 隣でエドガーが心配と呆れの入り交じったため息を漏らす。


 私の名前はマリアンヌ・ローズモンド・コデルリエ。

 今から8年後に、この処刑場で殺されることになる女だ。




 今日は私の10歳の誕生日だ。


 10歳になれば遊びに行ける場所や参加できるパーティーが増えるし、魔法の訓練も始まる。

 それに普段着ならドレスを自分で選んでもよいと言われた。


 何より10歳になれば刺繍を教えてもらえるようになる。


 針を指に刺しでもしたら大変と、遠ざけられていた刺繍。

 それをばあやが教えてくれる約束だった。

 ばあやの手でつむがれる花や蝶のかわいい刺繍。

 私はそれを自分でやるのが楽しみだった。


 それに何より今日はエドガーお兄様が『いいところ』へ遊びに連れて行ってくださる約束なのだ。

 楽しみなことがいっぱいで世界がきらきらして見えた。




 10歳の誕生日。それは私の記念すべき、美しき日になるはずであった。




「ばあや、私、このピンクの糸がいい」

「ええかわいらしいですね、マリアンヌ様」

「お花の刺し方を教えてね、ばあや」

「もちろんですとも」


 私は自室でばあやと刺繍に使う布と糸を選んでいた。

 そこに新品のコートをひるがえしてエドガーお兄様が部屋に入ってきた。


「マリアンヌ、お待たせ」

「エドガーお兄様!」


 駆け寄った私に、エドガーお兄様は優しく微笑んだ。


「さあ、いいところに連れて行ってあげよう」


 エドガーお兄様は私の遠縁にあたり、同じ城に住んでいる。

 ご実家では三男だ。


 お父さまもお母さまも明言することはないけれど、エドガーお兄様は私の事実上の婚約者に当たる。

 将来的にはエドガーお兄様と私は結婚する。

 そしてコデルリエ家をお兄様と私が切り盛りして、社交界を渡っていく。

 それが私の運命であり未来だ。

 それはきっと輝かしくて、きらびやかな人生なのだろう。お父さまやお母さまと同じように。


「行ってらっしゃいませ、エドガー様、マリアンヌ様」


 外は少し肌寒かった。

 今日のためにおろした新品のドレスにばあやがケープをかけてくれた。

 揃いのそれらは細やかな刺繍をばあやが長い時間をかけて手ずからしてくれたものだ。これを着る今日の日が私は楽しみで楽しみでしかたなかった。

 ばあやたちに見送られて、私達は馬車へと乗り込んだ。




「お兄様、お兄様、今日はどちらに連れて行ってくださるの?」

「いいところだよ、楽しいところだ」


 いたずらっぽく笑って、お兄様はそれ以上説明してくれない。

 明らかに、じらされている。お兄様は時たま意地悪だ。


 馬車は郊外にあるお城から、長い道を抜け、市街地へと入っていった。


 私はまだ10歳にならないから、街へはなかなか連れてきてもらえなかった。

 だから馬車から外を覗くだけで私はワクワクしてきた。

 見慣れないごちゃついた街。普段、声を交わすどころか見かけることすらない人たちがそこを行き交っている。


 いつ見ても街の人々のかっこうはみすぼらしい。

 豪奢ごうしゃな私の着ているドレスや、肌ざわりのいいお兄様のコートとは大違いだ。

 質素な服装をしているばあやたちと比べても、彼らの服は薄汚れている。


「……そんなに街を見るのは楽しいかい?」


 エドガーお兄様が少し冷たい声で言った。

 私は慌てて窓から目をそらしお兄様を見る。


「いいえ、私……その、ただ、ただ、めずらしくって」

「ああ、そうだね。めずらしい。あれらはわざわざ目にするものではないからね」


 お兄様が言い捨てるようにおっしゃるから、私はおとなしく馬車のカーテンを引いた。

 外は私の目から見えなくなった。




 しばらく気まずい沈黙が馬車を包んでいたけれど、目的地に着き馬車が止まると、お兄様は生き生きとした表情になった。

 先に馬車から飛び降りると御者のまねごとをして私の手を取り、馬車から降ろしてくださった。


「もう、お兄様ったら、飛び降りたりしてはしたない。お父様たちに叱られるわ」

「ごめんごめん。待ちきれないんだ」


 お兄様がワクワクしていらっしゃる。私の誕生日に。それは嬉しいことだった。


 降りた場所はにぎやかだった。

 貴族以外の人々も行き交っているけれど、明らかに貴族と庶民の通る道は分かれていた。

 そこに見えない線でもあるようだった。


 馬車を離れしばらく歩いてたどり着いたのは、開けたところにあるステージだった。

 お兄様は周りの貴族と挨拶を交わしながらステージが見やすい席に私を座らせた。


「10歳おめでとうございます、コデルリエ家のマリアンヌ様」

「あ、ありがとうございます」


 近くを通った見知らぬ貴族にお礼をいう。


「お可愛らしく育たたれましたね、私が2年ほど前にご挨拶したことを覚えてらっしゃいますか?」

「ご、ごめんなさい……」

「いえいえ、気にしないでください、以後お見知りおきのこと」


 2年前ということはお兄様10歳の誕生日のことだろう。あの日はたくさんの人がお城にいらしたから、全員を覚えておくのは難しかった。


 いちいち知らない人たちとお話しするのがめんどうで、私は人見知りのフリをしてお兄様の後ろにそそくさと隠れた。


「しかたない子だなあ。それじゃ社交界デビューはまだ遠いかな?」


 お兄様はそう言って私の頭を優しくなでた。


 お兄様の陰からあたりを見回せば、席こそ違えど、貴族私たち庶民彼らが同じステージを同じ熱量で見つめていた。

 使い古され、薄汚れ、少し仄暗ほのぐらいステージを、人々は取り囲んでいた。


 ふいに私の頭を痛みが走った。

 違う角度からのステージの画像が、見えるはずのないステージの近景が頭に浮かび上がった。


「……わ、私、このスチルに見覚えがある?」


 思わず口走った言葉にお兄様が怪訝そうな顔をした。


「スチル? なんのことだい?」

「…………い、いいえ」


 ――スチル? なんだろう、自分で口にしたのに、ずいぶんと違和感のある言葉だ。どういう意味だろう。


 わあっと歓声がステージを取り囲む人たちから漏れる。

 何かが始まる。

 私もワクワクした気持ちでステージを見つめた。


 そこには縄でくくられた薄汚れた男が引き立てられてきていた。


 男の姿は街にいる庶民よりも数段汚れている。

 泥やほこりと大差ないボロ布をまとっていた。


 男の前後には黒衣の男性。

 黒一色の布だけれど遠目にもいい生地なのが分かる。


 なんだかとっても不吉だった。


「お、お兄様……? あれは何……?」

「10歳の誕生日、おめでとうマリアンヌ! 今日から君も処刑場デビューだ!」


 お兄様の顔は輝いていた。私への祝福とこの場への恍惚がその顔にはあった。


「しょけいじょう……?」


 私が聞き慣れない言葉に呆然としている間に薄汚れた男はステージの中心に連れて行かれた。


「…………!?」


 薄汚れた男の体を黒衣の男たちが固定する。

 黒衣の男の手には太い棒が握られていた。


「あ……ああ……?」


 息がつまる。胸が苦しい。何故だろう。私には分かる。このあと何が起こるか分かる。


「駄目! やめて!」


 悲鳴を上げた私の声はどこにも届かない。


 黒衣の男が棒を振り上げて、薄汚れた男に降り下ろした。


 薄汚れた男のくぐもった悲鳴が届く。

 台所でお肉を叩くみたいに、棒が遠慮なく打ち下ろされる。――台所? 炊事場のこと? そんなところ見たことはないはずだ。お菓子目当てに忍び込もうとするといつも怒られる。


 薄汚れた男の体は弾む。


 その痛みに満ちた光景を人々は興奮した面持ちで眺めている。


 私は痛い。


 痛み。どうしてこんなに痛いのだろう。

 あれは私じゃない。

 それなのに、私は苦しくて痛かった。


 ――四肢が千切れるような衝撃。力をなくしていく指先。遠のいていく意識。硬い地面。


 自分のことのように、痛い。

 いいや、本当に痛い。

 熱く苦しく冷えていく。


 そうだ。

 私の体はばらばらになって。

 私は一回死んで。

 あの衝撃が。

 今も頭と体に残っていて。


 そしてここは。この見覚えのある光景は。


 ――あの日、私は居間のテレビでそれを見た。


 マリアンヌが死ぬところを見た。


「……全部、思い出した」


 私はマリアンヌ・ローズモンド・コデルリエ。

 乙女ゲーム『革命聖女は処刑場に愛を謳う』の悪役令嬢。

 今から8年後。18歳のときにこの処刑場で死を迎える女。

 今日はマリアンヌが『悪役令嬢』になる始まりの日だ。

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