第272話 方舟、起動


 義久よしひさははがいじめにされたまま、左手をお供の運転手に差し出した。差し出された手に、ササっとタブレット端末がのせられる。


「年末からの電気使用量とテラヘルツ光の使用量が跳ね上がっている! 今まで自家発電で補ってきたのに、何だこの使用量は? 足が出た分の支払いは誰がすると思ってるんだ⁈」


 まくし立てる義久は器用にタブレットを操作し、サクラの目の前に突きつけた。


 浅木博士はニヤニヤと興味深そうに、


「へえ〜、一体何の実験をしてるのかなぁ?」


 と誰に言うともなく口にした。


 いや、むしろこの男の事だ。二十年前のサクラと篠宮のタイムスリップを思い出して、それに関わる実験と読んでいるに違いない。


「タキオン粒子を獲るには膨大なエネルギーが必要だよね。ここのテラヘルツ光はそれを補えるほどの量があると思ったんだけどなあ。あ、もっと遠い時代に行くつもりなのかな?」


 彼の言葉に、サクラはピクリと眉を上げた。反応したのは義久の方だ。


「なんだって⁈ まさか、時間を超える事が、可能なのか⁈」






「『方舟アーク』ったって、アレだろ? 森に隠して作った野外ステージみたいなヤツ」


「いいから、急いで! 私だって好きで起動するわけじゃないのよ」


 一花いちかはウォルフを護衛に、シュトルムの背に乗せられて北の森の中央を目指していた。


 もともと、中央には憩いの為の広場があったが、今ではセメントで野外ステージに似たオブジェが建てられている。半円を倒した土台に、同じようなシンプルかつシンメトリーな舞台壁がくっついている。


「見えたわ。シュトルム先輩、下ろしてください」


 シュトルムは速度を落とすと、巨大な半円のステージの前で彼女を下ろした。


「こっから先はあんたに任せるよ」


 鼻をひくつかせて警戒しながらウォルフはそう言った。一花はコクリとうなずくと、ステージに上がる。


 巨大な半円の壁に向かうと、その一部に手を当てる。フッと白い壁からコンソールが現れた。


 一花が何かに触れると、中空に大きなホログラムのスクリーンが浮かび上がった。


 一花の指が滑らかに動き、ウォルフとシュトルムの鋭敏な耳は微かな機械音を拾い始めた。


起動ブート


 ステージ自体が僅かに揺れ始める。


「……マジで動き始めたのか?」


「ええ、あとはが集まらないと」


「よし、いったん戻ろう。どうせ来てるのはゲートにいる警備員達だろ? 生体端末カリギュラが抑えられてない俺達の敵じゃねえよ」


 ウォルフはやり返すぞとばかりに指の骨を鳴らした。




 つづく

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