第173話 罠にかかったのか?


「リ〜リちゃ〜ん♪」


 ふらふらとムスクの香りに引き寄せられて、ハート目の篠宮は森の奥へとやって来た。


「あれ?」


 切り株の上に、細い金色の香水スプレーが置いてある。黒羽リリなどどこにもいない。


 篠宮は切り株に近づくと、スプレーを手に取った。それからあたりを見回す。近くに流れている以外、特段変わったところは無い。


 そして人の気配も無かった。


「……はぁ、がっかり」


 がっかりしながら、篠宮は香水スプレーをそっと胸元にしまう。黒羽リリの物だから、後で返そう——と言うのではなく、自分の物にするつもりである。


 変態。


 肩を落とすその篠宮の背中を、じっと見つめる者がいた。


 川の中から音もなく現れた少女の顔。もちろん、人魚のエメロードである。


 彼女は大きめの岩の上にライフルの銃口を静かに置くと、そのまま篠宮の背中に照準を合わせた。


 ここまで篠宮を道案内して来た『リリの香水』は、レディが振りいて来たものである。


 既にレディは森の中へと姿を消し、エメロードは言われた通りに誘き出された獲物を狙う体勢に入った。


『篠宮先生……ごめんなさい』


 エメロードが引鉄ひきがねを引こうとしたその瞬間、覗き込んでいたスコープの中から、篠宮の姿が消えた。


 慌てて顔を上げると、なんとすぐ目の前に篠宮がいた。


『えっ……?』


 篠宮は、にこーッと笑うと、


「エメロードちゃん、みーっけ!」


 と言いながら容赦なくレーザービームを放った。






 女子の存在を感じ取る、という点において、篠宮はその才能を遺憾なく発揮していると言えよう。


『あーあ、負けちゃった〜』


「ごめんね。俺も女の子を撃つのは本意ではないんだけど」


『ゲームだもの〜、仕方ないです』


 そこへ勝敗を知らせるトキワの声が、中継用ドローンから流れて来る。


『そこまでです!エメロードさんは川をくだってきて下さいね。途中で迎えに行きますから——えっ、あの、黒羽さん、ウォルフ君ケンカをしないで下さい!ああっ!なんて事でしょう!本部席での場外乱闘です!エメロードさんのお迎えを巡って、バトルが勃発しました!』


 それを耳にしたエメロードが苦笑する。


『もう〜、リリったら』


「俺が送ろうか?」


エメロードをお姫様抱っこするチャンスだ。


『嫌です〜』


 笑顔で断られて、傷付く篠宮であった。




 暗い木の葉の影から、光る瞳がその様子を見ていた。


 レディである。


 軽く舌打ちをすると、篠宮に気付かれぬよう、撤退を始める。


 ——何故なぜ上手くいかないのかしら?


 αクラスなんて、普通の人間と変わらないのに、いまだ一人も倒せていない。


 なんだってβ同士で潰し合いをしなくてはならなかったのか。


 ——残るは私と、あの三人か。


 レディの中では既にユニは頭数に入っていない。初めから六花ろっかと一緒にいるだろうと踏んでいたからだ。


 ——四人もいれば、倒せるはずよね。


 レディは身軽に樹から樹へと移動しながら、βの三人と合流するべく近づいて行った。




 つづく

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