魔法の言葉

 往古の奥野山村は、霊山をわたり歩く修験者が訪れるような山奥の寒村で、江戸時代までは三十軒程度しか暮らしていなかったという。さくらの家の神社は、京都からやってきた修験者によって開かれたと伝わる。

 百五十年ほど前、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟が敗れ、代々主家に仕えてきた武家たちは、賊として故郷から追われた。その時、各地から流れてきた人たちによって開拓されたのが、現代へ続く奥野山村だ。

 そのためだろう。この村は田舎のわりに苗字が多様で、未だに松下村塾や長州藩を嫌う人が多い。それは戦後、長州藩の宗教観が色濃く反映された靖国神社から、殉じた親族をとり返そうとする運動まであったほど。

 村史博物館には、当時の過酷な暮らしの記録が残されている。展示されている日記などは、涙なしに読むことができない。折角子供が生まれたのに、食べるものがなくて栄養不足で死んでしまったとか、雑草を保存食にして厳冬を越したとか、苦難の連続である。

 だからこそ、大正に入り奥野山農学校と桜花女学校を建てたときには、村中のみんなで手伝い、抱きあって完成を喜んだそうだ。

 こうした辛い日々を過ごした村民にとって、心の拠りどころは信仰だった。僕の家も曾祖父の代までクリスチャンだったそうで、レオンという洗礼名が墓石に刻まれている。だけど今ではすっかり廃れてしまい、皆が忘れてしまった。

 そんな訳で奥野山村には、大正時代に建てられた木造のチャペルがあり、これも村の大正建築遺構の文化財として保護されている。こぢんまりとしていて、可愛らしいチャペルだ。

 窓は昔のガラスのまま、外が少し歪んで見える手作りの匂いがするもの。キリスト教の記念日になると、どこからともなく牧師さんがやってきて、チャペルのベルが鳴る。それから夜には弦楽四重奏の小さなコンサート。中学の頃、色気づきはじめた男子たちは女子の誰を誘って行くかとか馬鹿みたいに燃えていたっけ。ちなみに僕は、さくらを誘って一緒に行った。

 各時代の若者たちは、このチャペルかさくらの神社で結婚式を挙げるのが通例だったけれど、最近は、近隣市にできたホテルやハウスウェディングでやるのが当たり前になってきた。

 これら潮流に抗い、再びこのチャペルに光を当てて盛り返さんとする狙いこそ、さくらが考えた企画の真意であると思う。思いつきではない。さくらは以前からチャペルの利用頻度が減っていることをずっと残念がっていたので、密かに温めてきたアイディアなのだろう。

 チャペルの中に入ると、まず年代を感じさせる焦げ茶色の太い梁と白い壁が目につく。天井には複雑に組み上げられたアーチ状のデザインが幾何学的に走る。ここを手がけた宮大工さんが、拘って作り上げたものだから、これまで特段の修復を必要とせずに残ってきた。

 使い古されたオルガンの音が、チャペル内でやわらかく漂い、温かい余韻が溜まってゆく。

 バージンロードの上を歩けば、足元でよく乾いた板の音がコツンコツンと鳴った。

 僕は着慣れない細身のタキシード姿になり、動きにくさを感じつつも、先導してくれる神父さんに続く。左右それぞれに木製の小ぶりな椅子が六列ほど並び、バージンロード沿いに白い花とリボンが飾られていた。

 誰もいないチャペル内ではあるけれど、農協のブライダル事業部の人たちが真剣な眼差しでこちらを見て、外注の撮影スタッフさんがカメラを二台も向けている。時間がないから失敗は何度もできない。僕はとても緊張していた。

 やがて、新婦役のさくらが入ってきた。

 手には鮮やかな生花のブーケ。目線を下げ、しずしずとバージンロードを歩いて来る。巫女踊りをやっているからだろう。人目を意識した見せ方に長けていて、ドレスの長い裾のさばきも上手く、何より品がある。裾を踏んで転んでしまう人が、時々いるそうだ。

 まとっているウェディングドレスは、レースを何層にも重ねた裾広がりのタイプ。初めて知ったけれど、これをエンパイアラインと呼ぶそうだ。さくらの白く細い首と、無駄な肉がついていない肩と背が、眩しく感じるほど露になったデザインで、女神っぽい神聖な雰囲気がよく似合っている。

 ブライダルモデルさん用に準備したはずのドレスが、さくらの身へオーダーしたかのようにぴたりと合ったので、衣装係の人が「どうしてこのサイズが入っちゃうの」と目を白黒させていた。

 ところで神社の神職であるさくらの親父さんは、これを承諾したのだろうか――などと頭をよぎったが、NGを出してはいけないので掻き消す。

 さくらが近くまでやって来た。

 僕が出迎えて左掌を差し出すと、さくらは肘まである白いグローブで包まれた手を、たおやかな所作でゆっくり乗せてきた。

 二人は前を向き、神父さんの前に立つ。

 神父さんはやたらと日焼けをしたビジネスマン風な外国人の方で、胸が厚い筋肉質な人だった。さっき雑談をしたところ、日本暮らしが長く、東京で投資会社を経営しているそうだ。

 さてこれから僕は、一生で一度きりの、最高一番の返事をしなければならない。

 腹を膨らませ、拳に力をこめ、身構える。


「新郎古家耕太さァん。あなたはァ、ここにいるさくらさんをぉ、病める時も健やかなる時もぉ、富める時も貧しき時も、妻として愛しぃ、敬い、慈しむ事を誓いまァすかァ」


 おかしい。ついさっきまで神父さんは流暢な日本語を話し、駄洒落まで飛ばしていたというのに、急にいかにも日本語が下手な外国人風のイントネーションを強調している。

 特に最後の畳みかけがヤバくて、不意打ちだったので噴き出しそうにもなったが、神父さんの目を確と見て返した。


「――はいッ、誓います」


 できた。

 一筆書きの返事。

 さらに神父さんが続ける。


「新婦在原さくらさァん。あなたはァ、ここにいる耕太さんをぉ、病める時も健やかなる時もぉ、富める時も貧しき時も、夫として愛しぃ、敬い、慈しむ事を誓いまァすかァ」

「――はい、誓います」


 再びオルガンの優しい音が響き、聖歌隊の人たちが「アーメン、アーメン――」と澄んだ声で歌う。

 いよいよ、指輪が運ばれてきた。

 神父さんは両腕を広げ、仰々しく宣言する。


「これからァ、お二人は夫婦となりまァす。その証として、指輪の交換をします。まずはァ、耕太さんからどうぞ」


 さくらは左手のグローブをしゅるりと外し、薬指を差し出した。

 僕はその手を受け取り、慎重に、大きなダイヤがついたリングを通してゆく。

 思わず呼吸が止まり、手が震えた。

 リングは恐ろしいほどにピッタリで、動くたび、窓から差し込む光を偏向して、さくらの白い指の上で煌き、チャペル内の白壁へダイヤモンドの繊細なカットを七色に映す。

 僕の薬指には、さくらが指輪を差し込んでくれた。

 次はいよいよ、キッスの場面を迎える。

 撮影隊のカメラがレンズを絞り、ズームを向けられている気配を感じつつも、僕は華奢な両肩にそっと手を乗せた。僕が初めて触れたさくらの肩は、肌がとても滑らかで、しっとりと吸い付くような感覚があった。

 見つめ合う二人。

 さくらはこのうえなく幸せそうに、目尻を下げて、愛らしく微笑み返してくれる。

 たとえその笑顔が演技であると頭の片隅でわかっていても、僕はただただ嬉しい。

 ふと、いつかさくらにこうする男が現われるのだろうかとも思ったが、いや、いるはずがない。

 と云うことは――今の僕は、世界に一つしかない一瞬、一品モノの画を目の当たりにしている。そう思ったら、何故だかとてももどかしくて、たまらなくなってきた。

 ついつい何も考えず、ごくごく自然な無意識で、打ち合わせになかったことをしてしまう。

 僕は、さくらの額に唇を寄せ、キッスをした。


 男がキッスをする時、箇所によって心理的な意味合いがあると本で読んだことがある。経験は少ないが、キッスにまつわる知識だけは豊富だ。

 額の場合、確かそれは、

 可愛い、

 おめでとう、

 愛おしい、

 俺が守る――だったと思う。


 そしてさらにもう一つ、重要な意味があった。

 それは、

 変わらぬ友情だ。

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